一期一会編 8
研究所内で迷っていると、リタの夫、タリアが声をかけてくれた。
食堂で世間話の最中、リタもやってきた。
「何だ何だ迷ったって? まだ認証が済んでいないんだから、勝手に出歩かれるのは困るよ」
「ごめんごめん」
呆れたように溜め息を吐かれてしまった。
「はいこれ。渡しておくよ」
リタが取り出したのは手に収まるサイズの筒状の機械。ノック式のボールペンに似ていて、それの先端がない感じである。フックがありそのまま胸ポケットに引っ掛けられるようになっている。よく見ればリタもタリアも持っている。
「複合デバイス……って言っても分からないでしょ。頭を押してみて」
言われた通りにすると、機械を端として白い枠が出てきた。空中に浮いている感じであり、枠の中は薄い半透明になっている。彼女達の使うバリア防壁の応用かな?
「手の平を乗せて」
という事でその通りに。そして触ると枠の中に「認証完了 工藤一郎」の文字。
「使い方は工藤さんの携帯電話とほぼ同じ。枠を引っ張ればサイズを変えられるし、指で広げるように触れば部分的な拡大も可能。持っているだけで翻訳機能とGPS機能が使えるから、これであたしとタリア以外の研究員とも会話出来るよ。それと覚えてほしい機能が一つ。中に文字翻訳ってあるだろう? 押してみて」
「どれどれ。……何も変わらんぞ?」
画面が開いただけで何もなっていない。
「枠越しにあたし達の文字を透かせてみて」
という事で張り紙を透かせてみると、見事に私の分かる言葉に変換されている。これは便利だな。そしてそこには盗み食い禁止とある。あの食事を盗み食い……何と言えばいいのだろう。
「地図機能もあるから、迷ったらそれ使って。でも危険なエリアには行かない事。……まあ外には行けないんだけどね。仕舞う時はもう一度頭を押せばいい。くれぐれもなくさないようにね」
確かにもう一度頭をノックすると枠が消滅し、表示もなくなった。するとタリアが私に耳打ち。
「これ、昨日渡し忘れたんですよ」
「……なるほど、人のせいにしたのか」
「ちょっ……あ、あたしだって色々やる事があるの! ……ごめんなさい」
結局あっさりと謝ったリタ。やはり主任であろうとも私には頭が上がらないのだな。それともタリアには、かな?
しかし子供達も同等の便利装備を持っているはず。
「お前達ならこれがなくてもリンカーがあるんじゃないのか?」
「あるけれど、リンカーは兵士やあたし達みたいな限られた人のものなんだ。じゃあ持っていない人にはどうすればいいのか? という所から作ったのがこれ。名前はそのままホワイトボード」
「あー! あれがこうなったのか」
いつだったか、リタにホワイトボードを買ってくれとせがまれた事がある。私が買ったのは首に掛けられるような小さいものだったが、まさかこんな便利道具になるとは。
「それに、リンカーも万能じゃない。脳に直接描画しているから、どうしても自分の目で見ている事との違和感が出るんだよ。それに慣れていないと表示に神経が行って前が見えなくなる。こっちはそういう事がないからね」
なるほど、アナログだからこその利点か。……これがアナログ?
