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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第一部+薬花の章+

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七「金銀花」

 どれくらい泣いていたのかわからない。けれど、そうしているとルーシュイの言葉の通りだという気になった。

 泣いているだけで何もできていない。知る力があったとして、その他のことは何ひとつできない。ルーシュイに言われた通りだ。


 けれど、何かがしたい。

 世の中の無情に嘆くヤーの痛みを知ったからには、彼のために何かがしたい。結果を待つだけなんて耐えられない。

 自分にできることは何か。何かできないのか。レイレイは考えて強く、念じる。


 例えば、季節はずれの金銀花の蕾がついた場所はないのだろうか。少しくらい遠かったとしても、もしその場所があるのなら知りたい。


 レイレイはギュッとまぶたを閉じて念じ続けた。そうした時、不意に体が溶けるようなおかしな感覚がした。夢を見ているわけではない。感覚は鋭く残っている。


 そこでレイレイは驚いてまぶたを開いた。部屋では感じたことのないような肌寒さを覚えたのだ。

 寝衣の薄物一枚。雪こそ降っていないものの、相当に寒かった。


 そこは山中のようだった。薄っすらと霧がかかり、薄墨で刷いたような色の乏しい山中。小動物の気配が微かにする。冷たく湿った草の上に横たわっていたレイレイはぶるりと体を震わせて立ち上がった。足は裸足で、部屋にいた起き抜けの姿のままである。


 一体何が起こったのか、レイレイには判断がつかなかった。けれどあの時、レイレイが願ったのは金銀花の蕾がある場所を知りたい、それを手に入れたいということだった。


 もしかするとここにそれがあるのだろうか。覚醒して間もなく、自分の力の使い方も覚束ないレイレイだから、力を暴走させてしまったのかもしれない。今はいつものように夢の中で眺めているような状態ではなかった。しっかりと地に足がついて感覚もある。どうやったのかは覚えていないけれど、これは夢ではなく、普段の自分がここにいるだけだ。


 冷たい風がヒュウと吹いた。寒い。

 体を掻き抱いてみるけれど、それくらいで寒さは変わらない。じっとしていてもどうにもならないのだ。

 ここに金銀花があるのなら、まずはそれを見つけたい。レイレイはとりあえず歩き出す。裸足に地面は驚くほど冷たかった。

 レイレイは金銀花など見たことはない。どんなものなのかもしらない。けれど、目にすればわかるのではないかという気になった。


 暗いというほどではないけれど、不慣れなレイレイは歩くたびに小石を踏み、草で足を切ってしまう。かといって、歩けないほどの痛みではない。レイレイは我慢して歩いた。


 山道を登って行くと、その先に蔓を延ばして群生する植物が木々の間に紛れていた。そこには筒状になった花が無数についている。白と黄色が混在していて、黄色に色づいたものほど花は開いて見えた。それを見た瞬間に、レイレイはこれが金銀花だと察した。白いうちが蕾なのだ。


 慌てて蔓をつかむけれど、レイレイは今、器も袋も何も持っていない。どれくらいの金銀花があればよいものなのかわからない以上、たくさん持ち帰りたい。


 辺りを見ても器になりそうなものはなかった。レイレイは仕方なく片袖を裂いてそこに蕾を包むことにした。剥き出しになった片腕が寒さにかじかむ。そこから体が冷えきるようだけれど、レイレイは必死で腕を動かした。

 体を動かしているうちは寒さも少しは和らいで感じられた。何より、これでヤーが笑ってくれると思えば、寒さくらいは我慢できる。


 我を忘れて蕾を採った。百以上はあるだろう。レイレイの手の届くところはすべて採ったつもりだ。零してしまわないように袖の口を握り締め、レイレイはひと息つく。


 これをあの薬屋に届ければ、銀翹散を作ってくれるだろう。金銭が必要になるとして、この金銀花の余りを代金代わりにできないだろうか。足りない部分はレイレイがなんとかしたい。あの時のシージエのように無一文になったとしても。

