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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+比翼の章+

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四「小さな子」

 ユヤンからもらった猶予は後二日。

 二番目の夜を迎える前にレイレイは自分とも向き合った。もしかすると、レイレイにはもうひとつの選択肢があるのではないだろうか。

 鸞君であり続けるという。


 けれど、その時の鸞君護はルーシュイではない。他の誰かがルーシュイとすげ代わる。そうした日常を送るのだ。後宮に入りたくないと思うなら、それもひとつの方法である。

 などと考えて、レイレイはすぐに否定した。ルーシュイでない鸞君護とこの鸞和宮で過ごす。そんなことは少しも望んでいない。ルーシュイでなければ駄目なのだ。


 それが何故なのか。どうしてこんなにも彼に固執してしまうのか。そんな自分をレイレイは複雑な心境で分析する。


 表向きだけ優しげで、嘘つきで、怒らせると怖くて。冷たいこともいっぱい言われた。それでも、ルーシュイは少しずつレイレイを大切にしてくれるようになった。少なくともレイレイはそう感じたのだ。

 そばにいる安心感。包まれるとふわりと夢の中のような心地になる。


 ルーシュイが唾棄したツェイユーと今のレイレイは同じなのかもしれない。周りが見えず、ただ一人の背中を追う。

 醜いかもしれない。身勝手かもしれない。

 けれど、諦めるには傷が真新しく、乾ききらない。ルーシュイは背中の傷を塞いでくれたくせに、レイレイの心に傷をつけて去っていったのだ。


 もう一度、ちゃんと言葉を交わしたい。レイレイはそれを強く願って床に就いた。


 今度こそはしっかりと狙いを定め、ルーシュイの夢へと飛んだ。そのつもりだった。けれど、レイレイが見た夢は――



     ● ● ●



 大きく事務的な机が場所を取る、質実ながらに整った室内。肌を刺すような緊張感。そこにレイレイはいた。レイレイとしてではなく、誰かに同化していた。


『まだ、あまりに幼いな』

『しかし……』


 レイレイが同化する視線は低かった。以前、ヤーという男の子に同化した、あの時よりも低いくらいだった。小さな子供が、机の前で立派な深衣を身につけた官僚の男性とその部下らしき男に見下ろされている。この部屋は、それなりの身分のある者の部屋であるのだろう。

 部下の男が心底困った風に言った。


『しかしながら、鸞君のお言葉によりますと、この子供の父親は文牒(通行証)を偽造し、妻とした異民族の女と地方へ逃れたのです。両親は流罪、温情をかけられたとしてもこの子供は奴婢に落すところが妥当かと』


 小さいけれど、男の子は自分の身に起こったことを大人たちが思う以上に正確に捉えていた。仲のよかった父と母の結婚は許されざるものであったと言うのだ。その罪を今暴かれた。――それを罪とするのならば、だが。

 役人に取り押さえられ、引き裂かれ、穏やかだった家庭はすでに崩壊した。


『この子に罪はない』


 怜悧な面立ちをした官僚の男性が悲しげにつぶやくと、その部下は心外だとでも言うような目をした。


『蛮族の血の混じった子供ですよ。存在そのものが汚らわし――』

『君、子供の前でなんてことを!』

『どうせ意味なんてわかりませんよ。親と引き離されても泣かないし、ぼうっとして気味が悪いじゃないですか。蛮族の血が混じっているせいで頭がイカれてるんじゃありませんかね?』


 レイレイも、彼の言い分のひどさに愕然とした。上官がたしなめても彼は聞かない。


『うちの父親は蛮族に射殺されたんですよ。あいつらは私たちとはそもそもの道徳が違うんです。獣と同じなんです』


 その憎しみが幼い目の前の子供に向く。それこそ、彼のせいではないけれど、その歪みを正す言葉を幼い彼が持つわけではなかった。だから黙っていた。


『もういい。下がりなさい』


 上官からため息交じりに言われ、部下は顔をしかめて子供を睨みながら室を去った。上官の男は疲れた顔で眉根を寄せ、それから静かに佇む子供の前に膝を折った。それは貴人としては相応しくない行いであった。それくらいは僻地で育った子供にもわかった。


『君の名前は?』


 貴人が問うても子供は答えなかった。ずっと押し黙って感情を見せない。

 子供は静かに怒っていた。優しい両親を奪い、引き裂いた彼らを。この国を。

 答えなかった子供に彼は言った。


『私は戸部尚書ユーシュという。君の名前を教えてほしい』


 けれど、子供はユーシュと名乗った男に名を教えるつもりはなかった。この男は家族を引き裂いた。そんな男に名を呼ばれたくなどない。

 この子供の強情を、ユーシュは心の傷がこの子から言葉を奪ったと思ったのかもしれない。悲しそうに言った。


『助けてやれなくてすまない。けれど、せめて君だけは……。しかし、名前を呼べないとどうしていいかわからないな。本当の名前を教えてもらえるまで、君のことを仮の名で呼んでもいいかな? ――ルーシュイ、君のことをそう呼ばせてもらうよ』