アナログで思い出したのが私の腕時計。
「そうだリタ、この腕時計を直せないか? こっちに来て止まっちゃったんだよ」
「うーん? ……了解、ちょっと預かるね。それじゃあ呼ぶまで部屋で大人しくしていてよ。また迷ったって言っても、それがある限り嘘だって分かるからね」
「ははは、ちゃんと言う事を聞くよ」
リタに腕時計を渡し、道草をせずに部屋へ。
入るとサイキとナオが戻ってきており。全員揃っていた。
「どこ行ってたんだ?」
「それわたし達の台詞! リタから報告は受けたけれど、こっちの世界の事を何も知らない状態での単独行動は止めて下さい!」
サイキに思いっきり怒られた。それだけ心配したというか、心配せざるを得ないという事なのだな。
「私達は上に呼ばれていたのよ。……工藤さんが敵意を持っていないかとか、武器を所持していないかとか、色々聞かれたわ」
侵略を受けた側なんだから警戒するだろうな。するとナオがひしひしと怒り始めた。
「あの豚、椅子に座ってふんぞり返っているだけなのに、さも自分が世界を救ったかのような顔でいるのよ。腹が立って仕方がないわ。いっそぶん殴ってやりたいくらいよ」
「ははは、どこにでもそういう連中はいるものだよ」
過去の話から察するに、上層部はかなり腐敗しているのだろう。腐ったものは切り離さなければな。といっても現状その策はない。
その後はリタに時計を直してもらい、そして上層部との面談へ。
「遂に外を見る事になる訳だな」
「それはまだ先。さっき外には行けないって言ったけれど、実はこの研究所は地下にあって、そもそも出入り口はないんだよ。地上に出ているのは精々空気の取り入れ口くらい」
「へえ。……うん? じゃあどうやって出入りするんだ?」
連れてこられたのは何やら大型の筒状の機械が鎮座する部屋。
「これがテレポーター。いわゆる転送装置だね。だから認証がないと研究所には入る事すら出来ない」
驚く間もなく私はサイキに背中を押され筒の中へ。全員入り扉が閉まり、少しめまいがしたと思ったら風景が変わっていた。
「使い過ぎると体調を崩す人もいるんだ。工藤さんは大丈夫?」
サイキに心配される私。
「ああ、ちょっとめまいがしただけ。でもお腹に子供のいるリタは大丈夫なのか?」
「これくらいならば大丈夫だよ。ただ制限として、妊婦は一日十回以下っていう規則があるけれどね」
それではサイキの言う使い過ぎとは何回なのだろうか? もしや百回以上? だとすれば、一つの拷問になりそう。
到着した場所はまたもや窓のない施設の中。
「あー失敗したな。来る前にもう少し知識がほしかった」
「あはは、大丈夫だよ。わたし達が付いています」
サイキに言われると心強い。……と思ったらそうでもない様子。どうも兵士二人はそわそわと落ち着かない。
「……わたし来るの三回目なんだ。帰還時と今朝と、そして今」
「私は五回目。……はあ、腹の立つ連中とは言っても相手は上層部ですからね」
「さすが兵士二人は序列には敏感なんだな。エリスとリタはそうでもなさそうだが」
「僕ここには関係ないから。何たって一般人だし」
「あたしは何度も来ているからね。それに序列という意味では、あたしは二人よりもはるか上にいるから」
すると二人はわざと姿勢を正して見せた。なるほど、リタとの間にはそういうものはないのだな。
リタに案内され着いたのは黒い両開き扉の前。あからさまだ。そして入るのはこれまたリタが先頭。やはり序列が高いのだな。
「失礼しますよ。工藤一郎さんをお連れしました」
やる気のないリタの声に、リタも嫌々なのが分かった。そして扉の向こうの光景を一目見た私は、そんなリタを褒めてやりたくなった。そこにいたのは一言で言い表せば豚である。醜く肥え太った強欲の豚である。それが五匹。どれもこれも同じような体型に同じような汚い顔。そして散々たる兵士の生活を聞いていたからこそ分かる。諸悪の根源はこいつらである。
一応は話を合わせつつ様子を覗う。しかし嫌になるほどの程度の低さに頭痛がしてくる。メンツ、利権、私利私欲。頭が完全にそちら側に凝り固まっており、これは本当にこの五匹の豚を切り落とす必要がある。復興の一番の障壁はこいつらだ。
「では、そちらから復興の草案、青写真を提示してもらい、私がそれに注文を付け、提案をするという形で進めてもよろしいでしょうか?」
まずは足元を見る。
「あなたの国が、復興力に長けているというのは分かりましたが、しかし実際に復興を成し遂げるのは我々だ。その邪魔立てだけはしてほしくないものですな」
そう、つまり復興を成し遂げたのは自分達のおかげであると発表したいのだ。その名誉を手に入れたいのだ。とことん腐った豚である。
「……私の提案は聞く気がないと」
