反攻戦闘編 14
使用者の命すらをも刈り取る諸刃の剣フラックシステム。その開発者こそがリタだった。
「リタな、意識を失う直前に、贖罪って、言ったんだよ。罪滅ぼし。こいつ、フラックを使って死んだ人達の命を、全て背負う気だ」
顔を背け、一層大きく嗚咽するリタ。私の手を握ろうとはするが、指に力が入らないようだ。自身が開発したシステムに、自身が飲み込まれかける事になろうとはな。
「私……知らなかったのよ……」
泣き顔を手で覆ったままのナオが小さく呟く。それはフラックの副作用についてだろうか、それとも開発者についてだろうか。
「わたしだって……二人がこんなに激しく消耗したのは、わたしのせいだもん。わたしが無理矢理にあんな動きをするせいだもん……」
サイキの物理法則を無視したかのような、まるで慣性の利かない動きは、義足に追加された装備があってこそだ。しかしフラックは、その装備を持たない二人にも、サイキのその動きを強要してしまう。それがどれほどの身体的負荷へと繋がるのかなど、聞かずとも分かる。
私の心は当に限界を超え、折れている。もうこの三人をどうにかしてやれる事など出来そうもない。もう……。
リタから手を離し、ゆっくり立ち上がる。私の思考は既に止まっている。
「もう、終わらせよう」
病室のドアへと力なく歩く私。彼女達を見るのも、声を聞くのも、これが最後だ。そう思いドアの取っ手に手を伸ばす。
「……ちょっと待ってよ。今のどういう意味よ」
「お前達を手放す。渡辺に電話してくる。お前達を引き取ってもら……」
バシーン!
言い終わる前に強く平手打ちをされた。力なくよろける私は胸倉を掴まれる。眼前には酷く泣き顔で、まるで親の敵を目の前にしているかのような表情のナオが、私とドアとの間に立ちはだかる。震えるほど拳を強く握っている。これでは部屋から出られないではないか。
「今何て言った? お前今何て言った!!」
最早それは激怒という言葉では言い表せないほどの絶叫にも似た強く激しい語気だ。
「もう俺には無理だ。俺の心は折れた。お前達を手放す。渡辺に引き取ってもらう。お前達のためにはこれが最善の選択だ」
対して淡々と、心には何もないかのように呟くしかない私。言い終わると私を押し飛ばし、そしてまた静かに距離を詰めたナオから拳が飛んできた。一切容赦のない本気の拳だ。五十八歳の爺さんに向けるには過剰過ぎるその拳に、私はよろめき窓際の壁にもたれかかる。随分と痛いな。顔も心も痛い。そしてナオも殴った手を軽く振って痛そうにしている。
「もう……一緒にいたくないんだ。俺の事は、忘れてくれ」
今彼女達に出来る最大限の優しさ。これで私に失望してくれるだろう。これで私を捨ててくれるだろう。これで私を忘れてくれるだろう。しかし……。
「そんな事許さないんだから」
いやに迫力のある言い方だな。私ににじり寄り、また胸倉を掴んできた。私は抵抗する気などない。私にはその資格はない。殴られて当然だ。
「お前のそれは、私達の努力や、私達の苦労や、私達の覚悟や、私達の全てを踏み躙る行為だって、私達から全てを奪う行為だって分かってるのか! そんな事は許さないからね。それが私の覚悟だから。誰も脱落させない! それには工藤一郎、お前も換算に入ってるんだよ! 私達を手放そうだなんて、そんな事絶対に許さない! 何があろうとも絶対にお前の手元に帰ってやる! 鍵が掛かっていればドアを蹴破ってでも、ドアが駄目ならガラスを破ってでも、ガラスが駄目なら壁に穴を開けてでも、どんな手を使おうとも絶対に帰ってやる! 例え逃げても絶対に追いついて捕まえてやる! 星の裏側だろうが世界の反対側だろうが絶対に捕まえて帰ってやる! 分かったか!!」
こちらの言葉を挟む余地もないほどに捲くし立ててくる。その表情は怒りを筆頭に、とても複雑な感情の入り混じったもので、筆舌に尽くし難い。その瑠璃色の瞳からは、涙が止め処無く零れ落ちている。
