勇往邁進編 20
――あれから四年が過ぎた。
メディアにおいて彼女達との半年間の出来事は、今では遠い過去のような扱いである。それでも菊山市が雨の日には、全国放送であっても触れてくれる。
本日は四月六日。遂に恵理朱は中学生となる。そしてその制服は、紛う事なき私立仁柳寺学園中等部のものである。勿論これは恵理朱が望んだ事。
とても嬉しそうな笑顔で制服を着て、私に見せびらかすようにくるくると回り、スカートをふわりと広げている恵理朱。
「ねえ、泣く?」
「ははは、さすがに泣かんよ」
「それじゃあこうしたら?」
すると恵理朱は、あれ以来一度も切る事なく伸ばし続けた髪を二つに分け結わえ、更には四年ぶりに髪の色を戻した。
「……これでどう?」
「ああ、そっくりだ。声はさすがに違うが……本当に血の繋がっていない姉妹なのかと、未だに疑問だよ」
恵理朱は髪を自分の形へと戻した。その髪形は当時と変わらず、中央で一本に結わえたいわゆるポニーテールである。そして髪を結わえ直すと姿勢を正し一呼吸、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。あの日の僕のわがままを受け入れてくれて、そしてしっかりと見守り続けてくれて、本当に感謝しています」
「……やめろ、泣かせる気満々じゃないか」
「えへへ、でもこの感謝の気持ちは本物だよ。僕にとって工藤一郎という人物は、本当のお父さんだから」
すっかり成長した恵理朱だが、未だに一人称は僕であり、そして私の事はお父さんと呼んでくれているのだ。それは言葉だけではなく、態度としても本当の父親として扱ってくれている。それが何よりも嬉しいのだ。
「お父さんも来るの?」
「行くよ。教師や学園長にも四年ぶりに顔を見せないといけないからな」
「あー……僕の担任誰になるんだろう? 見た事のある顔だったら、僕の事も気付かれちゃうね」
「入学試験でとっくに気付かれているだろうよ。小学校でも家庭訪問の時に思いっきり気付かれたじゃないか。”あのエリスちゃん!?”って」
「あはは、そうだった」
何気ない会話をしていると、ふと涙が頬を伝った。
「え、ここで泣く? お父さん相変わらず涙もろいんだから」
「……明美は小六で事故に遭った。だから俺は中学生の娘を見ていない。サイキ達だって編入だから、中学の入学式は初めてなんだよ」
私をからかおうとしていた恵理朱の顔色が変わった。
「ありがとうな。あの日お前がわがままを言ってくれたおかげで、俺は娘を中学校に入学させる事が出来た。絶対に叶えられる事のなかった俺の悲願が、叶ったよ」
「思い残す事はない?」
真剣な眼差しの恵理朱。その言いたい事は分かる。
「あるに決まっているだろう。まだお前の姉さん達が帰ってきていないんだからな。それに例え思い残す事がなくなったとしても、自ら命を絶つ気なぞ、微塵もないぞ」
「……あっはっはっ! うん、そうだね。それでこそ僕達のお父さんだ」
楽しそうに大口で笑う恵理朱。果たして誰に似たのだろうな。
学園へ。私と恵理朱にとっては四年ぶり。
「あ、いたいた。恵理朱ちゃーん!」
誰だ? と思ったら孝子先生だ。青柳と孝子先生だが、さすがに会う回数は減ったものの、未だに月に一度は顔を見せてくれる。そして二人の子供も一緒。双子の姉妹で明日香と未来と言い、どちらも先を見る名前なのが青柳夫婦らしい。そして姉妹どちらも恵理朱に懐いており、恵理朱は姉になった気分だと自慢げなのだ。
「……あはは、制服を着ると本当にそっくりになったね」
「えへへ、孝子先生にも言われたら本当にそうなんだって実感出来る。僕も着実にお姉ちゃんに近付けているんだ」
お姉ちゃん大好きっ子である所は健在。いやむしろ悪化しているか。
