一期一会編 7
彼女達の世界へと渡った私。ゲートの中は床がないようにも見えるが、何故か普通に歩ける。
「体調大丈夫?」
「ああ、今の所は変化なし」
無味無臭無音……無感とでも言うべきか、立ち止まると行き先が分からなくなる気がする。それ所か自分がここにいるかどうかも分からなくなりそうだ。一番最初のサイキは、よくこんな中を一人でさまよえたものだ。
「出口が見えたわ」
ナオの声と共に、一歩にしては過剰に出口の明かりが大きくなる。まるで歩く歩道だ。
「……着いちゃった」
恵理朱がポロリと一言。やはり恵理朱はずっと残りたかったのだろうな。いや、恵理朱だけではないな。サイキもナオも表情が暗い。
「おかえり。そして五年ぶり。ようこそ、武器兵器開発研究所へ。ようこそ、あたし達の世界へ」
迎えたのはリタ。そして白衣の研究員も複数いる。
「ああ、久しぶり。リタ」
するとリタは私に抱きついてきた。やはりこいつも子供だな。……しかし、どうやら私は鼻がおかしくなったようだ。
「リタ、早速で悪いが……」「ああ分かってる。この悪臭だろう?」
既に予想済みだったか。リタは小さな薬を一錠と水を一杯用意した。
「これを飲めば五分くらいで臭いは楽になるよ。それと工藤さんの情報が取れるようになるんだ。健康管理のためにも飲んで下さい」
「分かったよ。リタが言うんだから怪しい薬ではないし」
しかし問題があるのは悪臭だけではなかった。飲めはしたが、水もとんでもなく臭いのだ。
「……この水腐ってないか?」
「残念だけど、腐ってないよ。しっかりと浄化された水。……その話は置いといて、先に晩御飯にしようか。食べてないよね?」
「リタの指示通り昼は抜いたよ。というか、こっちでは晩御飯なんだな」
「約六時間の時差があるからね。それも含めてさっきの薬で調整出来るから、安心して。じゃあ付いてきて」
やはりリタの家なのだな。動きに迷いがない。そして道中研究員に頭を下げられている。さすがは主任である。
食堂は見事に普通だった。さすがにあれ以上進化はしないか。席に着くと他の人が食事を運んできてくれた。ありがとうとは言ったものの、そういえば言葉が通じない。
献立はクリームスープにパンにサラダ。そしてコップ一杯の水。食器は真っ白。プラ製だろうか? 質素ではあるが、一見して問題があるようには見えない。
「……どうした?」
「ううん。お先にどうぞ」
しかし子供達は皆、私が一口食べるのを待っているのだ。これは間違いなく何かある。
「それじゃ、いただきます」
恐る恐る運んだその一口だけで、子供達の行動の意味を理解した。まるで味がない。スープもパンもサラダも、水や紙を食べている感覚だ。美味い不味いの世界ではないのだ。
気付けば手が止まっており、大きく溜め息を吐いていた。
「それが、私達の標準的な食事よ。誰が好き好んでこんなもの食べますか」
「そういう事か。悪臭といい水といい食事といい、全てがおかしいんだな」
「うん。だからわたしは自分で作るようになったんだ。せめて一つでも楽しみを持ちたいと思って」
「あー五年ぶりだなあ……僕もう見るだけで食欲無くすよ」
全てが解けた気がした。五年前、子供達は問題の最中であっても、とにかく食事だけは欠かさなかった。唯一はリタがおかしくなって、原因がサイキだった時。あの時だけはサイキは食事を取らなかった。それがどれほどの意味を持つのか、今になって分かるとはな。
「じゃああたしのを一口食べてみて」
「……仕込んだな? まあいいや」
と一口。こちらは薄味ながらも食べられる。
「これが工藤さんがあたし達にくれたもの。即ち正しい味覚だよ。まだ不完全で味は薄いけれどね」
ふむ、ならば調査してみようではないか。突撃隣の厨房、なんちゃって。
「え? あ、ちょ、ちょっと!」
止めようとしたリタを振り切り、本当に厨房にお邪魔。冷蔵庫らしきものを発見したので勝手に開けてみる。
「……なんじゃこりゃ。何もないじゃないか」
「あはは、それが現実。さっきの三つだけど、正確にはあれ以外ほとんどバリエーションがないんだよ。そしてどれも味がほとんどない」
「調味料は?」
「ここ一ヶ月くらいでようやく余裕が出てきた世界だよ? そんなものない。さっきのだって化学合成で味を付けただけだからね」
驚いたというか呆れたというか。本当ならば確かな味覚を持つのが一人くらい常駐して、色々な調味料を開発してもらいたい所。さすがにそれも出来ないだろうな。
文字通り味気ない食事を終えて、ここでようやくリタが悪臭と水について教えてくれた。
「この悪臭だけどね、実は放置された遺体からの臭いなんだよ。そして水がおかしかったのもそれが原因」
「……吐いていいか?」
「あはは、そう言うと思って食べる前には話さなかったんだよ」
そりゃ食欲も無くすってものだ。そしてさすがにあの水は無理だ。そんな事を聞いてしまっては飲める気がしない。そして一週間前にリタが外を映さなかった理由も分かった。窓がない施設で良かったと心底思える。
「さて次にあたしから工藤さんに幾つかお願いがあります。一つ目にどう復興すればいいのか、青写真を作る事に協力をしてもらえませんか? 二つ目に上層部の連中と会ってもらえませんか? 三つ目に……えっと、タリアいる?」
何だ、もったいぶるなあ。すると画面越しにも見たリタの旦那さんがやってきた。