「何が無理だあ? 何が心が折れただあ? 生言ってんじゃないよ! 散々私達には無理するなだの何だの言っておいて、いざ自分に火の粉が降りかかったらそんな簡単に心が折れただなんて、私達のためとか言って、結局は自分が逃げたいだけだろうが! 自分が傷付きたくないだけだろうが! 私達の心はどうなる? 私達の気持ちはどうなる! 何も聞かずに勝手に決めるだなんて、そんなの自分勝手過ぎるだろ! 無責任にも程があるだろ! お前は下宿屋の主人だろうが! 住人への責任を放棄してんじゃないよ! 入居させたなら最後まで責任取れよ! 住人は家族みたいなものだって言っただろうが! 家族を手放そうだなんてするんじゃないよ! この四人の家族は、私が初めて知った家族なんだよ!! それをこんな形で終わらせないでくれよっ! 私達に最後まで家族でいさせてくれよっ。私達に家族を失わせないでくれよっ。お前の十五年前と同じ思いをさせないでくれよ……」
最早ナオの表情はぐずぐずに崩れ去り、醜態とも言えるほどの泣き顔を私に晒し続けている。胸倉を掴む手に今となっては力などなく、私を支えにしていなければ倒れてしまいそうになり、膝を着き、そしてそのままぺたんと座り込んでしまう。涙を拭う事もなく、言葉など出ず、私に縋り付き、ただ大きく泣くばかりである。
ナオの口から怒涛のように叩き込まれた言葉の数々。それらは全て私を引き止めようとするものだった。あのナオが、何の考えもなく、ただ感情のままに全ての言葉を吐き出したとは思えない。例え何かを壊してでも私の元へと帰ってくると言い、そして私の体制を批判し、責任を追及し、最後には私の十五年前にすら触れてきた。そして今も泣き崩れながらも、力なくとも両手で私の服を掴んで離さない。ナオの覚悟は本物だった。
後の二人にも目を向けると、サイキもリタも私に背を向けて泣いている。泣いて……サイキが泣いている。そうか、私はナオの覚悟だけではなく、サイキの、目標を達成し三人一緒に長月荘を出るまでは泣かないという、その覚悟すらも踏み躙ってしまっているのか。そして私自身の決めた、三人を意地でも手放さないというその覚悟すらも。
「どうして……」
私に背を向けたままのサイキが嘆く。その声はやはり、久々に聞く涙声だ。
「どうしてなんですか。どうして工藤さんがわたし達から奪おうとするんですか。長月荘を奪おうとするんですか。日常を奪おうとするんですか。わたしには分からない。分からないし、分かりたくもない」
激昂していたナオとは正反対に、淡々とした口調で言葉を並べるサイキ。私の側に向き直し、ベッドから立ち上がる。未だに体力の回復していない、そのふらついた足取りで私の前へと立つ。
「もう奪われるのはたくさんです。もう何も、わたし達から奪わないで下さい。お願いします。悪い所があれば正します。努力ならば幾らでもします。出来る事は全てします。だから、もう何も奪わないで下さい。お願いします」
私の手を強く握る。私を何処へも行かせまいとしている。そしてうつむき小さく泣いている。
最後の一人、リタも動き出した。
最早立つ事すら困難なほどに消耗した体で、壁に手を付き、体を引き摺るように私の元へと近付いて来る。無言で、しかし泣き顔のまま。一歩一歩、ほんの僅かずつ。そして私の体を抱き込むように掴むと、倒れ込むように膝を着き、動かなくなった。
三人に掴まれ身動きが取れない。動かせるのは右手のみ。さすがにここまでされてはな。それでも私の心は折れたまま。何が正しいのかなど考えられるほどの余裕はない。
「……考えさせろ。だから戻れ」
度重なる失敗、マスコミの攻勢、フラックの使用という三重苦により折れた私の心は、今別の意味で、別の方向へと折れようとしている。私の「戻れ」という指示も聞かず、三人とも私を掴んで動こうとしない。その意志の強さには感服するばかりだ。私と三人との間にある絆は、既に私一人では断ち切る事など不可能なほどに、とても強固なものになってしまっていたのだな。そんな事すらも見抜けなくなっていた耄碌した自分を恥じる。
しかしこのままではどうにもならない。恐らく言葉では彼女達を納得させる事は出来ないだろう。一計を案じ、仕方がないので最終手段へと打って出る。
「……うん」
作戦は成功。サイキが最初に離脱。次にナオ。リタは本当に動けない様子なので、抱きかかえてベッドへと寝かしつける。
私が使った手段は至極単純、かつ彼女達にとっては最も効果のあるものだ。即ち優しく頭を撫でてやったのだ。まだ全てに安心したという顔ではないが、先ほどと比べて柔和な表情になった。侵略者相手には失敗し続けた私の作戦だが、彼女達相手には抜群の成果を上げるのだ。
