下宿戦闘編 4
「サイキちゃんが誘拐されちゃった!」
夕飯にと魚を捌いている最中に鳴った電話口から、はしこちゃんの悲鳴にも似た言葉が飛び出した。その後ろでは怒鳴りあう声も聞こえる。商店街は大事になっているようだ。
勿論私も脳の回転が急停止。数秒の後、全力回転を開始した。
「ど、どういう事だ? 誘拐!?」
無事昼間の営業を終え、看板を下ろすその瞬間を狙い、突然白いワンボックスカーが現れ、一瞬で彼女を引き込み連れ去ってしまったのだという。無差別の幼女誘拐事件というものかと思ったが、どうも少し違うようだ。
サイキを誘拐した犯人は、白い防護服のような物を着用、車のナンバーには赤い斜めの線が入っていたらしい。すなわち仮登録ナンバー。どう考えても一般的な誘拐ではない。
とすれば、彼女は本当にSFの世界の住人であり、どこかの怪しい研究所に連れて行かれてしまったのだろうか? 遂に彼女の言葉以外からもSF要素が出てきてしまった。これは……いや、まだ私はサイキが変な妄想が好きな普通の子であると思いたい。
「警察に言っても名前だけじゃ取り合ってくれないよ! あの子どういう子なの?」
電話越しに後ろから怒号が聞こえる。この声は薬屋の二代目だな。あの子はどういう子なのか……か。この言葉を聞いて、ふいに私は冷静になった。
何故ならば、私がサイキについて知りうる情報は、あの容姿と名前、そしてSFな言葉以外何も無い事に気が付いたからだ。たったこれだけの情報で、かつ普通ではない事が明白な誘拐犯に対して挑もうというのである。
「……やってやろうじゃないか。長月荘の本気見せてやる!」
私は冷静に、かつ強く燃え始めた。
過去の長月荘住人には、警視庁の刑事や有名企業の重役になっている人もいる。ここが私の結んできた”縁”の使い所だ。長月荘の問題は長月荘全体で解決する。それが私が住人達に課してきた掟だからだ。
はしこちゃんには、一旦商店街の人達には落ち着いてもらい、例の車のナンバーだけを教えて欲しいと頼んだ。運良くケバケバメイクの女子高生がナンバーを携帯カメラで撮影してくれていたらしく、解読はあっさりと終わった。よくやった女子高生!
私は自室の押入れの奥から長月荘の住人名簿を引っ張り出し、この事態に有効な元下宿人を三名選んだ。刑事の高橋、元市議会議員の八原、そして職業がいまいち不明であるが、確かな実績のある渡辺。渡辺に関しては、私の妻と娘の事でも尽力してくれた、恐らく私が一番信頼する元住人である。
まず一人目、刑事の高橋に連絡を入れる。古い名簿なのでさすがに本人に直通とは行かず、高橋の実家に連絡を入れ、本人からこちらに連絡をよこすようしてもらった。数分もせずに折り返し電話が来て、一言目に「待ってました」と言われた時には、少し目頭が熱くなってしまった。改めて、私の持論である長月荘の”縁”を実感出来たからだ。
高橋が言うには、仮登録ナンバーも含めて捜査に使える情報が全く無いに等しいので、これでは警察は動かないとの事だった。せっかくの活躍の場を失い素直に悔しいと言う高橋の実直さは、あの頃とちっとも変わらない。
二人目はここ菊山市の元市議会議員にもなった事のある八原だ。元とはいえ、市議会議員ならば顔が広いはず。あの車についての情報が少しでも欲しいのだ。しかし残念ながら彼にはそもそもたどり着けなかった。彼の実家はかなり前に引越しており電話は不通。当時所属していた党ももう無い。元市議という事で議会にも問い合わせをしてみたが空振り。挙句たらい回しで、ほぼ一日丸ごと時間を食ってしまった。
三人目の渡辺だが、なんと以前世話になった時に、私に渡してきた「連絡用」とメモされた電話番号を今も保持していた。さすが頼れる男。
