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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+兄弟の章+

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二「報われない努力」

『――いつまでそうしているつもりだ』


 ツァイホンをそうなじるのは、七つ年長の兄だった。将来を嘱望された吏部侍郎。妻との間に二人の娘がおり、その上、三人もの美しい妾を持つ。うれうことなどひとつもない。あるとすれば、いつまでも科挙に受からずにくだを巻いている弟のことだろうか。


『次こそは――』


 そう言い返すも、聞き飽きたと突っぱねられる。


『この前も、その前もお前はそう言った。けれど、結果はどうだ?』

『金ならば、科挙に受かった暁に――』

『受からぬではないか。そもそも金の問題ではない。体裁だ。私の顔にこれ以上の泥を塗るなと言っている』


 兄は優秀だ。けれど、自分も昔は神童ともてはやされた。できないとは思いたくなかった。それを認めるには、すでに時を費やしすぎたのだ。


 兄が髭を蓄えた口元でため息交じりに弟の名を呼ぶ。


『ツァイホン。……次が最後だ。わかっているな?』


 まるで死刑宣告のように兄は言った。猛禽を思わせるような兄の目がスッと細まる。


『しかし、このままではいけない。私なりに手を打つことにした。お前は私の指示通りにするのだ。そうすれば、次こそ必ず受かる』

『そ、それは……』


 吏部侍郎の兄が手を打つと言う。その言葉の意味がわからぬほどに初心うぶではない。


『返事はどうした?』

『は、はい』


 ツァイホンの震える声に兄は鷹揚にうなずいた。

 兄はツァイホンの実力を、結局のところは信じてくれていない。結果も出せぬくせに信じろと言えるはずもないけれど、なけなしの自尊心が砕け散った。


 自らの存在の惨めさにツァイホンは部屋で書物を力任せに千切る。けれど、心は晴れない。鬱憤のはけ口がどこにもない。墨で汚れた爪の先が、惨めに震えていた。

 世の中を恨む気持ちだけがこうして鬱積されていく。



     ● ● ●



 レイレイは寝台でハッとして飛び起きた。朝の柔らかな日差しが室内に注がれつつも、レイレイは悪寒を感じて腕を摩った。寝衣の襟元が汗に濡れている。レイレイは額の寝汗を拭い、衣を着替えたけれど、悪寒は消えなかった。

 急いで広間へ向かうと、そこには朝餉の支度をしているルーシュイがいた。


「おはようございます、レイレイ様」


 ルーシュイはいつもと何も変わりない。その微笑を目にした瞬間に、レイレイはようやく自分を落ち着けることができた。徐々に体から力が抜けていく。


「おはよ……」


 レイレイの安堵が顔に出ていたのか、ルーシュイは目を瞬かせた。


「どうされたのですか? もしや、何か夢を見られたのでは?」

「うん。怖い夢だったの。でも、ルーシュイの顔を見たらほっとした」


 正直な気持ちを伝えると、ルーシュイは少しだけ珍しい戸惑いを見せた。もしかすると照れているのだろうか。けれどすぐに元に戻る辺りがルーシュイらしくもある。


「それはようございました。それで、怖い夢とはどういうものだったのですか?」


 カチャリ、とルーシュイは椀を並べながら問う。レイレイはためらいがちに夢の内容をルーシュイに語った。

 話が進むにつれ、ルーシュイの表情が次第に険しくなる。


「これ、陛下にお伝えしたらどうなるの?」


 恐る恐る訊ねると、ルーシュイは眉根を寄せてつぶやいた。


「科挙が始まってもいない現段階で摘発は難しいでしょう。陛下にお伝えすることで警戒はできると思うのですが、それにより吏部侍郎様の栄達に影が差します。ことは慎重にならねばなりませんね」

「う、うん……」

「幸い、次の科挙まで日があります。記憶に留めて様子を見ると致しましょう」


 ルーシュイの意見は的確だと思う。けれど、レイレイの胸にはくすぶり続けるツァイホンの感情がかげりとなって残っていた。


 ツァイホンは不正など望んではいなかった。上手くいかない現実に腐ってはいたけれど、科挙に合格する実力が自分にはあるはずだと考えていた。それを兄に否定されて傷ついていた。


 ならば、きっかけさえあれば未然に防げるのではないだろうか。ツァイホンを奮い立たせることができたなら、とレイレイは考えた。


 以前、シャオメイの父親に夢で会った時のように、レイレイがツァイホンの夢の中へ飛んで忠告すればいいのではないだろうか。そうしたら、ツァイホンは兄の計画が漏れていると気づいて不正を行わないはずだ。

 レイレイはその晩、夢でツァイホンに会いに行くことを決めた。


 まず、彼になんと告げようか考えながら眠りに着いた。夢の中の自分の衣服をしっかり記憶しておく。間違っても寝衣のまま現れたのでは威厳も何もない。

 ふわり、と意識が遠退く。ツァイホンは城市の中にいる。夢を訪れるのはそう難しいことではなかった。


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