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二「鸞和宮」

 寝台の上のレイレイにルーシュイは手を差し伸べた。その所作は美しく、当人もそう見えるように意識をしているのではないかと感じられた。


「ではレイレイ様、あちらに女官がおります故、お召し替えを。その後で詳しくご説明させて頂きます」

「あ、はい」


 レイレイはその手を取った。見かけの優美さの割に肉刺まめのある硬い手の平だった。

 ルーシュイは無垢なレイレイに蕩けるように甘く微笑んだ。もともとの顔立ちが柔和なので、ほんの少しの笑みでさえもそう見える。


 そうしてルーシュイに連れられて室外へ出ると、先に広がるのは見事に整えられた中庭であった。刷毛(はけ)で刷いたようにゆるやかな曲線を描く木々、春の白花。澄んだ水の流れる小川と石を丁寧に組み上げた意匠の池、そこにかかる朱塗りの橋。レイレイが立つ回廊が囲む建物は、細工の細やかな格子窓と太く丈夫そうな柱も朱色で目にも鮮やかだった。

 上から下から物珍しげに見回していると、そんなレイレイをルーシュイが笑顔で見守っていた。


「建物にはすべて梧桐(あおぎり)を使用しております」


 ふぅん、とレイレイは小さく零した。外見の華やかさに目を奪われはするものの、木材が何かにまでは興味がなかった。


「立派なところね」

「ええ。ここは城市(みやこ)の東、鸞和宮(らんかぐう)。レイレイ様のお住まいとなります」


 そう言われても少しもしっくり来なかった。


「こんなに立派なところに、わたしが?」


 小首をかしげたレイレイにルーシュイはうなずく。


「それだけ重要なお役目を担うということでございます」


 またしても年頃の娘なら頬を染めて見入りそうな微笑を浮かべるけれど、今のレイレイにそのゆとりはなかった。うぅん、と唸るだけである。


「わたしが……?」


 ルーシュイはレイレイを導く。回廊の板を踏み締めて向かった途中にはひとりの女官がいた。控えめな(かんざし)、双髷に結い上げた頭を深々と下げ、ひざまずいている。


「彼女はシャオメイ。あなた様の女官です」


 顔を上げなさいとルーシュイが指示すると彼女は顔をレイレイに向けた。


「シャオメイと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」


 緊張のせいか表情に乏しい顔であった。レイレイよりも二、三歳は年長であろうか。すっきりとした顔立ちは有能そうに見えた。きっちりと合わせた襟に隙はない。シャオメイはサッと無駄のない動きで裾を正す。


「レイレイです。こちらこそよろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げると、シャオメイも困惑した様子だった。ルーシュイも苦笑している。


「お目覚めになられたばかりで、鸞君は本当に何もご存じではないのだ。これからご説明させ頂く故、とりあえずお召し物を調えて差し上げてくれ」

「畏まりました」


 シャオメイは排手排礼するとレイレイを(いざな)った。通された部屋はとにかく広い。

 敷かれているのは、藍と蒼に染められた毛織物。先ほどの簡素な寝台とは違う、豪奢な紗の天幕のついた寝台がある。その他に鏡台、机、椅子どれをとっても真新しく、流れるような木目を浮かべて艶々と光っていた。さぞ手のかけ甲斐があっただろうと思わせる大きさの屏風には、墨の濃淡で描かれた鶯が花を啄ばんでいる。


「しばしお待ちください」


 レイレイを一人部屋に残すと、シャオメイは一旦下がった。そうして衣服を数点手にして戻ってくる。それとレイレイを見比べ、そうして桃色の衣を選んだ。


「では、失礼致します」


 シャオメイは淡々と、事務的にレイレイの帯を解いた。薄物一枚になるけれど、特に恥じらいもなかった。むしろそれを当たり前のように感じたのは、もしかすると以前からこうして誰かに着替えを手伝ってもらっていたのかもしれない。

 手際よく着つけると、シャオメイはレイレイを鏡台の前に座らせた。広い鏡の前に桃色の襦裙と濃紺の裳を着用した乙女の姿が映る。紗の襦裙には繊細な糸で梅花が象られていた。


「いかがでございますか?」

「うん、綺麗な衣ね」

「お気に召して頂けてよろしゅうございました」


 シャオメイはほっとした様子でそう言った。


「もっとも、鸞君のようにお美しいお姿でしたら何をお召しになってもお似合いのことと存じますが」


 主を褒めそやすのも女官の務めなのだろうか。レイレイは深く考えず、素直に受け取ることにした。


「ありがとう、シャオメイ。でも、鸞君って呼ぶのはやめて。レイレイって呼んでね」

「は、はい。レイレイ様、ではお(ぐし)はどう致しましょう?」


 シャオメイは黒塗りの櫛でレイレイの髪を梳いた。けれど、レイレイの髪は梳く必要などないほどにまっすぐに伸び、櫛は滑り落ちる。


「美しいお髪ですね。結ってしまうのが惜しいくらいです」


 ほう、と感嘆のため息が漏れた。


「そう? じゃあ結わなくてもいいわ。このままで」


 レイレイがそう言うと、シャオメイは苦笑し、大半の髪はおろしたままに両端の髪を後ろでゆるく止めてそこに花飾りをつけてくれた。そうしたら、レイレイの隠れていた耳元があらわになり、左耳に小さな球状の玻璃と紺の房のついた耳飾が見えた。


