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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第二部+錦上添花の章+

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九「秘めた心」

 レイレイが来た道を戻る際、女官長は行きと違い、道のりの途中までしか見送ってくれなかった。長い北門の後宮側の入り口でレイレイと別れる。


「この北門をこのままお進みください。では、どうかお気をつけてお戻りくださいませ」


 気をつけてというのは、転ぶなということだろう。皇帝も通るこの通路は両側にしっかりと番兵がおり、ここに外敵がいることはないだろうから。

 女官長と、それから後宮側の宦官兵にもレイレイはしっかりと礼を言って北門を潜る。レイレイの背中が遠ざかるのを女官長たちがどこまで見守ってくれていたのかはわからない。


 長い通路をレイレイは心もとなく歩いた。それほど長い時間を後宮で過ごしたわけではないけれど、ルーシュイはきっと焦れているだろう。早く彼のもとへ帰ろうと、レイレイなりに足を速める。

 その時、どこからともなく小さな声がした。


「レイレイ」


 名を呼ばれ、レイレイはヒッと飛び上がりそうになった。こんな薄暗いところに人がいるとは思わなかったのだ。

 門の通路の壁にもたれかかり微笑していたのは、シージエであった。

 先ほどの皇帝の装いではない、目立たない黒衣であった。冕冠も脱いで、そうしているとただの少年に見える。市井で会う、いつものシージエだ。


「シージエ?」

「うん。ちょっとだけ抜け出してきた。皇帝しか知らない抜け道がいくつかあるから、それを使ってね」


 皇帝ともなれば、命を狙われる危険が常にある。こうした抜け道の存在は最重要機密だろうに。


「忙しいのに、わざわざ見送りに来てくれたの?」


 もしくは、忙しすぎて息抜きに少し抜け出したくなったのだろうか。

 レイレイが思わず苦笑すると、シージエは軽くうなずいた。


「まあ、それもあるけど」


 そう言って、シージエは一度言葉を切った。それから、唾を飲み込むような仕草をして口を開く。


「本当は、レイレイのそばには常にルーシュイがいるから、余計なことを言うのはやめようって思ってたんだ。でも、こうしてレイレイと二人で会える機会は多分もうないから、踏ん切りをつけるために言わせてもらっていいかな」

「え?」

「俺、レイレイが後宮にいてくれたら嬉しかった。多分、ユヤンに口うるさく言われなくても自分から会いに行ったと思う」


 以前、冗談めかしてそんなことも言っていたけれど、あの時はレイレイがそれどころではなくて、その意味を深く考えてはいなかった。

 思わず目を瞬かせたレイレイに、シージエは困ったように言う。


「でも、ルーシュイほどに強い気持ちとは言えないし、レイレイもルーシュイが好きみたいだから、それで諦めるけれど……。少しだけ、俺にそういう気持ちがあったこと、知っていてほしい。――ごめん、それだけなんだ。うん、レイレイたちの幸せを祈ってるのは本当だから」


 何と答えればいいのかわからない。こんなことは初めてで、レイレイは戸惑うばかりだった。

 シージエのことは好きだけれど、それは友人だと親しみを覚えているからだ。ルーシュイほどの距離でシージエに寄り添っている自分は、どうしても想像できない。


 気持ちの整理がつかないまま、それでも何か言わなければとレイレイは口を開く。


「……ありがとう、シージエ」


 それでも幸せを願ってくれているのなら、『ありがとう』が相応しい言葉に思えた。きっと、それ以外の言葉は何を言ってもシージエを傷つける。

 返答はそれでよかったのだろう。シージエが少し笑った気がした。


「こっちこそありがとう、レイレイ。じゃあまたな」


 また。

 皇帝と鸞君。

 関わり合わないわけにはいかない二人なのだ。


 ただ、そこに特別な感情はなくていいと、シージエは割りきった。踏ん切りとはそういうことだろう。


「うん、また――」


 レイレイがぽつりと返しても、シージエは動かなかった。隠し通路の存在をレイレイにも見せてはいけないから、レイレイが背を向けなければシージエも動けないのかと気づいた。


 レイレイは背を向けると、一目散に駆け出した。転ぶことなく駆け抜けることができたのは、今は絶対に転んではいけないと気を張っていたからだろうか。駆け去るレイレイの背中を、シージエはどんな思いで見届けていたのか。

 なるべくそれを考えないようにした。今は無性にルーシュイに会いたかった。


 北門を抜けた先に、ただ立って待つしかなかったルーシュイがいた。そばにはユヤンの次官、チュアンもいる。レアンはユヤンについているのだろう。

 そこにチュアンと番兵たちがいたから、ルーシュイのほっとしたような顔を見ても飛びつくことはできなかった。


「レイレイ様、お待ち申し上げておりました」


 輝く微笑を受けて、レイレイは泣きたい気持ちを抑えながらうなずいた。何故だか胸が苦しく、締めつけられるように痛んだ。


「うん……うん……」


 涙をこらえるレイレイに、ルーシュイとチュアンも何かを感じ取ったようだった。チュアンが素早く訊ねる。


「ユヤン様にお取次ぎ致しますか?」


 レイレイはとっさにかぶりを振った。


「今日はこのまま戻らせて。また改めてご挨拶に伺うから」

「鸞君のご気分が優れないご様子ですので、急いで鸞和宮に戻らせてもらいます」


 そんなレイレイを庇い、肩を抱いてルーシュイは段を下りていく。チュアンも止めることはなく、頭を垂れてレイレイたちを見送ってくれた。



 牛車の中、レイレイはルーシュイの背に腕を回し、きつく抱きつきながら震えていた。こうしていると、涙は自然と治まった。


「レイレイ様、何があったのかお訊ねしてはいけないことなのでしょうか?」


 心配そうにルーシュイはささやくとレイレイの背を撫でてくれた。


「……ごめんね。ルーシュイにも言ってはいけないことなの。でも、ルーシュイがいてくれたら落ち着くから、今はこうしていて」


 怖い夢を見た後も、こうしてルーシュイに抱き締めてもらうと恐ろしさが和らいだ。

 シージエの気持ちが迷惑だとか、そういうことではない。けれど、どうしてもルーシュイ以外の人が代わりにはなれないのだ。例えそれが皇帝であろうと。


 そのことをレイレイはこうしてルーシュイの腕の中で確かめていたのかもしれない。だから、シージエには申し訳ない気持ちでいっぱいになり、震えが止まらないのだ。


「御意のままに」


 ルーシュイの柔らかな声が、レイレイの心に優しく響いた。


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