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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+恋慕の章+

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六「決別」

 牛車は宮城の門を潜る。二人が牛車を降りると、そこにはユヤンの次官の童子たちがいた。二人は恭しく頭を垂れると、表情らしきものを浮かべずに言った。


「ユヤン様からお二方をご案内するように仰せつかっております」

「陛下とユヤン様がお待ちです。こちらへ」


 レイレイとルーシュイは顔を見合わせた。皇帝まで同席するというのだ。同席といっても、姿を現すわけではないだろうけれど。

 童子を案内人に、レイレイとルーシュイは歩いた。前にここへ来たことが遠い昔のように感じる。


 玉座が近づけば近づくほどに、切り離された空間のような空気の違いがある。

 荘厳な間に、この国で最も尊い存在が座す。その手前にユヤンが控えていた。そこだけぽうと明かりが灯っているように感じられる存在だった。


「来たね。ようこそ」


 にこり、とユヤンは優しく微笑む。ルーシュイはその場にひざまずいた。レイレイはぺこりと頭を下げた。


「お久し振りです、ユヤン様」


 すると、ユヤンはそっとうなずいた。


「鸞君護から今朝、文をもらった。君は随分と物事にのめり込んでしまう性質のようだね」


 何やらユヤンに告げ口をされたらしい。レイレイが無茶をしすぎるから、叱ってほしかったのだろうか。

 しかし、レイレイ自身でさえもこんな主に仕えたいとは思わない。ルーシュイには申し訳なかったと目を向けたけれど、彼は顔を上げなかった。


 ユヤンはふぅ、と嘆息する。


「それで、君を官職から解いてほしいと」

「え?」


 レイレイはぽかんと口を開けてしまった。一瞬、意味がわからなかった。けれど、ユヤンは淡々と語る。


「実際、任期を待たずして鸞君がすげ変わることはあるのだが、君の場合はそのうち取り返しのつかないことになると彼は言うのだ」


 ルーシュイがレイレイの解任を願い出た。どうやらそういうことらしい。それをレイレイに内緒でここに連れてきた。

 レイレイの心は波風が立ったように落ち着かない。これはルーシュイに対する苛立ちだろうか。レイレイの意志を確かめず、勝手に物事を進めるルーシュイへの――

 ユヤンはレイレイを通り越し、背後のルーシュイへ声を飛ばす。


「君の嘆願を陛下が承認してくださった」


 そのひと言にレイレイは愕然としてしまった。皇帝がレイレイの解任を決めたのだと言う。これではあまりにあっけない幕切れではないか。

 ルーシュイは畏まって更に頭を低くした。


「ありがとうございます」


 何か、何か言わなければと思うけれど、言葉が喉の奥につっかえて出てこない。レイレイが困惑していると、帳の後ろで皇帝が動いたのがわかった。


「いくら職務であろうと、か弱い女性が命を落とすような無茶はいけない。鸞君も我が民の一人なのだからな」


 皇帝が、はっきりとした口調で高みからそう告げたのだ。以前はユヤンを通してしか意思を語らなかった。それが、はっきりと。


 ただ、その若々しい声には聞き覚えがあった。記憶を失い、知り合いと呼べる人間のほとんどいないレイレイに覚えがある。それはとても限られた範疇であった。


 シャラリと頭の前後で揺れる冕冠べんかんを被り、黄色の袞衣こんいに身を包んだ装いは、他の誰かが真似できる格好ではない。間違いなく皇帝その人である。

 けれど、その冕冠の奥の勝気な瞳は、道端で会った時と少しも変わらない。


「シージエ?」


 思わずレイレイがつぶやくと、ルーシュイはハッとして顔を上げた。皇帝は堂々と階段を下りてレイレイの前に歩み寄る。ユヤンは複雑そうな面持ちだった。


「シージエというのは幼名だ。即位してからはフーシエと名乗っている。あまり呼ぶ者のいない名だがな」

「え、あ、あの……」


 頭が真っ白になったレイレイに、皇帝は悪戯っぽく微笑んだ。


「昔から城を抜け出して歩き回ってきたんだ。いずれ自分が治める国なら尚更、この目で見て回らないことには愛着も湧かないじゃないか」


 そうした砕けた話し方を市井で学んだのだろう。皇帝の装いでは違和感でしかないけれど、庶民への溶け込み方は見事だった。


「即位されてからは控えてくださいますようにとお願いしておりますのに、まったく……」


 ユヤンがぼやいても皇帝はどこ吹く風である。クスクスと笑っていた。


「外を歩くとよくレイレイがいた。いつも一生懸命で見所があると思っていたけれど、どうにも一生懸命すぎるようだ」


 それから、皇帝はルーシュイに目を向けた。


「鸞君護、君はいつも私を警戒していたな」


 ルーシュイは困惑しつつ、それでもぽつりとつぶやく。


「申し訳ございません。けれど、これでようやく謎が解けました」

「うん?」

「知り合って間もない女性のそばに、身内とも思えないような男が常に付き従っているというのに、陛下は私のことを一度もお訊ねになりませんでした。それが引っかかっていたのです」