 鸞君とやらになる前から身につけていたものだろうか。どうやらレイレイは深く物事を突き詰める性質ではないようで、それ以上気に止めなかった。


「では参りましょう。ルーシュイ様がお待ちでございます」



 レイレイの身支度が整うと、シャオメイはレイレイを広間らしき場所へ連れていった。

 ルーシュイは格子窓を眺めながら蹄鉄(ていてつ)椅子に腰かけていた。その名の通り上から見ると馬の(ひづめ)の形をした背もたれの椅子である。ルーシュイはその背もたれにもたれかかっていたけれど、レイレイの姿を認めると厳しい表情を解いて微笑んだ。カタリ、と小さな音を立てて立ち上がる。


「ああ、よくお似合いですね」

「そう? ありがとう」


 レイレイも笑って返した。シャオメイは拝礼すると静かに下がる。ルーシュイはレイレイにも座るように促した。赤みを帯びた紅木の机を挟み、二人は向き合う。

 ルーシュイは組んだ両手を机の上に下ろすと神妙な顔つきで言った。


「ええと、まず重要なことからお話致しますね」

「ええ、お願い」


 ルーシュイはそっとうなずく。窓から差し込む柔らかな日差しと格子の影がルーシュイの頬に当たっていた。


「この朋皇国は建国より代々皇帝陛下がお治めくださっております。そのことは覚えておいでですか?」

「うん、なんとなく」

「その皇帝陛下をお助けする鸞君の役割は覚えてはおられないのですね?」


 頭の中がぼんやりとしている。レイレイはうなずいた。


「鸞君って、一般的に皆が知っている存在なの?」


 そう問うてみると、ルーシュイはええ、と返事をした。


「もちろんです。皆、皇帝陛下をお助けする神聖な存在として鸞君を崇めております。ただし、どのようなお力をお持ちなのか、どういうお方がその任に就かれるのか、そうしたことは民間には秘匿されております」


 だとするなら、レイレイが知らないのも無理はないのではないだろうか。きっと、覚えていないのではなく、もともと知らないのだ。

 ルーシュイはようやくレイレイの目を見た。


「まず、『鸞』というのは、絢爛たる青い翼を持つとされる瑞鳥でございます。国が正しく治められている時に姿を現すとされております。朋皇国第三代目皇帝陛下の御世に降り立った鸞は、その治世の穏やかさに悦び、己の羽根を皇帝陛下に分け与え、この泰平の世を持続せよと告げたそうです」


 ただの鳥ではないのだから、喋ったとしても不思議はないのか。レイレイはどうでもいいことを気にしてしまった。ルーシュイはそんなレイレイに構わず淡々と続ける。


「その羽根には不思議な力があり、その羽根に選ばれた人間は鸞のように飛び立てるとも、未来を見通すとも伝えられております。まあ、それは多少の脚色された伝承のようですが」

「そうなの?」


 少なくとも、レイレイにはそんなことができるとは思えなかった。選ばれたというのなら、何故レイレイを選んだのか、その根拠が知りたい。


「本当に、どうやって皇帝陛下をお助けするのかしら?」


 少なくとも今、レイレイはごく普通の娘である。そのつもりだ。

 ルーシュイはレイレイの気持ちを落ち着けようとするのか、そっと表情を和らげた。


「どのようにと私が申せるものではないのですが、時が来ればおわかりになるのではないかと」

「ふぅん」


 その時とやらはいつなのか。本当に自分は感じ取ることができるのか。残念ながらレイレイにその自信はなかった。


「正二品の大事な官職でございます。どうぞご自分をお信じください」


 にこり、とルーシュイは微笑む。薫風のような爽やかさであった。不思議な安心感がある反面、どこか作り笑顔にも見える。出会ったばかりなので仕方がないとはいえ、ルーシュイはつかみどころがなかった。


 レイレイがそんなふうに考えていると感じたのか、ルーシュイは不意にじっとレイレイの目を見つめた。それはまっすぐ、誠実に。


「私は鸞君護として任命された以上、どんなことがあってもあなた様をお護り致します」


 眉目秀麗な青年にそう言われて嬉しくないわけではないけれど、レイレイにはまだどこか他人事のようであった。それに、穏やかなルーシュイに荒事は似合いそうもない。どのようにして護るというのだろうか。

 そこでふとレイレイは思った。


「ルーシュイはもしかして方士なの?」


 方士とは、摩訶不思議な術を使うことができる存在である。神仙の住む仙界へ行くこともできるようになるというのは眉唾かもしれないけれど。そうした知識がふと浮かんでくる。

 ルーシュイにしてもらった国の話も、今更になって知っていたような気がする。これは目覚めて時間が経ったからこそ、必要な知識だけが浮かび上がってきたということだろうか。


 ルーシュイは術により結界を張り、災厄や外敵の進入を防ぐという役割を持つのかもしれない。ルーシュイが言うのは、そういう意味での護るということだろう。


「方術と、傷を癒す程度の巫術(ふじゅつ)も扱えます。鸞君護としてそれは絶対条件ですから」


 そうしてルーシュイはじっとレイレイを見つめて言った。


「レイレイ様がお目覚めになったことは陛下も感じ取られたことでしょう。じきにお召しの勅旨があるかと思われます。どうかごゆるりとその時をお待ちください」

「うん、わかったわ」


 軽く返事をしてから、レイレイはそれが皇帝との謁見であると気づいた。国で一番偉い人との顔合わせだ。粗相は許されない。

 こんな右も左もわからない状態で謁見して大丈夫だろうか。そう思わなくはないけれど、行かないという選択はきっとできない。それは不可避のことである。ならば深く考えても仕方がない。

 それよりもレイレイは気楽に時間を過ごすことにした。


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