表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
別世界からの下宿人  作者: 塩谷歩
下宿戦闘編
7/271

下宿戦闘編 7

 彼女はあの後、帰宅してからも泣き続けていた。部屋に閉じこもり鍵を掛け、私ですらも近づかせないようにしていた。夕食を盆に乗せ彼女の部屋の前に置く。声をかけるものの反応はなく、ただ小さく泣き続けるその声だけが響いていた。


 翌朝、一晩中泣き腫らした顔で二階から降りてきた彼女は、健気にもいつもの変わりない日常を演出する事に勤めようとしている。それを見てしまっては、それ以上を聞く事など出来るはずが無い。はしこちゃんには数日の休みを取り付けていたのだが、サイキはそれを断り、カフェまで送るという私の同行すらも拒み、一人で商店街へと向かっていった。

 今の彼女には、こちらとあちら、二つの世界の命運というとてつもない重圧が圧し掛かっているのだ。


 侵略者の襲撃から早三日が経ち。崩壊したかと思われた日常は、何事も無かったかのように過ぎていく。あれだけの人数が見ていたはずなのに、ニュースではガスボンベの爆発という事になっており、警察からの出頭要請も無い。まるで誰かが情報を操作しているようである。

 私はといえば、彼女に買った小学一年生用の勉強ドリルが既に終わったとの報告を受け、驚きとともに感心するのみ。自前のテストを作って試してみると、確かにその成果が見て取れる。十問中九問正解だ。間違えた一問は「工藤一郎」という私の名前をひらがなで書く、というものであったのが非常に残念でならない。今日も本屋に寄るか……。

 昼の二時にカフェへと出発。商店街に着き、あの小路に目を向ける。そこには確かに傷跡が残っており、あの出来事が夢ではない事を物語る。

 サイキが吹き飛ばされた空き店舗はというと、壊れたシャッターは片付けられており、代わりに白い布で覆われていた。彼女の体に傷は無いものの、あれだけ強く大きく吹き飛ばされて怪我が無いとは考えられない。少し布をめくり店内を覗いてみる。

 奥の壁には何かが刺さった穴が三つほど。あの穴は恐らく壊れたシャッターが刺さったのだろう。サイキはどれほどの力で吹き飛ばされたのか。しかしそれ以外に変わった様子は何も無い。小路では現実を突き付けられ、、この空き店舗ではまるで夢であったかのような錯覚に陥る。彼女が壁に叩き付けられたと考えれば、もっと凹みや穴があってもいいものだが……。もしやあのスーツのおかげなのだろうか?


 今日も彼女はカフェでウェイトレスに励んでいる。その笑顔が、もう曇らない事を切に願う私。いつものコーヒーを飲み干す。サイキには今日は遅くなると声をかけ、長月荘の玄関のスペアキーを預ける。

 彼女は昼の十一時から夕方の五時まで、近所の子供が手伝いに来ているという体で働かせてもらっている。私の計算であれば、今日は間違いなく私よりも彼女が先に帰宅する。初めての事なので若干戸惑う様子も見られた。私が帰るまではしこちゃんに預かっていて貰おうともしたが、彼女は大丈夫だと言う。ならばその言葉を信じよう


 私は街の反対側にある、とある家に用事がある。我が妻の実家である芦屋家だ。妻と娘を亡くしてから十五年、それでもまだ妻の実家とは家族同然で仲良くしてもらっている。

 ――昔話になるが、長月荘を始めようと言い出したのは妻からであった。うだつの上がらない一介のサラリーマンであった私と、豪農の娘であった妻とがなぜ結婚出来たのかは今でも不思議だ。

 きっかけは混雑する休日の電車の中。私が席を替わってあげた老婆が彼女のお婆様だった事から始まる。少しばかりの会話をすると私はすっかり気に入られてしまい、そのまま遊びに来いと誘われたのだ。降りる駅が同じ、方角も同じ。時間はあったので少しばかりお邪魔する事にした。そこに彼女が居た。一目惚れであったが、住む世界が違うとすぐ悟り、声には出さなかった。その後も何度かお婆様のご機嫌伺いに訪ね、彼女の姿を目に焼き付けるのだった。


 ある日お婆様にこう言われた。

 「あんた、さえちゃん狙ってんだろ?」

 読まれていた。というか、最初の時点で気付いていたという。さすがお婆様。お婆様の言うにはさえちゃん、本名「芦屋さえ子」も私に気があるというのだ。

 私は否定した。この時私は二十七歳。彼女は十九歳。八歳も差があるのだ。私は今で言うイケメンでもないし、収入も一般的なそれと変わらない。唯一誇れるのは料理の腕と、お年寄りに席を譲る程度の優しさだけだ。そんな男にこの綺麗な娘さんが惚れる? 無い無い! そう言う私に、証拠を見せてやろうと言い彼女を呼びつける。

 「さえちゃんこの人好きかい?」

 まさかのド直球である。大きな間の後、顔を手で隠しそのまま奥へと逃げる彼女。ほらね? と言わんばかりのお婆様。お口あんぐりで硬直状態の私。そしてその話を聞きつけて飛んでくる父親。

 お義父さんは私の胸倉を掴み、しどろもどろになりながら無意味な謝罪と訂正を繰り返す私を投げ飛ばし、大声でわめきながら塩を投げつけてきた。

 後に彼女から直接謝罪の電話が来た。恐る恐る、あの意味を確認……。


 私の人生に春が訪れた。


 その後はお婆様および芦屋家女性陣の後押しもあり、出会って二年目には無事結婚。そのまま順調に行くかと思われたのだが、なんと結婚後三ヶ月目にして私の勤めた会社が倒産。貯金を切り崩そうとしたが、将来の子供のためにとそれを止められ、一時的に彼女の実家に居候させてもらう事となった。

 気まずい雰囲気をひしひし感じながらも農作業を手伝っていたのだが、ある日ふいに彼女が下宿屋をやりたいと言い出した。私には分かった。彼女は、私の料理の腕を活かせて、私達夫婦専用の居場所を作ろうとしたのだ。だがそれならば料理屋でもいいのでは? と思ったのだが、彼女曰く私には人を優しくさせる力がある。ならば優しい人が増えるように色んな人と過ごせる仕事がいい。だから下宿屋が一番だ、という事なのであった。

 土地は自分達で探した。商店街に近く学校にも近い、いい場所があった。建設費はなんと芦屋家が全額負担してくれる事になった。聞けばお義父さんの提案だそうな。私には毎度厳しく当たってきたお義父さんであったが、内心認めてくれていたのだ。


 こうして私達夫婦は下宿屋を始める事になる。

 名前は「長月荘」。

 この名前は彼女が決めた。私も彼女も九月生まれであり、お腹の子供も九月に出産予定。長月とは九月の旧暦名なのでぴったりだ。更に妻が言うには「ながつきそう、永く付き添う、なんていう洒落でもありますよ」との事だ。

 その後無事娘も生まれ、私達三人家族は、個性的な下宿人の面々と、忙しくもとても楽しい日々を過ごす事になる。


 あの日まで。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