「あっ、挨拶が遅れました。リタの夫でタリアです。お話はかねがね……」
とまあ腰が低くとても良さそうな旦那さんじゃないか。背丈は私と同じくらいなのでやはり百七十センチ前後だな。
「それで三つ目なんだけれど、お腹のこの子の名付け親になってほしいんだ。出産予定日はあちらの暦で五月一日。帰宅二日前だね。いいかな?」
「ああ喜んで」
即答。すると夫婦揃って笑顔になった。旦那さんも了承済みなのだな。いや、むしろ旦那さんが推奨したのかも。
「といっても女の子ならばもう決まっているけれど」
すると驚いた表情のリタ。
「えっ、それって……いいの? 本当にいいの?」
「女の子ならばな」
「……あんた女の子になりなさい!」
とお腹に向かって一言。さすがにそれは無理がある。
「……なあリタ。睡眠薬混ぜたか? 妙に眠いんだが」
「ああさっきの薬の作用だね。部屋は用意してあるよ」
という事でその部屋へ。四人部屋だった。つまりはリタを除いた四人か。ベッドと簡単な棚、それをカーテンで仕切るだけの簡素なもの。……つまり病室だな。
「枕元のライトは手をかざせばいい。一ヶ月ここに泊まる事になるから、棚も自由にどうぞ。あとは……消灯は午後十時。今は八時だから二時間後だけど、さっさと寝ちゃってもいいよ。それくらいかな」
「分かったよ、ありがとう。……うーん、色々あるとは思うけど、全部明日でいいか? どうやら疲れもあって余計に眠いらしい」
「構わないよ。ただ三人は報告に付き合ってもらうよ」
「はあーい」
気の抜けた返事に、やはり安心している私。
「そういえば恵理朱もなのか」
「僕は重要だよ。何せ五年もいたんだから。……それとお父さん、僕はもうエリスワド・サイキだからね。佐伯恵理朱じゃないんだ。ごめんね」
「ああ、そうだな。分かったよエリス」
頷くエリス。その違いが私の口調にも出ているようだ。……自分では分からないな。
さて、それでは早いが寝させてもらおう。
――夢を見た。
あの子達が、子供だった。小さかった。そして楽しそうに遊んでいた。それだけの夢。叶わない夢。……いや、この先いつか叶う夢。世代交代し、いつか本当の平和が訪れたその時に、叶う夢。
大袈裟な事を言えば、これはこの世界が見せた夢だ。この世界が望んでいる夢だ。そう感じた。そして、私にその手助けを求めているように感じた。それは恐らく、この世界がどれほど終末に近いのかを見てしまったからだ。そして、自力では立ち直れない所まで来てしまっているのだと感じたからだ。
この一ヶ月間、私はこの世界を救おうと思う。……大袈裟だな。その一端を担おうと思う。背中を押してやろうと思う。やる事は決まった。さあ一歩踏み出すか。
起きると真っ暗だった。そして恵理朱は寝ているが、サイキとナオがいない。時間は……腕時計が止まっている。困ったな。
施設内を探索してもいいものか、リタに聞かなかったなあ。まあ危険そうな場所は雰囲気で分かるか。寝る前には気付かなかったが、天井にはどの場所にいるのかという看板がある。ここは……読めない。リタに翻訳機を貸してもらわないと駄目だな。
とりあえず記憶を頼りに食堂に行ってみるか。厨房を漁って時間つぶしである。……が、案の定迷った。しかもどうやらよろしくないエリアに来てしまった様子。天井の看板の色が赤に変わっており、しかも黄色い警告灯まである。ここは素直に道を戻る。
……迷った。しかも先程よりもよろしくない雰囲気。黄色と黒の警戒色があちこちにあり、これはお手上げ。
とりあえず雰囲気的に普通の場所まで戻り、さてどうしようか考える。
「あのー」
と声をかけられた。リタの旦那、タリアだ。
「あー良かった。目が覚めたんで食堂に行こうと思ったら迷っちゃって」
「あはは、広いですもんね。……赤や黄色のエリアには行っていませんよね?」
「あー……」「あー……」
二人して残念な声を出してしまった。
その後はタリアに食堂まで案内してもらい、ついでに話をしたいと言ってきた。
「まず先になんですけど、あのエリアは爆発物や人体に影響のある物質を扱っているんですよ。なので今後は許可なく立ち入りは禁止です。ドアは開かないと思いますけどね」
「はい、すみません」
素直に謝る私。タリアは笑顔で返してくれた。リタはい人を掴んだな。
「それでですね、改めてリタの夫として、感謝申し上げます。リタから随分と心の支えになったと、あなたがいなければ心が折れていたと、そう聞いております。時には叱ってくれ、時には怒ってくれたとも。リタはこの大きな研究所にずっといましたから、結構甘やかされて育っているんですよ。でも半年経って帰ってきたリタの表情はまるで別人でした。帰還しての一声は格好良かったですよ」
「ほほお。何と?」
「あたしは五年間命を懸けて研究に没頭する! あたしを支えられる奴だけついて来い!」
大笑いの私。リタの奴、完全に二人に触発されたな。
「それでも実際には、命懸けというほどの没頭ではありませんでしたけれどね。体を壊すほどの無理をすると、あなたに怒られるからと。おかげで私とも結ばれまして、家族が出来ました。これも含めて感謝しています」
長月荘の縁は、世界を超えて繋がっているのだなと思った。そして同時に、こちらの世界に来てよかったとも思った。
私には恩を返す機会があるのだから。