 そういうことを言うと、またルーシュイに世間知らずだと顔をしかめられるかもしれないけれど。


 レイレイは来た道を下り出した。そこでふと思う。最初にいた場所に戻る意味はあるのだろうか。

 急に飛んだのだ。ここから鸞和宮の部屋に戻ることも可能なのではないだろうか。そうは思うのに、レイレイにはそれができなかった。そもそもどうやって来たのかもわからないのだ。戻り方もわからない。


 レイレイはようやくそのことに気づいた。そうしてゾッとした。

 戻れなければ、レイレイはきっとここで野垂れ死ぬだろう。

 ヤーたちを助けたい一身で、他のことなど考えなかった結果である。


 ルーシュイに、自分の後始末もできないような人間が、他人の世話をできると思うなと呆れられるだろう。何かができるなどとは思い上がりでしかない。レイレイがしたことは、金銀花を持ち帰ってこそ初めて意味を持つのだ。


 気持ちが弱ったせいか、どっと疲れが押し寄せてくる。どうしたらいいのかわからなくなって途方に暮れた。頬が、鼻先が冷たい。歯が噛み合わず、カチカチと鳴った。震えが止まらなくなって、そのせいで余計に体力が削られていく。


 覚醒してそう時間の経たないレイレイに、死への恐怖は薄かった。悲しむ人の顔が思いつかないせいだろうか。ただ、この金銀花を持ち帰ってあげられないことがひどく悔やまれる。


 それから、ルーシュイのことを考えた。

 なんでもできる優秀なルーシュイ。けれどルーシュイの心は頑なだ。彼が心から信じられるものが、この世の中にどれくらいあるのだろう。


 レイレイがいなくなったことを淡々と皇帝とユヤンに伝えるのだろうか。そうして代わりの鸞君に仕える。前の鸞君は馬鹿な小娘だったと思い出してくれることもないかもしれない。


 それはさすがに寂しい。レイレイはその場にへたり込みながらつぶやいた。


「ルーシュイ……」


 すると、リィンと鈴の音が聞こえた。山中には似つかわしくないその音にレイレイはハッとした。風にかき消されることもない、よく通るその音。皇帝に謁見した日、ユヤンからルーシュイが授けられた青い房の鈴。レイレイはそれを思い出した。


「ルーシュイ」


 震える唇で彼の名前を呼んだ。リィン、と鈴の音が返事のように鳴り響いた。そうして、レイレイの意識は溶けるようにして薄れた。


 けれど、すぐに覚醒した。それは人の手のぬくもりが頬に触れたからである。薄っすらと目を開くと、至近距離に自分を覗き込むルーシュイの顔が見えた。


「レイレイ様!」

「ルー、シュイ?」


 舌が上手く滑らない。震えが止まらなかった。けれどここは鸞和宮のレイレイの部屋のようだった。それだけはなんとなくわかった。


「どうしてそう無茶をされるのですか!」


 いつになく感情的な声だった。レイレイは床に寝転んだままでぽつりと返す。


「これ、お薬に……」


 千切った袖を手渡そうとして、それが床に落ちた。少しだけ中身の白い蕾が零れる。それを見た瞬間にルーシュイは顔を歪めた。


「レイレイ様がまさかそこまでされるとは思いませんでした」

「え?」

「私は手を貸さないと強く突っぱねてしまえば、レイレイ様は諦めてくださるものと思いました。見ず知らずの農民のためにそこまでされるなどとは、正直に申し上げて狂気の沙汰です」


 これは相当に呆れられてしまったようだ。それから、もしかすると心配もさせたのかもしれない。


「うん……」


 けれど、どうしても譲れなかった。疲れてレイレイがまぶたを下ろしかけると、ルーシュイは床とレイレイの背中との間に腕を差し込んだ。


「冷たい……。お体が冷えきっています」


 ルーシュイはそうつぶやいた後、自分の体温を分け与えるようにしてレイレイの体を抱き締めた。じんわりと優しい熱がレイレイに伝わる。それが心地よくて、レイレイはそのまま眠ってしまった。

 その後、夢は見なかった。


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