下宿戦闘編 6
彼女との第一回会議を終え、今までの疑問の殆ど全てに回答を得た私は、雨の中商店街を一軒ずつ訪ね、誘拐事件の解決報告と謝罪行脚の彼女に付き合う。もちろん彼女がウェイトレスの手伝いをするカフェ「ニューカマー」が最終目的地である。
道中、彼女のあの髪の色と服装についても尋ねてみた。髪の色は地毛であり、むしろこちらの世界の標準である黒や茶のような地味な色は希少らしい。服装、彼女が言うにはプロテクトスーツに関しては、階級と所持する武器で違いがあり、性能もそれにあわせて若干の違いがあるという。所謂バリアや飛行能力も付属しているが、エネルギーが無いので現在は使えない。エネルギー消費無しで使える機能もあるという事だったが、その種類は言葉の自動翻訳、小範囲レーダー、身体強化機能以外、微妙な物ばかりだ。レーダーやエネルギー残量などの情報は、脳の視覚野に直接描き出されるという。改めて彼女が完全なるSF世界の住人であると思い知らされる。
「最初、降ってきた時に俺が受け止められたのも、サイキの体が妙に軽いと思ったのも、その服の機能か?」
頷くサイキ。そして軽く勢いを付けた彼女は、それだけで一メートルを超えるほどの跳躍を見せた。
商店街に着くと、すぐさま魚屋が飛び出してきた。何処でそうなったのかは分からないが、既に彼女とは顔なじみという感じの会話が展開された。
カフェ「ニューカマー」に到着するまでは、なんだかんだで一時間近くもかかってしまった。マスターのはしこちゃんに抱きつかれた彼女は、いつものように涙目でごめんなさいと謝るのであった。
店の奥に行きエプロンを装備した彼女は、早速私のテーブルに注文を取りに来た。コーヒー一杯を頼むと、ゼロ円なのが申し訳なくなるほどの輝く笑顔で応対してくれる。はしこちゃんには世話になったので、今日は少し多めにお金を落としていこう。追加注文でメニュー表のトーストを指差す。
「え……っと、それですね」
これはまずい。私には重大な疑問が沸いてしまった。サイキは文字を読めるのだろうかという疑問だ。言葉を自動翻訳する機能があるとは言っていたが、例の「かへ」や今の反応からすると、それの適応範囲は日常会話程度の物であり、恐らくは彼女自身は文字を読めないのではあるまいか? その状態でよく初日は乗り切れたな……。
いつものコーヒー、そしてトーストを食べ終わった私は、本屋と文房具屋に向かう事にした。小学一年生用を買うか。いっそある種類全部買ってやろうか。などと思っていたのだが、予想以上に値段が高くて尻込みをしてしまう。そんな私の思考を読んでか、隣り合う本屋と文房具屋の二人のご主人が、それぞれオススメを持ってきてくれた。結局は小学一年生用を買い、様子を見つつ買い足す事にする。そして私も勉強のために何冊か、挿絵の一杯ある、自称科学本を購入。
さて、今晩の食材を買って帰るかと歩き出した私だったのだが、その後事態は急変し、平和な日常は崩壊を始める事になる。
突然、耳をつんざくような轟音が走る。悲鳴にも似た高い音だ。次に衝撃波が来る。いや、音の方角から考えると吸い込まれているのか? 力を入れていないと体が持って行かれそうになるほどの突風だ。乱雑に置かれた値札や商品も転がり落ちる。
十秒もあっただろうか、長い人生でも経験した事の無い、とても嫌な予感のする出来事が収まると、座り込む私の目の前を走り抜ける赤い頭。サイキだ。表情は確認出来なかったが、その動態は明らかにおかしい。
私は、自身に怪我が無い事を確認すると、サイキの後を追い走る。いや、走ろうとはするのだが足がもつれる。冷静に考えれば四捨五入で六十歳のジジイがいきなり走れるものかという所であるが、そんな思考の余裕など微塵も無い。それでもどうにか彼女の後を追い、彼女が入った小路まで来た。
「なんだ、ありゃ……?」
目の前に広がる光景は異様な物で、剥がれた外壁、粉々になり散らばった窓ガラス、そして身長二メートル以上はあるか、血のような赤い肌をし、頭には角の生えた大男。見た目はそのまま赤鬼だ。その周囲にはまるで人形のような大きさの子鬼が三体、文字通り支えも何も無く浮遊している。赤鬼と私との間には、これと対峙する身長百四十センチ程度のサイキ。彼女の手には先ほどまで無かったはずの剣……というよりも日本刀に近い形状の武器が握られている。
まさに茫然自失となり指先一つも動かせなくなる私。理解の範疇をはるかに超えた光景を、私の脳が否定しようとしているのだ。走り出した彼女はその剣を赤鬼へと突き立てようとする。それを見てようやく私の意識が動き出す。まずは彼女に私の存在を知らせよう。
「サイキ!」
声を掛けた私に、振り向く事なく相手をにらみ続けるサイキが叫ぶ。
「来ちゃ駄目! 早く逃げて!」
彼女の只ならぬ語気は、停止しかけている私の脳みそでも、一瞬で状況を理解させるには充分だ。こいつだ、こいつが彼女の世界に現れた侵略者だ!
赤鬼が拳を振り上げ、サイキへと振り下ろされる。間一髪で交わすサイキ。その拳の衝撃波がこちらまで来る。逃げろとは言われても、一度すくんだ足は私の意識とは反対に、まるで地面に溶接されているかの如くびくともしない。。
後ろが騒がしい。振り向くと何だ何だと人が集まってきている。まずい、このままでは怪我人も出てしまうかもしれない。どうする? 回れ私の老いた頭脳!
