下宿戦闘編 3
「おはようございます」
「ああおはよう。よく眠れたかい?」
ごく普通の朝の、ごく普通の会話である。
「はい。初めて非常用の周辺警戒システムを使って寝られました。いつもなら警報が鳴りっ放しになって煩くてかなわないですから。おかげで数年ぶりにぐっすり眠れました」
前言撤回。普通の家ではありえない会話である。まだ若干泣き腫らした目をした彼女だが、嘘偽りなく本当にぐっすりと眠れたのだろう。すごく良い表情をしている。
「所で、下宿するという事は勿論宿代として家賃を納めてもらわなければいけないんだが。どうせ当ては無いんだろうから、こちらで君が働けるお店を探しておいた。構わないだろう?」
そう、下宿とは月極め宿泊施設の事であるので、家賃を納めてもらわなければいけない。家賃を払わない下宿人など、もはやただの居候である。
「どんなお仕事でしょうか……」
一気に不安げな表情になった。まあ当たり前か。だが私もそこまで外道ではない。年端も行かない少女を働かせるのであるから、もちろん私の目の届く所にある店を用意した。近所の商店街にある顔なじみのカフェだ。
「俺もよく行くカフェだよ。マスターには電話して了承を取ってある。朝飯が済んだら準備をして、顔合わせをしないとな」
「かへ……ですね。分かりました」
分かっていないな、と一瞬で気付かせるほどの、とても綺麗な「かへ」である。
正直この一言で私は、私の中で半ば強引に固まりつつあった”少女外国人説”の鼻っ柱を見事に折られてしまった。もはや彼女が本当にSFの世界の住人である可能性しか見えなくなるほどにである。
朝食を済ませカフェへと向かう道中、そういえば私も彼女も、自己紹介をしていない事に気が付いた。
「そうだ自己紹介していなかったな。俺は工藤一郎。今年で五十八歳になる爺さんだよ。長月荘のおかげで顔は広いから、困った事があれば相談に乗るよ」
驚いたか、私はジジイだ。ハゲてはいないがもう殆ど白髪の爺さんだ。
「わたしはサイキです。名字だけで名前はありません。第二十七剣士隊で隊長補佐をしていました」
うん、もう慣れた。下宿屋の主人には適応力が必要なのだ。
「サイキ、か。この国にもな、佐伯っていう地名や苗字がある。まあ高々三文字だから偶然の一致だろうけどな」
「そうなんですか! わたしのこの苗字は珍しくて、同じ苗字の人には会った事が無いんですよ。百年前のあれ以来、わたしたちは使い捨て同然なのでよくメンバーが入れ替わるんですけれど。そうかーこっちでは居るんですね!」
何とも子供らしいはしゃぎ様ではないか。途中とんでもない事を聞いた気がするが、恐らく彼女の表情が曇るであろう案件は、今は聞かなかった事にしておこう。
歩いて十五分ほどで商店街に到着である。だが私は、大きな過ちを犯している事に気が付いてしまった。それは彼女そのものである。もうその容姿や服装は、視線を集める事を否定出来ないほどに目立つ。しかもその打開案も無い。どうしようか……。歩きながらも苦悩する私を尻目に、彼女は妙にご機嫌で肩で風を切って歩く。
(そうだ、何食わぬ顔で歩けば誰も気が付かないかもしれない)
「ママーあれなにー?」
私の目論見は十秒と持たなかったが、当のサイキは意に返さず何処吹く風である。結構図太い神経の持ち主なのか? そういえば昨日はこの格好で半日歩き回っていたのだから、これくらい平気なのか?
横を歩く私のほうが顔が赤かったであろう。とりあえずは無事にカフェに到着した。
「あーら工藤ちゃん、いらっしゃーい! その子が例の子ね。何かすごく変わった格好ね」
お前も人の事は言えんぞ。
若干オカマ口調のこの人物がカフェ「ニューカマー」のマスターはしこちゃん。長月荘の元住人でもある。さて店名といい本人の言動といい、思いっきりそっち系かと思われるが、実際には彼女は女性であるし、店名もそれと合わせているという訳ではない。二十五年前にこのカフェを開いた当時、彼女はとても綺麗で仕事も出来る看板娘として評判だった。年月とは、かくも残酷である。
「初めまして。サイキといいます。よろしくお願いします」
さすが丁寧で礼儀正しい子。完璧な挨拶である。
「とりあえず様子見として色々仕事をさせてみて、はしこちゃんが合うと思った仕事をやらせてあげてくれるかな? 俺はコーヒー一杯もらったら買い物して先に帰るけど、何かあったら連絡よこして」
頷くはしこちゃん。
「サイキ、そういう事だから。はしこちゃんの言う事よく聞くんだよ。帰り道に自信が無かったらはしこちゃんに言ってうちに連絡よこしてくれれば迎えに来るから」
若干サイキの表情が曇る。なるほど、気を張っていただけか。私は既に彼女の中では信頼に足る人物という地位を得ているのだな。
「大丈夫だから。はしこちゃんこれでも娘さん三人も居るし、商店街の人たちもいい人ばかりだから」
「ほんと、うちの子の小さい頃を思い出すわ。まあ、高校に入った途端、三人揃ってレディースデビューしたけど!」
一瞬で不安になる一言が入った。そんな私の表情を見てサイキも何かを察したようである。それでもはしこちゃんとは何かと”縁”があるので大丈夫であろう。
一杯のコーヒーを飲みつつ、色々な機材に目を輝かせる彼女を眺める。コーヒーカップの底が見えたので一声かけ、私は出口へと向かう。固い表情を見せないようにと努力しているのがありありと分かるサイキを、その横でいつも通りの丸い丸い笑顔のはしこちゃんに託し、私は今晩のおかずを探しに商店街を迷走するのであった。商店街からの帰り、外側から少しだけ覗いた「ニューカマー」の店内では、赤い頭が忙しく歩き回っていた。
どうやら私の目論見は当たっていたようだ。