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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+兄弟の章+

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16/102

一「弟」

 レイレイはその日、清々しい朝を迎え、いつものように身支度を整えると自室を出た。回廊を歩き、朝日をいっぱいに浴びて気分は上々である。うぅん、と大きく伸びをして、ふと中庭に目をやると、庭を掃き清めるルーシュイの背中があった。朝から働き者だ。


「ルーシュイ、おはよう」


 遠くから声をかけてみるけれど、反応がない。聞こえなかったのだろうか。仕方なくレイレイは中庭に降り、ルーシュイの背後から体を捻って顔を覗き込む。


「おは――」


 先が続かなかった。見上げたルーシュイには顔がなかったのである。つるりとした陶磁器のような面でも被っているのか、目も鼻も口もない。その異形にレイレイは堪らずに甲高い悲鳴を上げていた。心構えがまるでなかったのである。

 そんな悲鳴を聞いて駆けつけてくれたのは、これまたルーシュイであった。珍しく慌てている。


「レイレイ様! どうかされましたか!」


 軽やかな足取りで中庭へやってきたルーシュイは、厨にいたのか粥の甘い匂いがした。


「ルーシュイの顔がない!」


 と、ルーシュイに涙を浮かべて訴えるレイレイ。ルーシュイはというと、拍子抜けしたようにああ、とつぶやいた。


「これはですよ」

「しき?」

「ええ」


 ルーシュイがパチン、と指を鳴らすと、顔のないルーシュイは煙となって掻き消えた。その後に一枚の白い札が残る。びっくりして一歩飛び退いたレイレイにルーシュイは苦笑すると、札を拾い上げて懐にしまった。


「私一人でこの鸞和宮の雑務をこなすには無理がありますから、こうして式で作った人形で補っています。まあ、あまり複雑な動きはできませんが」

「疲れない?」

「ええ、大丈夫ですよ」


 にこりとルーシュイは答える。爽やかな笑顔の裏は見えない。無理などしていなければいいけれど。


「さあ、お食事にしましょう。ああ、レイレイ様の食されるものは式に頼らずに私自らが作っております。何かあってはいけませんから」

「うん、ありがとう」


 訊いてみないとわからないことがたくさんある。それを改めて感じた。

 そうして、促されるままに朝餉の席に着いた。ルーシュイはすぐに粥を運んできてくれる。それを手馴れた仕草で掻き混ぜて椀によそうルーシュイの手元を眺めた。柔らかな湯気に包まれているルーシュイは、男の人だけれど綺麗だと思う。


「ねえ、ルーシュイ」

「はい」


 愛想よく返事をしてくれたルーシュイに、レイレイも笑って訊ねた。


「今日はどこへ連れていってくれるの?」

「え?」


 レイレイの言葉にルーシュイは瞬いた。唐突に思われたのだろうか。


「だって、ずっと部屋にいるよりは外に出た方が何か手がかりがあると思うの」


 前回、レイレイが力を使った時も、市場で盗みを働いた少年と出会ったことがきっかけだった。

 ルーシュイはあまり乗り気ではなさそうな顔をした。レイレイが無茶をしそうだとでも思うのだろうか。


「それはそうですが」

「そうね、前は市場だったから、今日は民家の並ぶ辺りなんてどう?」

「はあ……」


 ルーシュイは渋々、わかりましたと答えた。これはレイレイのわがままではなく国のためなのだと思い直してくれたのかもしれない。



 民家と一口には言っても幅広い。城市は農村などに比べれば暮らし向きが豊かな家庭が多くとも、身分によってその差は大きい。どこへ向かうのかはルーシュイに任せることにした。


 道を歩けば、小さな子供たちが駆け回っていた。春先のあたたかさの中だけれど、子供たちならこれが真冬でも同じようにはしゃいでいるのだろう。微笑ましい光景だった。

 瓦の屋根が並び、そこに雀が舞い降りる。レイレイは柔らかな日差しの中で、この城市はのどかだと感じた。けれど、国はここだけではない。ここは国の中心に過ぎないのだ。


 例えば、城市の外にはシャオメイを操った領主もいた。近くの農村にはヤーたちのように貧しさや病に喘ぐ人々がいた。

 今のレイレイはまだ、そんなにも遠くを見通すことができていない。まずは近くの、手の届く範囲から始めるしかないのだ。焦っても仕方がない。


 顔を正面に向けると、十字に分かれた道の先に見覚えのある顔を見つけた。


「あっ!」

「どうされました?」


 ルーシュイが驚いて訊ねて来る。レイレイはルーシュイの袖を引っ張り、彼の耳に口を寄せてささやいた。


「あの子、ユヤン様の次官のどちらかじゃない?」


 左僕射、右僕射のどちらだかは判断がつかない。あのつり目とお下げ髪を覚えているだけだ。

 けれど、ルーシュイが目を向けた時にはあの童子の姿は人混みに紛れてしまっていた。


「まあ、何か使いを頼まれたのかもしれません。いたとしても不思議はありませんよ」


 それもそうかとレイレイは納得した。ただ、宮城の外で出くわすと思わなかったので少し驚いただけだ。

 あの童子に限らず、皆が忙しそうに見えた。日々の生活、仕事、ゆったりと過ごすゆとりがあるのは一部の人間だ。こうして歩いているレイレイたちは、傍から見るとどう見えるのだろう。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、背後から声をかけられた。


