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相互評価はなぜ悪なのか

 前回は、相互評価を行う人の目線で肯定的な意見を述べたが、今回は個人的な主観で、相互評価に否定的な意見を述べようと思う。


 まず、相互評価には2種類ある。

 作品を読み合い、お互いを助け合うことを目的とした、いわば相互扶助に近い相互評価。

 そして、どんな手を使ってでも自作を日刊ランキングに入れたいという、いわゆるpt乞食的な相互評価だ。


 まず、今言った後者の「相互評価」について私的な見解を述べれば、たとえルール上はまったく問題のない行為だとしても、後者は読者にとっても小説家になろうの運営にとっても、害悪でしかないように思う。


 え? 同じ相互評価なのに、そんなにも違うの?


 と思った人もいるかもしれないが、今回は前者の相互評価と後者の相互評価の何が違うのか、それについて語って行こうと思う。


 結論から言えば、私がさっき言った前者の相互評価に肯定的だったのに対し、後者の相互評価。いわゆるptの獲得だけを目的とした、乞食にも似た相互評価に否定的な意見を持っている理由は、いわゆる「モラル上の問題」である。


 まず、そういった悪質な相互評価は、ほぼすべてが大量のptの獲得を目的として行われる。


 なら、なぜそんな行為が起こるのか。

 それは、ごく単純で、小説家になろうというサイトにおいて、作品についたptは、ただのpt以上の価値を持っているからに他ならないからだ。


 なら、そのptの持つ価値とはなんなのか。

 それをごく単純に言えば、多くの読者を得ることができるステージへの切符としてのものである。


 小説家になろうのサイトでは、日刊ランキングに乗らなければそれが大勢の人に読んでもらえないということは前に話したはずだ。

 で、どうやれば日刊ランキングに乗れるのかと言えば、それは単純にptを得ることだ。


 という誰でおわかるような、単純な話だが、これには続きがある。

 日刊ランキングに乗ることのメリットとしてやはり上げられるのは、多くの読者が付くことだろう。

 やはり、なろうで面白い作品を探す読者としては、手間を描けずに面白い作品にたどり着けるに越したことはない。


 ならばどうするか。

 そう、それが日刊ランキングの利用である。


 更に言えば、なろうを利用するユーザーの大部分は作品を描かずに読むいわば「読み専」と呼ばれる人達で、そのほとんどが今言った「日刊ランキング」を初めとしたランキングを利用し、面白い作品を探す人達である。


 ここまで言えば誰でも気づいたはずだ。

 そう、日刊ランキングに乗るということは、小説家になろうを利用するほとんどのユーザーの視線を一手に浴びることができるということに繋がるのである。


 もしそうなれば、当然それだけのptを得ることに繋がり、そうすることで初めて書籍化のラインに立つことができるのである。


 となれば、小説家になろうのサイトから書籍化する人々がそれを狙うのは、極普通のことだろう。


 そして、そうするために一番重要になるのは、作品を投稿してからの短期間に大量のptを稼ぐことである。

 基本、日刊ランキングの上位に位置する作品のほとんどが書き始めてから数週間、長くても2か月ということを考えれば、日刊ランキングに乗るためには作品を投稿し始めて短期間のうちに大量のptを稼がないといけないことがわかるはずだ。


 そして、その条件を確実に、そして実力に左右されず満たすため、作家志望のいわゆるワナビ達により、さまざまな方法が生み出されたのである。

 その中には、規約に違反しているが、運営に断罪されにくい「運営が活動を休止する土日の間に大量の副垢を使い、運営の活動が再開される月曜日までにその垢をすべて消す」というものだったり、「ネカフェなどを利用し、別の端末で副垢を使いptを入れる」技術上、判別が不可能な副垢の使用方法だったり、今語っている、pt乞食にも似た相互評価をはじめとした、悪質なものもあったりする。


 だが、この三つの間には絶対的な大きな壁がある。

 そう「規約に違反しているかどうか」ということだ。


 運営からしたら、規約に違反していなければ、どんな悪質な行為でも裁きを下すことはできない。

 だからこそ、前者二つは手軽にptを入手できるが、極まれにアカウント削除という処置が行われるのに対し、後者は人がいないと成立しないが、絶対に処罰が下ることはないのである。


 1%と0%。

 数値にしてみれば極小さなものだが「確率は0%か100%以外は信用できない」と言われるほど、人は「確実」というものを求めるのである。

 また、今語った前者二つと後者では、かかる手間の差も、確たる違いの一つであろう。


 だからこそ、現在はSNSを利用し、作品を読まずにptを入れあう悪質な相互評価が横行しているのだ。



 と、ここまでは何故「悪質な相互評価」が行われてきたのかを語ってきたが、読者の中には「規約に違反していないのなら、その相互評価もいいんじゃないの?」という人もいるだろう。


 だが、実際はそうではない。

 確かに、ルール(規約)を守った上でなら、何をしてもいいと思う人は多い。

 しかし、ルールさえ守ればいいというのは幼稚な、いわば子供の理論に他ならないのではないだろうか?


 社会というコミュニティーに属する以上、ルールを守るのは絶対だが、それ以上に他人に迷惑をかける行為、他人が嫌な思いをする行為を行うのも、仮にそれがルールに書いてなかったとしてもやってはいけない行為。

 いわゆる、モラル違反に該当するものだ。


 SNS上で「違法ではないが不適切」という行為が流行ったり、ニュースを見ればゴミのポイ捨てや舛添都知事の起こした問題が取り上げられるのを見れば、誰でもルールに書いてなくともやっていいことと悪いことがあるというのは理解できるはずだ。


 では、それを今言った悪質な相互評価に当てはめてみよう。


 確かに、規約には違反していない。

 だが、ptを獲得するため、作品を読まずにptを入れるという行為は、副垢を利用して自作にptを入れる行為と本質的にはなんら変わりはない。

 仮にそれで対して面白くもない作品が日刊ランキングに乗ったとしたら、それを読んだユーザーは作品のつまらなさに肩透かしを食らうはずだ。

 更に言えば、対して面白くもない作品に時間を浪費してしまう、ちょっとした迷惑行為でもある。


 そう考えてみればどうだろうか?

 確かに規約には違反していない、だから確かに違法ではない行為ではある。

 だが、SNSを利用して作ったコミュニティーを利用し、作品も読まずにお互いにptを入れあい、対して面白くもない作品を日刊ランキングに押し上げる行為、これが善良な一ユーザーの行う行為としてはいささか不適切ではないだろうか?


 そう、相互評価が問題とされる所以は、規約に違反したからではなく、モラル上の問題なのである。

今回は相互評価の何が悪いのかということについて語って行きましたが、次は相互評価の実害について語って行こうと思います。

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