この渡辺という男だが、長月荘に来る前は相当なワルで、ヤの付く方々とも交流があったらしい。しかし自身が騙した女性の雇った詐欺師に逆に騙され、長月荘に来た時には文字通りの無一文であった。「これでどうにか」と中身が半分まで減っているタバコの箱を出された時には、正直驚いたものだ。私は無理だと言ったのだが、妻は彼を住人として迎え入れた。良い人になる事という、曖昧かつ当時の彼にとっては最も難解な条件を無理やり飲ませて。
こちらからの状況説明が終わると、渡辺は心当たりがあると言った。彼が関係しているとある研究所で最近、菊山市を中心に謎の電磁波? が計測されたらしく、そこの研究所の連中の仕業ではないかと言う。
「全く、あんたは何者になったんだ?」
と聞くも、彼は茶目っ気たっぷりに秘密だと返すのみである。これで私より年上なのだから、益々不思議な男だ。
これで私の切れるカードは全て切った。結局はあの時と同じく渡辺一人に頼る事になってしまったが、当の渡辺は「あれをくれるならお安い御用だ」と嬉しそうに言うのだった。
渡辺の言う”あれ”とは私独自のおまじないの事だ。お金にはならない功績を挙げた住人に、私からお小遣いとして”縁”とお金の単位”円”を掛けて小額硬貨を贈呈するのだ。ワルから無一文になり、良い人になる事を条件に長月荘の住人となった渡辺にとって、この小額の小遣いすらも大きな財産であり、それはもう必死に稼ぎまくっていた。するとどうしてか、彼にはどんどん縁が集まって行った。それを彼はこのおまじないのおかげだと言い切ってみせるのだ。渡辺だけではない。私のおまじないを手にした住人達は、口をそろえて「効いた」と言う。
私自身は占いの類は信じないので懐疑的なのだが、巡り巡って私にも縁が届くのであれば、悪い気分はしない。
ここからは渡辺から聞いた話だ。
まず彼は私との会話を終えると、すぐさま例の研究所に電話を入れたという。融通の利かない所員には苦労したそうで、部下を向かわせるも門前払い。出資を引き揚げると言っても鈍い反応。結局は彼自身が乗り込む事でようやく所長まで話を通す事が出来たそうだ。所内に通された渡辺は所長と面会、最初は否定していたのだが、様々な手を使い白状させ、その後サイキの待つ部屋へと向かった。
彼女の入れられていた部屋の壁は、染み一つなく一面真っ白で、家具も何も無い殺風景な物だったという。そんな部屋で彼女はただ一人、片隅で小さくなっていた。部屋に入る渡辺の事を横目で確認する彼女は、やはりというか、諦めたような表情で静かに泣いていたという。
渡辺が「迎えに来た」と言うと、一瞬の間を置き、ようやく彼女は顔を上げた。手を差し伸べる渡辺を一度は鋭く睨み付けたというが、「長月荘に帰るぞ」と言うと、ようやく強張っていた彼女の表情は緩んだ。そのまま彼女の手を握り、渡すまいと立ち塞がる所員を文字通り突っ撥ねて研究所を脱出。
こうして渡辺は彼女を救い出し、そのまま私の待つ長月荘まで同行、今に至る訳だ。
助け出された車内で既に電話越しの再会をしている私と彼女、と渡辺だが、丸一日以上監禁状態にあった彼女は、車が到着するや否や飛び出し、玄関前で今か今かと待っていた私に飛びついてきた。その表情はやはり予想通りの涙目だ。彼女はこうでなくては。
渡辺とも久しぶりの再会だ。私が妻と娘をいっぺんに亡くした時以来なので、もうあれから十五年になる。お互いに老けた顔を突き合わせ、私は最大限の感謝とともに五百円硬貨を五枚贈呈した。ふと渡辺の運転手とも目が合う。若い男だ。私は彼女を無事送り届けてくれた事の感謝として、彼にも百円硬貨を贈呈した。不思議そうな顔をした男に渡辺が「必ずいい事があるから取っておきなさい」と言う。一見して真面目そうなその彼には特別に、恋の縁が来るように願ってあげよう。晩飯をご馳走しようという私の提案に一度は乗った渡辺だが、すぐさま仕事の電話が鳴り、悔しそうな表情で去っていった。
サイキも一緒に渡辺の車を見送ると、あの日とは逆に、彼女から私の手を取り長月荘へと導いてくれた。
「ただいま!」
ああ、彼女はこれが言いたかったのだな。
「おかえり」
私はこの言葉が言いたかったのだ。