二「恋焦がれ」
その晩のこと。
レイレイはどうにもあの娘のことが気になって仕方がなかったらしい。あの後どうなったのかな、と考えてしまったせいか、気づけば彼女の夢の中にいた。
『――だから、いくら治安のいい城市でも危ない。もう少し気をつけて歩かないとな。怪我はないか?』
と、あの娘に向かって釵を差し出したのは、勝気な瞳をした少年だった。
いきなり背後から突き飛ばされて前に倒された時、小さな男の子が彼女、ツェイユーの髪から数本の釵を抜き取ったのだ。それを、すぐそばにいた少年が取り返してくれた。子供にしっかりと言い聞かせ、ツェイユーに謝らせた後、釵を差し出してくれた。
なんて正しい、まっすぐな目をした人だろうと思った。ドクリ、とその微笑に胸が高鳴る。
『あ、ありがとうございます。あの、私はツェイユーと申します。父は商人をしております。助けて頂いたお礼をしたいのですが、まずお名前を教えてはくださいませんか?』
すると、少年は苦笑した。
『俺はシージエ。礼は要らないから、次は気をつけて歩けよ』
見ず知らずの自分を助けてくれた上、礼は要らないと言う。その高潔さにツェイユーは心が震えた。
夢の中、彼女と同化しているレイレイは叫びだしたいような気持ちになった。シージエが彼女の想い人だったとは――
● ● ●
彼女はあそこでシージエを探していたのだ。けれど、名前しか知らない彼を探す手がかりはない。危うく見えたのは、シージエがやってきて、ぼんやりしていては危ないと注意してくれるのを待っていたのかもしれない。
「シージエったら、気が利かないんだから」
起き抜けに思わずレイレイはぼやいていた。
ちゃんと次に会う約束を取りつけてくれていたら、彼女は待ちぼうけをしなくて済んだ。
ここはひとつ、レイレイがシージエを捕まえて彼女のところへ連れていってあげたいと思った。
けれど、よくよく考えてみると、レイレイもあれ以来シージエに会っていない。どこに住んでいるとも、何をしているとも答えられないのである。
探してみると見つからない。そんなものなのだ。
レイレイは試しに二度寝してみたが、シージエの夢には辿り着けなかった。時間帯のせいだろうか。それとも、シージエが早起きなのだろうか。
すっかり寝坊したレイレイを、ルーシュイが戸を叩いて起こしにきた。
「レイレイ様、まだお休みですか?」
「あ、もう起きたから!」
慌てて着替えを済ませると、レイレイは部屋の外へ出た。ルーシュイにはさっきまで寝ていたこともすぐに気づかれただろう。
「おはようございます」
乱れた髪にさらりと手櫛を通された。ルーシュイはためらいなくレイレイに触れる。寝跡でもついていないかと不安になりつつ、レイレイはルーシュイと広間に向かった。
粥がいつもよりも少し冷めてもったりとしてしまっているのは、間違いなくレイレイの二度寝のせいである。責任を取るべく、ふやけて量の増えた粥を食べつつ、レイレイはルーシュイに訊ねた。
「ねえねえ、ルーシュイ。わたしシージエに会いたいのだけれど、どこへ行けば会えると思う?」
すると、粥をすくっていたルーシュイは木杓子をカタ、と鳴らした。手が滑ったのか、改めて握り直す。
「……急にどうされたのですか?」
どこか冷ややかに聞こえる声。レイレイはそれを不思議に思いながらも夢の話をした。
「うん、昨日の彼女の想い人はシージエみたいなの。でも、彼女はシージエとどうすればもう一度会えるのかわからないみたいで、それでああして待っていたのよ」
すると、ルーシュイは低く、ああ、とつぶやいた。
「そういうことでしたか。しかし、我々も彼とはただの行きずりです。よく外をふらついているようですが、もう一度会えるかどうか」
意識していない時はばったりとよく会い、捜すと会えない。そんなものなのである。
「うん、フェオンのことを知らせてあげられていないのも気になっていたの。シージエの夢に行けたらと思ったんだけど、時間が合わなかったのか、できなかったの。また今日辺り試してみるけれど」
すると、ルーシュイは聞こえよがしに嘆息した。
「他人の色恋に首を突っ込むのは感心しません。それよりも他のことに目を向けるべきではありませんか?」
「でも、あのまま待ちぼうけじゃ可哀想でしょう?」
レイレイがそう答えると、ルーシュイは冷めた目を向けた。夏の気候の中で、こうもひんやりとした顔をする人も珍しいのではないだろうか。
「そうは仰いますが、シージエを引き合わせてみて、当人にその気がなかったり、恋人がいると発覚したらどうなさいますか?」
「え!」
そんなことは露ほども考えてみなかった。あんな可愛らしい健気な女の子に好かれて嬉しくないはずがない、と。
戸惑うレイレイに、ルーシュイはにこりと笑った。
「あそこで待って出会えないのならば、それだけの縁ということです」
それから、とルーシュイは釘を刺す。
「シージエの夢には赴かれませんように。彼にはレイレイ様の顔も覚えられていますし、特定の人間とあまり近づきすぎるのは好ましくありません」
くどいほどにルーシュイは首を突っ込むなと言う。困っている人の助けとなるのが鸞君の役目ではないのか。
しかし、恋する乙女がいる、と皇帝やユヤンに進言するのも憚られる。この件はこのまま見送るべきなのだろうか。
そうは言うけれど、気にするなと言われるほどに気になるのが人間である。ただ、ルーシュイの感覚では他人の色恋は厄介事でしかないらしい。ツェイユーの様子を見に行きたいと言っても断られるだろう。
仕方がないので、レイレイはツェイユーの夢を訪れることにした。