 小さなこの子はルーシュイ。

 異民族の血を半分持つ男の子。家族を奪われ、憎しみに身を焦がす。

 彼は幼すぎるこの日、こんな国は滅んでしまえと願ったのだった。


 レイレイは幼い日のルーシュイに同化し、その子供らしからぬ憎しみの強さに愕然とした。

 戸部尚書ユーシュは優しい男性だった。心に傷を負った男の子を保護し、養子とした。ユーシュの酔狂を尚書礼が皇帝に取り成してくれたのだと言う。

 ユーシュはルーシュイの出自を伏せた。体裁ではない、彼の将来を思ってのことである。ただ、ルーシュイは自分の血を恥じたことはない。


 ルーシュイは考え方を変えることにした。

 この国を真に憎むのなら、すべてのものを利用してこの国の災いとなってやろう、と。だから、この優しい義父のことも利用してやろうと思った。


 ルーシュイはそれからユーシュに心を開いたような演技を続けた。その妻にも懐いた素振りをしてみせた。自らの出自のことも幼すぎて何も覚えていないという顔をしておいた。


 そうしていると、ある日、義父母がルーシュイを腫れ物でも扱うかのように接した日があった。勘のいいルーシュイはすぐに気づいた。

 実父母のどちらか、あるいは二人が死んだのだろう、と。そこからは何もかもが腹立たしくなった。


 勉学に励み、武術を極め、目を見張るほどの成長を遂げるルーシュイ。けれど、その裏にあったのは常に復讐心である。それを見破られるほど愚かではないつもりであった。人当たりよく、穏やかに微笑を浮かべる。


 成長したルーシュイは、官僚になるための科挙ではなく、武人になるための武科挙を受けることにした。科挙に合格する自信がなかったわけではない。ただ、武人になった方が面白いことができるような気がしたのだ。

 戦線でこの憎しみを解いたらどうなるだろう。刃はどこへ向かうだろうか――


 鬱積した感情の捌け口をいつも探していた。

 武科挙を状元で合格し、これからのことを考えてルーシュイは実の家族と別れてから初めて高揚した気分を味わっていた。そんな彼の配属先は兵部ではなかったのだ。


 ルーシュイはその力量を見込まれ、この国で神聖な存在とされる『鸞君』の警護を任されることが決まった。最初は予定とは違う成り行きに、ルーシュイは不満を覚えていたのだけれど。

 ただ、鸞君のことを詳しく説明されてぞくりと肌が粟立った。


 『鸞君』――そう、幼いあの日、その言葉を確かに聞いていた。鸞君が、ルーシュイの家族の崩壊の引き金になったのではなかっただろうか。

 鸞君は市井の民の心を、民の不正を、諸所を見通す力を持つのだという。

 鸞君は、誰に対しても公平であるべく、過去の記憶を消して役目を全うする。そうして、その鸞君は歳若い娘であることが多い。


 ルーシュイが護るべき鸞君も少女であった。

 白い寝台の上に白い寝衣で横たわる乙女。流れるような黒髪に肌の白さが際立つ。微かに上下する胸に手を組み、眠っている。乙女は神聖と呼ぶには十分な姿であった。


 未だ目覚める気配のない乙女を見下ろし、ルーシュイは薄く笑った。これはこれで、きっと楽しい復讐劇になるのではないかと――


 レイレイはルーシュイの心の闇に愕然とした。あの微笑の裏に隠し持ったものは、レイレイが思う以上に根が深い。ルーシュイにとってレイレイはひとつの道具に過ぎなかったのである。


 そこで、レイレイが見ている夢が歪んだ。強い圧力が体にかかる感覚がする。そうしたら、まるで嵐に遭ったように風景が目まぐるしく崩れた。


(何、これ……)


 こんなことは初めてだった。戸惑いを感じたレイレイの意識は、その後すぐに寝台の上で覚醒した。はあはあ、と息が上がっていた。

 体力の消耗が激しい。もしかすると、ルーシュイはレイレイが来たことに気づき、レイレイを拒絶したのではないだろうか。


「ルーシュイ……」


 名を呼ぶと、涙がはたりと零れた。

 吹き荒ぶ寒風のような心。誰にも心を許さず、頼る気持ちを持たなかった。自分でなんでもできるようになろうと思った、そう言ったルーシュイの言葉が今思い起こすとひどく悲しかった。


 普段は人に親しみなど見せないルーシュイが、異民族のフェオンにだけ優しかったのは、その身に流れる血のためだ。今になってそれがはっきりとわかった。


 そんなルーシュイがレイレイを気遣い、護り続けてくれたと思うのは傲慢なことだろうか。彼の心に他人の居場所などないのか。ルーシュイにとって大切なものなどどこにもないのだろうか。


 次の夜が最後。期限が来る。

 ルーシュイはまた、レイレイを拒絶するだろう。ルーシュイの心の一端を知った今となっては尚のこと、ルーシュイに近づくことは難しくなったのではないだろうか。


 けれど、このまま終わりにはしたくない。ルーシュイの心にも確かなぬくもりがある。本人がそれをしまい込んで隠してしまうけれど、レイレイはそれを感じたのだ。自分に向けてくれた優しさを、レイレイは偽りだとは思いたくない。


 次が最後というのなら、レイレイも相応の覚悟を持ってぶつかるだけだ。後がないなら、必ず心を伝えようと。


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