さて、どちらにしろ今後の事を含めて青柳と渡辺の両名とは連絡を取る必要があるのだが、あまりにも気が動転した状態だった私は、財布も携帯電話も、それどころか長月荘の玄関に鍵を掛けてくる事すらも忘れている。仕方がないので病院の電話を借りて青柳に連絡をしようか。そう思い部屋を出ようとするのだが、また私の手を掴んだナオが立ち塞がる。そこまでして私を引き止めたいか。
「勘違いだぞ。青柳に連絡を取るだけだ。余りの事で何も持って来なかったからな」
私の目をじっと見つめてくる。真偽を確かめているようだ。手は離してくれたのだが、ドアの前からは退こうとはしてくれない。
「ならば私から繋ぐわ」
そう言い左耳に手を当てている。私は観念しサイキのベッドの足元に腰掛ける。それを見てナオも向かいに座る。一切の隙を与えてはくれないようだ。
「あ、青柳さん? 工藤さんが忘れ物をしたみたいで……はい。それで工藤さんに代わりますね」
「と言っても受話器はないぞ?」
「そのまま話しかけてくれれば大丈夫。受信オンリーだけど青柳さんからの返答は私が代弁するわ」
「分かった。という事で青柳、悪いんだが長月荘に行って俺の携帯電話と財布、あと玄関に鍵掛けてきてくれ」
「……了解しましたって」
一つ頷く私。そして大きな溜め息。後ろを見ると、サイキとリタの二人は既に眠っている。当面の問題はリタの罪の意識だろうか。
「ナオ、お前も寝てろ」
「そう言って寝てる間に逃げるんじゃないでしょうね?」
「どうせ逃げた所で何処までも追いかけてくるんだろ? お前達だったら地獄までも追いかけて来そうだからな」
私の言葉に当たり前だと少し笑い、ようやくナオも横になった。全く、とんでもない鬼に目を付けられたものだ。どうせ逃げても捕まるのならば、今は素直に彼女達に従おう。
三十分ほどして青柳が来た。憔悴した私の顔を見て、一言「お疲れ様です」と言い放つ。
「本当に疲れてるよ。ナオには散々怒鳴られたしサイキには泣かれたしリタは離れなくなるし。何て言うかなあ、俺はこの三人からは逃げられないみたいだ」
「それは良かったじゃないですか。年頃の娘にあっち行け、早く死ねだなんて言われずに済んで。彼女達の場合はたたっ切るぞ、でしょうかね」
「ははは。こいつ達がそれを言ったら冗談に聞こえないな」
「……聞こえてるわよ」
ナオが目を覚ました。いつの間にかサイキとリタも起きていた。不用意にあの事を喋らなくて良かった。これはもうあの事は最後まで口に出さないほうがいいな。
「それじゃあ渡辺と連絡取ってくる。青柳は三人の監視役って事でよろしく」
「駄目よ。青柳さんは”工藤さんの”監視役。逃げようとしたら引き摺ってでも戻ってきて下さいね」
「分かりました。手錠をかけてでも連れ帰ります」
私の扱いがどんどん悪化している気がする。青柳に対しては少し笑顔を見せたナオだが、私に対しては睨みを利かせてくる。どうすればいいというのだろうな。
玄関先まで行き渡辺に電話。青柳はしっかりと後ろをついて来ている。仕事熱心だ。
「青柳から聞いたぞ。大ダメージだそうじゃないか。お前もあの子達も。それで、どうする?」
「俺としてはもっといい環境に行ってもらいたかったんだが、どうやらあいつ達は俺を見逃してはくれないようだ」
「あっはっはっ、だろうな。お前さんが手放すだなんて言い始めた時から、絶対に無理だろうと賭けていたよ。まあ賭ける相手が揃いも揃って同じ側にベットするもんだから、勝負にはならなかったけどな。失敗を重ねて凹む気持ちは分かるけど、あの子達は死んでもお前を離さないと思うぞ」
「死んでも、か……。実はな、今回はかなりまずい状況だった。俺は、彼女達の持つ一番危険な地雷を踏んだんだよ。短い時間制限があり、それを超えると廃人になるか死ぬか。制限以内にどうにかなっても代償は少なくない。まさに諸刃の剣だ。そんな代物を使わせちまったんだ。心が折れても仕方ないだろ」
長い沈黙。渡辺も予想外だったようだ。
「俺も甘く見ていたようだな。悪いが、どうにか後数日耐えてくれ。今はそうとしか言えん。日程が決まったらまた連絡するよ」
「ああ、とりあえずは年を越すまでは折れた心を引き摺って頑張るさ」