 そう言われてみるとそうだった。シージエはルーシュイがレイレイのなんなのか、二人の関係を一度も訊ねなかった。それに、レイレイのことも必要以上に詮索しなかった。


 興味が薄いのだと思ってレイレイは気にも留めなかったけれど、それはシージエにとって訊ねる必要のないことだったのだ。訊ねずとも答えを知っていたのだから。

 フェオンのこともあまり深くは訊ねなかった。それも、皇帝としてことの顛末を知るからだ。


「ああ、なるほど。そうか、次からは気をつけよう」


 ルーシュイはひたすら畏まって顔を上げなかった。レイレイはそんなルーシュイの様子に不安を覚えた。ドキドキと心臓がうるさく、人の声が耳鳴りのように響く。


「それで、彼女を官職から解くとして、だからといって民間へ戻すことはできぬが、それでもよいと言うのだな?」


 ユヤンの落ち着き払った言葉に、ルーシュイは初めて顔を上げた。強張ったその顔にユヤンは続ける。


「もともと彼女は後宮へ入る予定の娘であったのだ。鸞君の位から退くのであれば、その身柄は後宮へ移ることになる」


 レイレイは自分のことだというのに、他人事のように呆然と立ち尽くしていた。後宮ということは、シージエの妾妃になるということである。

 ルーシュイはそこまで予測していなかったのかもしれない。驚きの色が瞳に浮かんでいた。けれど、再び顔を伏せると感情の読み取れない声で答えた。


「それは女性として最高の誉れでしょう。陛下がレイレイ様をこうしてくださいますのなら、それがレイレイ様にとって何よりのことかと」


 すると、シージエは冕冠を鳴らしてうなずく。町で会った時には感じたことのないような品がその仕草にはあった。


「彼女は寵を競い合う妃たちとは違い、そばにいて安らぎを与えてくれる。彼女のもとへならば足を運ぶのも悪くはないな」


 レイレイが驚きに目を見張ると、シージエはまっすぐな目をレイレイに向けて微笑んだ。本気で言っているのだろうか。ツェイユーの恋は当人が思う以上に困難なものであった。そうして、レイレイにとっても人事ではなかったのだ。


「それでは、彼女から鸞の霊力を抜き、別の鸞君を探さねばなりませんね。手続きを済ませるまで、彼女は我が家で預かりましょう」


 ユヤンはシージエにそう告げた。後宮に入るにも色々と段取りは必要なのだろう。そうして取り決めがなされる中、レイレイは段々と腹立たしさが込み上げてきた。腹立たしさと表現するには少し違う――これは寂しさだろうか。


「では、何卒よろしくお願い致します」


 排手拝礼すると、ルーシュイはその場を立ち去ろうとした。遠ざかる背中をレイレイはとっさに追う。シージエもユヤンも止めなかった。


「ちょっと、ルーシュイ!」


 ルーシュイの深衣の背中をつかむと、ルーシュイは立ち止まって首だけを軽くレイレイに向けた。


「どうして何も言わずに連れてきたの! 解任とか、後宮とか、わたしの意思は?」


 言いながら、涙の味が口の中に広がるようだった。皇帝がそばにいるというのに、後宮行きを嘆く不敬を気にしているゆとりがなかった。けれど、ルーシュイはあっさりと言った。


「仕方がないでしょう?」

「仕方がないって……っ」


 ルーシュイは深々と嘆息する。


「仕方がないのですよ。レイレイ様は鸞君には向いておられないのですから」

「そんなの、まだこれから――」

「いいえ、続けていたら身を滅ぼします。素直に陛下の庇護を受けて健やかにお過ごしください」


 そうして、ルーシュイは深衣をつかむレイレイの手を解いた。レイレイはそれがひどく悲しかった。


「……ルーシュイはわたしみたいな主が嫌になったの? わたしは面倒くさいから、他の人にしてほしいって思うの?」


 自分で言って更に悲しくなった。少しずつ信頼関係が築けていると感じていたのはレイレイだけだったのかもしれない。

 ルーシュイは麗しく、完璧な微笑を浮かべた。それは目覚めて間もなく向けられたものに酷似していた。そこに親しみはない。


「そう思って頂いても構いませんよ」


 後宮に入ったら、皇帝以外の男性とは会えなくなる。ここで別れたら、それがルーシュイとの今生の別れである。ルーシュイにもそれはわかっているはずなのに、上辺だけでも別れを悲しんではくれなかった。

 この寂しさは、あの時のフェオンが感じたものと同じだろうか。


「レイレイ様――いえ、あなた様は本来のお名前を取り戻されることでしょう。もうこの名も必要ございませんね。それでは、どうぞお健やかに」


 二度と振り向かない背中は、レイレイの涙に惑わされることもなく消えていった。ルーシュイはこれから別の鸞君を護らなければならない。いつまでもレイレイに煩わされている場合ではないのだ。会えなくなることを寂しいと思うのはレイレイの方だけだった。


 胸が痛む。刑罰で打たれた時よりも、この痛みは消えない。

 そんな予感がした。



 《 恋慕の章 ―了― 》


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