「ははは、そこまでは言っておりませんよ。あくまで、全て我々の手で成し遂げたいのですよ」
「つまり、私はどうせ一ヶ月で帰るのだから、その提案を自分達に譲れと」
すると子供達四人に退室命令。不安そうな表情の四人だが、頷くと従った。
「……これは取引です。我々にその提案を譲っていただく代わりに、我々はあなたの提案を受け入れる」
百害あって一利なし。しかし、だからこそこの豚どもは使える。子供達がいなくなったのも好都合。
「復興というものが名誉に繋がるという部分は理解しておられるようですね。そして私の提案を全面的に受け入れると」
「ええ。話の分かる方で良かった」
嫌味な汚い笑顔である。
「復興において最も名誉な事とはどのような事か、ご存知ですか?」
「……いえ、申し訳ないが我々は成長しか経験しておりませんのでな、はっはっはっ」
そのおごりもある訳か。……ならば、騙してやるか。
「すみませんが、紙とペンはありますか? 私の提案を受け入れると言うのであれば、その事を誓約していただきます。ただしこちらでのやり方は知らないので、私の世界のやり方でやらせてもらいます。これも一つの提案です」
「……まあいいでしょう」
という事で紙とペンが来た。高度な文明なのにここは変わらないのだな。そして私はそこに日本語でこう書いた。
誓約書 私は下記の通り、即時に自らの意思で、司令の任を辞する事を誓う――
「下にそれぞれ署名捺印をして頂ければ完了です。これで私の提案はあなた方のものだ」
嘘は言っていない。とは言っても、気付かれればただでは済まない。もしも翻訳機で翻訳されてしまえば……。
「はい、皆さん書きました」
あっさりだ! 全く疑う事もなく誓約書に署名捺印しやがった! ……そこまで私利私欲の塊なのだな。
「それでは次に、皆さんの事を公表していただきたい。顔を知らなければ誰の名誉にもなりませんよ」
「おおーそうですな。では早速」
こんな連中でよくもまあやってこられたな……呆れるを通り越して可哀想になってきた。
部屋を出ると四人が心配そうな顔で見てきた。
「念の為子供達も同行させてもらってよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
という事で十人で移動。着いた場所はそのまま放送ブースである。なんというか、もっとよく分からない状況に進化しているのかと思っていた。
放送を開始。豚が五匹、自分自身を紹介。自ら醜態を晒している事にも気付かないとは滑稽だな。私は先ほどの誓約書をちらっと子供達に見せた。サイキは噴出しそうになり、ナオは驚き固まり、リタは不安で一杯。エリスはサイキと同じだな。
「私の紹介もしていただいてよろしいですか?」
「ええ。どうぞ」
軽率過ぎるぞ。さて私も自己紹介。
「初めまして。私は別の世界から来た工藤一郎と言います。武器技術を手に入れるために世界を渡った三人を拾ったのが私です。今回はこの星が平和になり、復興が始まるとの事なので、特別に一ヶ月間だけ滞在させていただく事になりました」
私は子供達に目配せ。
「……先ほどそこの司令の皆様に誓約書を書いていただきました。それがこれです」
「え、あれ見せるの?」「まずくないか?」「我々との誓約が市民に知られてしまうぞ」
焦る豚さん。しかしもう遅い。
「この誓約書は私の世界の言葉で書かせていただきましたが、署名もありますし、歴とした公文書です。内容はですね……」
そして私の読み上げた内容に、唖然とする五匹の豚。
「そ、そんなもの騙して書かせたものだろ! 無効だ!」
まあそう来ると思っていましたとも。
「私は嘘は一言も言っていませんし、騙してもいませんよ。私の復興の提案を受け入れる代わりに、その名誉を自分達に譲れと仰ったじゃないですか。だから私は復興への第一の提案として、一番の障壁となっているあなた方五人が、自ら辞任するという提案をしたんです」
豚がどんどん真っ赤になっていく。
「私は誓約書を書き、あなた方はその提案を受け入れた。そして私はこの提案をお譲りした。どこにも嘘はありませんし、騙してもいません。更に言えばこの提案は既にあなた方にお譲りしていますので、あなた方は自らの意思で任を降りたという事になるんですよ。それも誓約書に署名捺印した時点で、即時に」
更に真っ赤な豚さん達。そろそろ焼き豚になりそうだ
「そして復興において最も名誉な事とは、無償で手を差し伸べる事です。皆さんは自ら任を辞する事で、復興の障壁となる事を止める事で、無償で手を差し伸べた。名誉の辞任です」
私の満面の笑顔に、丸焼きの豚さん達はようやく全てを理解した。そして力なくへなへなと座り込んでしまった。勝った。
「それでは皆様、ご苦労様でした」




