下宿戦闘編 2
陥落した彼女を居間へと案内する。
我が家は元から下宿として設計して建てられたため、共有となる部分は結構広い。現在は減築して三部屋となっている二階の下宿部屋も元は五部屋あり、私を含め最大で十人もの住人がこの広い居間に集まった事もある。私の自慢だ。
「腹減っているだろう。そこに座ってなさい」
もう時刻は夜の七時半を過ぎた。あの朝の爆発音と彼女とに因果関係があるのであれば、恐らくは朝から何も食べていないであろう。彼女を椅子へと座らせ、私は彼女のためにと多めに作っておいた夕飯を温め直す事にする。
願望と現実の狭間なのであろうか、この時私は何度も謝る彼女の声を聞いている……はずである。彼女は見た目は変わっているが、しっかりした娘であるのは明白。その彼女が私に夕飯をおごってもらうのだから……。
温めなおした料理をテーブルに置き、さあ出来たぞと声をかけようとした私は少し戸惑ってしまった。
寝てしまっているのだ。
このまま寝かせておくべきか、一度起こして食事を取らせ、部屋へ案内して寝かせるべきか。相当に疲れているのは目に見えて明らかな彼女。その扱いに私の心は揺れた。
「ぜったい……助けるよ……」
寝言が漏れるている。助ける? 何を? 何から? 分からん。
今朝の会話の内容と彼女の服装、今の寝言を全て真として考えるのであれば、彼女は別世界の住人であり、こちらの世界には何か目的があって来た。そして何かを助けようとしている。絶対にという強い意思を持ってだ。
まるでどこぞのSF小説のような絵空事である。そんな話を一介の下宿屋の主人である私が信用するか? 答えは否。
この仕事を続けていれば色々な人に出会う。最初に来た下宿人は、重い病を患った我が子のためにと単身越してきた母親だった。あの時の遺品は今も長月荘で眠っている。悪人であるが、自身も詐欺師に騙され一文無しになった男。勉強しか眼中に無く、食べる事さえ忘れた挙句に空腹で倒れる苦学生。デザイナーという自身の夢を親に反対され、家出同然で飛び出してきた娘もいた。
そういう幾多の出会い、私はこれを”縁”と呼ぶが、この縁で繋がった歴代の濃いメンツを輩出してきた我が長月荘を以ってすれば、彼女のようなへんてこりんでちんくりんな小娘の事など、鼻で笑える。
「……はっ!? ご、ごめんなさい! わたし、寝てました!」
寝顔を見られて焦った、というよりも恐怖していると言うべきか。飛び上がるように起きた彼女の表情は、今日見たどの表情よりも強張っていた。
「ご飯、もう温めてあるから食べなさい」
私の言葉に小さく謝る彼女。一体、どのような日常を送れば、居眠りしていただけなのにあれほどの表情を見せられる物か。虐待でもされているのかと思ったが、一見して彼女の体にはあざや傷は見受けられない……。
というか、彼女の服装には汚れが一切無い。不思議である。半日以上も歩いていたであろう服装ならば、普通はどこかに汚れや乱れがあってもいいようなものだ。
うん? ……彼女は、よく見れば靴を履いたまま家に上がっている。ふむ、なるほど外国人か。ならば別の世界という話にも合点がいく。まあ、それにしては日本語が流暢過ぎるのであるが。
「えっと、どうやって食べれば……?」
よくある外国人カルチャーショックの一つ、箸が分からない、である。もう疑う余地も無いであろう、私はある意味で安堵し、ある意味で先の心配をせざるを得なかった。
私は別の箸を持って来て実演をしてみせた。小豆もつまんで見せた。彼女はというと、真剣に観察したのち、一発で私よりも早く小豆を持ち上げてしまう。私はいきなり負けてしまった。箸を使う国の人間が、箸を使わない国の人間に負けるのは、まこと屈辱的である。
しかし私には武器がある。そう、彼女は靴を履いたまま家の中にいるのである。少々大人気ない攻撃ではあるが、これを使おうと思う。
「所でだ、この国では家の中では靴を脱ぐんだが」
さてどう出る。
「……ごめんなさい、全部一緒じゃないと脱げないんです」
どういう意味だ? いまいち分からんぞ。服を脱がないと靴を脱いではいけない宗教でもあるのか?
「えっと、スーツ自体は全て揃った状態でトレースされているので、部位ごとの脱着は出来ないんです。私の部隊ではそもそも服を脱ぐことがありません。このスーツも着替えの時間を省くための装備です。なのでそのための機能もついています」
唐突なSF設定を振りかざされた私は、豆鉄砲を食らった鳩のような表情で固まってしまった。ならば一旦、脳を再起動せねばなるまい。
「よく分からんが、無理なら仕方ないな、うん」
再起動失敗。
まあ見た感じ、靴は汚れていないので良しとしよう。何かが間違っているのは重々承知の上での結論である。
「風呂も沸かしてあるから、食べたら入って、今日は早めに寝なさい」
「ふろ……ってなんですか?」
「浴槽にお湯を貯めてだなぁ……まあいい、食べ終わったら説明してあげるから」
先ほどの心配は見事ど真ん中ストライク。箸・靴・風呂。三つ揃ってストライクスリー、バッターアウト。
その後風呂の説明をし、彼女は訝しげる事もなく素直に入浴。三十分程度という、女性にしては早い風呂から上がってきた彼女の髪は、水滴の一つもついてる気配がない。しかしもうそんな事はどうでもよくなっていた。あとは部屋への案内、鍵の受け渡し、布団敷きまで一通り終わらせ、ようやく彼女との一日目が終了した。
「色々とごめんなさい。本当に感謝しています。ありがとうございました」
最後まで丁寧な娘さんである。