入学式を観覧中、恵理朱は誰にも気付かれず、むしろ私に気付く保護者がちらほら。あの頃の、必死に一般人であろうとした自分を思い出す。保護者一同教室にも呼ばれ、担任との顔合わせ。
「はい、皆さん初めまして。私がここ一年B組を担当します、青柳孝子と言います。担当教科は国語です。皆さん、これから三年間よろしくお願いしますね」
まさかのまさかである。順番通りならば孝子先生は現在三年生を受け持っているはず。これは後で聞き出さなければ。
その後は一人一人立ち上がりつつ簡単な自己紹介。恵理朱の出番だが、その長く綺麗なポニーテールに、小さく声が上がった。
「初めまして。佐伯恵理朱です。えーっと……」
うん? 振り返り何かを確認するように私の目を見た。これはいけない兆候だ。
「えっ!?」「うおっ!」「マジか!」
やりやがった。恵理朱の奴、皆の見ている目の前で髪の色を赤く戻しやがった。
「この通り、僕はあの時の小さな子供、エリスです。本人です。僕はあの時のお姉ちゃんと同じ年齢になり、同じ学校に入り、そして同じ教室、同じ先生と巡り会いました。お姉ちゃん達が帰ってくると約束した日まであと一年。その後僕がどうなるかは分かりませんが、僕は精一杯中学校生活を楽しむつもりです。よろしくお願いします」
髪の色を戻し、きりっとしたいい表情で席に座る恵理朱。孝子先生はそれを笑って受け入れており、さすがはあの三人の担任という感じ。
ひと騒動あったが、無事に皆の自己紹介が終わった。
「という事でですね、まー忙しくなりそうです」
大袈裟に肩を落とし溜め息を吐いた孝子先生に、保護者一同笑ってしまった。
「それでもですね、別の世界から来た三人を指導した私ですから、恵理朱一人どうって事ありません。恵理朱も人並み以上にそこの所は分かっている子ですからね。なので生徒諸君も保護者の方々も、例え一人特殊な人物が紛れていても一切気にする必要はありません。全て私にお任せ下さい、という事です」
この孝子先生の挨拶で分かった。恵理朱が髪を戻したのは、孝子先生の仕組んだ事だ。隠された恵理朱の素性が気付かれ問題化する前に、先に認知させてしまう事でその芽を摘んでしまう作戦だ。
全てが終わり私は一足先に学園長室へ。
「四年ぶりですね。その後いかがですか?」
「老けました。という冗談は置いといて、相変わらず下宿屋の主人をやっています。そちらもお変わりなく……というか、若返りましたか?」
「ふふっ、笑顔でいるように心掛けていましたら、お肌の艶も良くなりました。これもあの子供達のおかげです」
すると孝子先生と恵理朱が入ってきた。
「失礼します。学園長先生、お久しぶりです」
「お久しぶりです恵理朱さん。私の用意したプレゼントはいかがですか?」
「えーっと……?」
何の事やらという感じの恵理朱。しかし私には心当たりがある。
「一年B組に孝子先生。これ学園長が仕組んだんですね」
「ええ、そうです。合格者の名簿を見ている最中にお名前を発見しまして、遂に来たかと。なので心ばかりのお礼をさせていただきました」
「私も恵理朱ちゃんが来る事を予想していたから、あの子達を卒業させた後はあえて担任を持たずに待たせてもらったの」
なるほど、だからこうなった訳か。恵理朱も理解した様子。
「それじゃあこれは学園の皆さんと、お姉ちゃん達からのプレゼントでもあるんですね。……本当に嬉しいです。ありがとうございます」
相変わらずの察しの良さと素行の良さに、学園長も舌を巻く。
「あの、一つお願いがあります。僕もお姉ちゃんと同じように、はしこさんのカフェでお手伝いをしたいんです。その許可をいただけないでしょうか?」
やはり来たか。ずっとその気持ちを隠していた事は知っていた。何故ならば最近はしこちゃんから、お店を覗く影があると報告を受けていたからだ。さて学園側の回答は?