「なんかの撮影か?」
呑気な一言だが、こんな光景をそうそう理解出来る人はいないだろう。私だって彼女から聞いていたSFの下地が無ければ、死んでも理解出来ないかもしれない。
「きゃあっ!」
野次馬に気を取られたか、攻撃を食らったサイキが私の元へ吹っ飛ばされた。抱き庇い尻餅をつく。サイキは痛みなのか何なのか、涙目になっている。
周囲もこれが撮影などの製作物ではない何かだと感付き始め、散り散りに逃げ始める。私もいい加減身の危険を感じ、商店街の広い通りまで後退りする。
サイキはなおも赤鬼に果敢にも切りかかる。その動きはとても普通の人の動きとは思えないほど機敏なものであり、彼女がただの子供ではないという事実を物語る。しかし剣が壁を掠めて身動きが取りにくそうでいる。車がすれ違えないほどの狭い路地では、剣を振り回すには無理があるように見える。
「場所が悪い、こっちまで来い!」
サイキを呼び寄せよう。既に人の逃げた商店街まで出てしまえば、彼女も動きやすくなると考えたからだ。しかしサイキは中々動こうとしない。商店街まで被害が出る事を恐れているのだろうか。
「いいから早く来い!」
怒鳴るような私の声に、ようやくサイキも動く。赤鬼も前進を開始し、まずはサイキを指差し子鬼に指示を飛ばす。三体の子鬼がまるで笑い声のようなものを上げつつ、揃ってサイキめがけて飛んできた。
迎撃体勢に入る彼女。一体目を切り上げ、二体目を回し蹴り、三体目を切り落とす。流れるような動きで一瞬で二体撃破だ!
これなら行けるか? そう思った所で奥から赤鬼が突っ込んできた。ついでに蹴り飛ばした子鬼も戻ってきた。すると私はサイキに突き飛ばされた。私のいた位置では赤鬼の攻撃を食らうと判断したのだろう。一瞬隙の出来たサイキは、迎撃よりも防御の体勢へ。勢いの乗った拳を突き立てる赤鬼。サイキはそれを防いだものの、背後の空き店舗まで吹き飛ばされた。
シャッターの壊れ飛ぶ音がすさまじい。ようやく立ち上がった私だが、それを見つけた赤鬼に睨まれてしまった。蛇に睨まれた蛙が如く、恐怖で身動きが思うように出来ない。
ああ駄目か! と思った所で吹き飛ばされた先の空き店舗からサイキが飛び出してきた。剣ではなく蹴りで赤鬼の体勢を崩し、すぐさま私の手を取り引っ張る。その力強さに驚きながらも、どうにか逃げる事に成功。
私を安全圏まで誘導した後、すぐさまきびすを返し赤鬼に向かっていくサイキ。老いた体では彼女の力になどなれない私は、とにかく彼女を見守る事しか出来そうに無い。そう思っている私の背後から、聞き慣れた声が飛んでくる。
「サイキちゃーん! がんばってー!」
はしこちゃんだ。あまりにもサイキと赤鬼に集中していたせいなのか、周囲の音が耳に入っていなかった。見回すと薬屋二代目の声もある。戦場を挟んだ逆側では魚屋も声を張り上げている。普段犬に吼えられるだけでも怯える肉屋に至っては手に持った揚げ物を投げつけんばかりだ。
「逃げろよ!」
「逃げたら女の恥よ!」
はしこちゃんに訳の分からない理論で返された。どうやらサイキは、既にこの商店街には無くてはならない存在になっているようだ。
目線を戻すと、赤鬼に付き従っている最後の子鬼を切り落とした所だった。残りは本体か。大きな咆哮を上げ威嚇する赤鬼だが、サイキは怯む様子を見せない。形勢は既に彼女に傾いている。益々増える周囲の声援に答えるかのように、素早い動きで連撃を食らわせるサイキ。赤鬼は膝を突き、防御体勢のまま動けなくなっているようだ。ここは一気に押し切るべきだ。
「一気に行けえええー!」
思わず叫ぶ私。
「とーどーめーだあああー!」
叫ぶサイキ。と、一瞬剣が淡い光を帯びたように見える。光の加減などではなく、刀身そのものが光を発して輝いたかのようだ。そして頭上から真っ二つにされ、まるで空間ごと小さく握りつぶされるかのように収縮し、そのまま肉念一つ残さず消滅する赤鬼。
一瞬の間。
歓喜の声の上がる商店街。息が上がり、肩で息をするサイキ。走り寄る私。
……彼女の表情は、とても勝者のそれとは思えない、絶望に満ちた物だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
雨に濡れ、うつむき泣きながら、声にならない声で謝り続ける。
彼女のその言葉は、周囲の人間にとっては戦闘の被害に対するものであると聞こえたようだが、私には違った。
侵略者が来たという事は、自身が通ったゲートが敵の手に落ちたという事。
それは彼女のいた元の世界では全てが終わってしまったという事。
つまり、こちらの世界に侵略者が来た原因が彼女自身にあるという事。
そして今度はこの我々の世界を、満足にエネルギーを回復させる事も出来ない彼女たった一人で守らなければいけない事を示している。
私は……小さく、礼儀正しく、泣き虫で、すぐ謝るこの子の事を、何があろうとも信じ、見守り続けてあげようと、強く心に誓うしかなかった。