「レイレイ!」


 レイレイの名を呼ぶ知り合いなどほとんどいないはずである。若々しい張りのある声に、振り向く前からなんとなく思い当たった。


「シージエ」


 黒髪と勝気な瞳をした少年がそこにいた。レイレイたちの方へ小走りで駆け寄って来る。

 こうして会うのは二度目である。けれど、人懐っこい雰囲気のせいか、まるで古くからの知り合いのようにも思われた。


「また会ったわね。元気そうでよかった」


 レイレイがにこやかに言うと、シージエは照れたようにうなずいた。


「ああ、そっちも。時間が取れたから少し散歩してたんだ」


 シージエもまた、忙しく働く市民の一人なのだろう。正義感に溢れた優しい少年である。

 ルーシュイは無言でシージエを見下ろしていた。レイレイに害をなさないか、常にそれを警戒している。けれど、シージエはルーシュイを気にしている風ではなかった。シージエは誰に対してもそうなのだろう。


「今日はどうしたんだ?」


 シージエがそんなことをにこやかに訊ねてくる。


「え? わたしも散歩?」


 何をしているのかと言われても上手く答えられない。シージエはそれ以上詮索するつもりはなかったようで、そうかとつぶやいた。


「この城市の治安はいいけど、何が起こるかわからない。散歩も気をつけてな」


 笑顔を振り撒いて、そうして駆けて行った。元気な少年である。そう思ったら、振り返って大きく手を振ってもう一度駆け出した。レイレイも笑って手を振り返す。


「元気ね」


 隣のルーシュイに言うと、ルーシュイはまるで気のない返事をした。


「そうですね」


 ルーシュイはシージエのような熱血漢は嫌いなのだろうか。厳しいものの考え方をするルーシュイに、シージエは子供っぽく映るのかもしれない。そんなことを思っていたら、ルーシュイはぼそりと言った。


「馴れ馴れしいですね」

「え?」

「いえ、なんでも」


 ルーシュイは苦笑してレイレイを促す。


「しかし、この辺りを彼のような庶民が散歩して、面白いことなどあるのでしょうか。高官の邸宅がこの先には続いています。不審者と思われては面倒ですし。ああ、レイレイ様はそうしたご心配はされずとも結構ですが」


 高官の邸宅。確かに鸞和宮とはまた違った趣の屋敷が立ち並ぶ。鸞和宮は上質でありながらもどこか控えめであるのに対し、この辺りは逆に屋敷を目立たせるための工夫をしているような印象を受けた。聳える塔や白梅の枝が高い塀の外からでもよく見える。


 そうして眺めていると、レイレイはある屋敷の窓辺にひとりの青年の姿を見た。紙をびりびりと破いて窓の外へ捨てる。紙片が白梅の花びらに混ざって風に巻かれた。

 年の頃は三十歳前後だろうか。どこか印象が暗く、何かに苛立っているように見えた。けれど、服装などからして小間使いなどではなく、家人だろう。


「ルーシュイ、このお屋敷は?」


 レイレイが訊ねると、ルーシュイは屋敷を見上げて言った。


吏部侍郎りぶじろう様のお屋敷ですね」


 吏部侍郎、つまり官僚の人事を司る吏部の長官に次ぐ通半官である。


「吏部侍郎様って三十歳くらい?」


 すると、ルーシュイは少し困ったように声を小さくした。


「お姿が見えたのですか? それはきっと吏部侍郎様の弟君かと。科挙かきょ浪人の弟君が部屋住みでいらっしゃるとお聞きしたことがあります」


 科挙は官僚になるために通過しなければならない国家試験である。しかし、こうして受かることができずに十年以上の歳月を過ごす人もいるのだと、レイレイもおぼろげに知っていた。


 日々の苛立ち。それがあの青年の顔にははっきりと表れていた。もっと気を楽にして集中して勉学に励めたらいいのにと思うけれど、高度な勉学のつらさを知らないレイレイだからこそ、そう思うのかも知れない。


 ただ遠目に見ただけだというのに、あの薄暗い印象が春先の日差しを通り越えてレイレイに届くようであった。


「ルーシュイ、帰りたいな……」

「もうですか? まあ、構いませんが」


 ルーシュイは不思議そうだった。けれど、レイレイは早くこの場から去りたい気持ちでいっぱいになった。そのわけが、夜になって初めてわかった。


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