「……孝子先生、学生が学園に隠れてカフェでアルバイトをしていた事、過去にありましたか?」
「さあ? 記憶にありませんねー。きっと今後も記憶にはないと思いますよー」
「ですよねー」
あからさまな芝居に笑いそうになってしまったが、つまり学園への申請は不要だよ、という事だな。
「あっ……んと、すみません僕なんか変な事を言っちゃいましたね。あははー」
よく察したぞ恵理朱。
帰り道、のんびりと歩く私と恵理朱。
「それじゃあこのままカフェに行くか」
「うん。……それで、お給金をもらったら、家にお金を入れさせて下さい。今のままでも生活に不自由がないのは知っているけれど、僕の気持ちとしてそうさせて下さい」
「分かったよ。全くお前は、とことん姉と並ぼうとするよな」
「えへへ、僕の意地かな。……お姉ちゃんを心配させたくないんだ。だから自分で出来る事はなるべくしたい。そういう事」
曇りなくどこまでも真っ直ぐにお姉ちゃんを大好きな恵理朱。
それから三十分ほど歩き、カフェ「ニューカマー」に到着。
「あら、いらっしゃい。……恵理朱ちゃんもその制服を着る日が来たのね。私も感慨深いわ。そうね、今日は私のおごりよ」
「やった! あ、それで……」「いいわよ」
何を言う前からあっさりと全てを見抜いているはしこちゃん。さすがだ。
「恵理朱ちゃんがお店を覗きに来ているのは分かっていましたからね。あれは自分がどういう仕事をすればいいのかをイメージするために調査に来たんでしょ? 恵理朱ちゃんがイメージを作ってから動く子なのは工藤さんからも聞いていますから、私は何も心配していないわよ。……どうせならばこれから一時間だけ働いてみる?」
「え、いいんですか? お父さん……」
と期待の眼差しで私を見やった恵理朱。そんな顔を見せられては、頷くしかない。するとやはり満面の笑みを浮かべた恵理朱。
「それじゃあはしこさん、よろしくお願いします」
恵理朱のウエイトレス姿は見事なものであり、本当にきびきびと楽しそうに動いている。これならば私も心配無用だな。そして学園生活においても、恵理朱ならばどんな壁であろうと乗り越えてくれるだろう。
そんな事を思いながら眺めていれば、いつの間にかランチの時間になり、一気に混んできた。
「……お父さんごめん、僕このままお手伝いするから、先に帰っていて。大丈夫、お姉ちゃんみたいに誘拐はされないよ」
「ははは、サイキが聞いたら怒るぞ。鍵は持っているよな? それじゃあはしこちゃん、恵理朱を置いていくよ」
「ええ助かるわ。お店が落ち着いたら帰宅させるわね」
という事で恵理朱を置き私は帰宅。三時前には恵理朱も帰宅し、満面の笑みを見せてくれた。
こうして恵理朱は姉達と同じ中学生となった。
――その後も恵理朱は学園生活を謳歌。時には泣いて帰ってきたり、時には学園に呼び出されたり、時にはあの力で人命救助を……それはまた別の話だな。
そして時は過ぎ、季節は秋。
「……九月二十一日。今日、だよね」
「ああ。五年前の九月二十一日、朝の十時頃だったか、大きな音がして確認に外へ出た俺は、空に一筋の飛行機雲を見つけ、それを眺めていた所であいつが降ってきた。人生を終わらせるつもりだった俺の元に、人生観を根底から覆す子供がやってきた日だ」
すると恵理朱は難しい表情。
「……ねえお父さん、試しに一度だけビーコンを打ってみてもいいかな? きっとリタの言った五年後は三月二十七日だと思うんだけど、ね?」
「それはいいが、あいつらに間違って伝わらないかという問題があるな。こちらに問題が起こり、救難信号ではないかと焦られなければいいが」
「あー……それはあるね。じゃあやっぱり止めた。それに確かナオさんが、何かを仕掛けてあるって言っていたよね。僕から動く必要はない」
この言葉で分かった。恵理朱は早く姉達と会いたいのだ。しかし私の言葉に、自分のせいで向こうの世界に迷惑を掛ける事を危惧した訳だな。
「それじゃあ学校行ってきます。大丈夫、その日までちゃんと我慢するよ」
笑顔を見せる恵理朱。それが私には、自分の心を押し殺した事自体を私が不安視しないようにという、とても回りくどい心配をしているように見える。これだから我が娘は愛しいのだ。
――そして更に時は過ぎ、冬が終わり、約束の日が来た。




