九「隣で」
「レイレイ様!」
ルーシュイの声でハッと目を覚ました。薄暗い中、ルーシュイがレイレイの顔を覗き込んでいる。その表情はとても厳しかった。
「ル……」
「今、夢を見ておられましたね?」
ルーシュイの長い指がレイレイの涙を拭う。
体調はよくもならないけれど、悪化したわけでもなかった。ぼんやりとルーシュイを見つめるレイレイからルーシュイは顔を背けた。聞き分けがないと呆れられたのだろうか。
そう思ったのも束の間だった。ルーシュイはレイレイの背と膝の裏に手を差し込み、レイレイの体を抱きかかえた。
抵抗する力もないレイレイはただ目を瞬かせる。ルーシュイは腕をかすかに震わせながら感情を押し殺した声でつぶやいた。
「ここではレイレイ様が完全にお休みになることはできないのだとよくわかりました」
ルーシュイはレイレイを抱えたまま歩き出す。ふわふわと揺れる感覚にレイレイの意識が少し曖昧になっている。ルーシュイは扉を越えて更にどこかの扉を足を使って開くと、レイレイをどこか下した。
ここはどこだろうか。それほど遠くではなかったような気はするけれど、今はよく考えられない。
「まったく、こんな状況がどうして――」
ルーシュイが何かブツブツと言っていたけれど、疲れたレイレイは子守歌のように感じられた。ひたすら眠るレイレイはこの時、夢を見なかった。そばにルーシュイがいて、ルーシュイがレイレイをどんな夢からも遠ざけている気がした。
● ● ●
朝の光が差し込む部屋。レイレイはそっとまぶたを開く。
真っ白な寝台の上に寄った皺をなんとなく目で辿る。ぼんやりと、ここは自分の寝台ではないとだけ感じた。
そうだ、昨日、ルーシュイがレイレイをここに運び込んだのだ。
レイレイはこの時、ここ数日の不調が嘘のようにすっきりとしていると感じた。ゆっくりと体を起こすと、寝台の足元にルーシュイが横たわっていた。部屋はあたためてあるものの、この寒い時期に床で寝ていたら体が痛くなったはずだ。
ここはルーシュイの部屋、ルーシュイの寝台の上。
レイレイがルーシュイの場所を占拠してしまったのだ。
「ル、ルーシュイ」
レイレイはそっと呼びかけた。いつものルーシュイならばレイレイが起きた気配を察知しただろう。けれど呼びかけるまで目覚めないのは、ルーシュイもひどく疲れているからだと思えた。
ルーシュイは呼びかけに驚いて飛び起きた。体にかけてあった織物を押し退け、ルーシュイは寝台にすがる。
「レイレイ様、お加減はいかがですか?」
いつも完璧主義なルーシュイの髪が乱れていて、けれどそんなことに構っていられないといった気持ちが伝わる。
レイレイはクスリと笑った。
「それがすごくいいみたい。一日でこんなに違うなんてびっくりしたわ」
すると、ルーシュイははぁ、と大きなため息をついて項垂れた。
「それはよかった……。本当に、ここ数日で私の寿命が縮みました」
「あら、それは困るわ。ねえ、昨日は私が場所を取ってしまってよく休めなかったでしょう? ごめんなさいね」
ルーシュイは何かとても複雑な顔をして、そうして立ち上がった。
「……朝餉の支度をして参ります」
「あ、うん」
確かに元気になったら空腹も覚えている。ルーシュイの粥が食べたいけれど、ルーシュイも疲れているのだから無理はしなくていいと思った。
「ねえ、ルーシュイ、急がなくてもいいのよ。ルーシュイも少し休んだら――」
寝台の上からルーシュイの袖を引き、レイレイがそう言うと、ルーシュイは少し苛立った顔をして振り返った。そうして、寝台にドンと手をついたのでレイレイの方がびっくりしてしまう。
「ここは私の寝台です」
「え? う、うん」
そんなことはわかっている。それを言うのに何故その剣幕なのかはわからない。戸惑うレイレイにルーシュイは顔を触れ合うほどに近づけた。
「自分の寝台の上に、しかも寝衣であなたがいるという状況において、私の気が休まるとお思いですか?」
「え? あ、え?」
「具合が悪いあなたに悪さをしようとは思いませんが、そう平然とされても腹が立ちます」
怒られた。
レイレイが自力でここへやってきたわけではなく、ルーシュイが運んだせいだというのに。ルーシュイはレイレイのことを本当に心配してくれていたから、元気になったら疲れがどっと押し寄せてきたのかもしれない。
素直に悪かったな、とレイレイは思った。
ルーシュイの頬に手を添えて、反対側の頬に唇を寄せる。
「ごめんね、ルーシュイ。ありがとう」
感謝の気持ちを表したつもりだった。けれど、ルーシュイは深々と嘆息した。
「なんでしょう、わざとですか?」
「わざとって?」
「……いいです、わかってます。朝餉の支度をしてきます」
「うん、ありがとう」
パタン、とルーシュイが扉を締めた音が部屋に残る。ぐぅ、とレイレイの腹の虫が鳴いた。




