水上戦闘編 12
「皆忘れ物はないね? 忘れてる人もいないね? よーし、それじゃー帰りましょう」
数名すっかり疲れ切った表情をしつつ、帰宅準備。
「ナオさんちょっとこちらへ」
ナオだけ青柳に呼ばれた。ナオはこの時点で何を言われるのか察しが付いている。
「あの二人組みの事よね?」
「ええそうです。無事逮捕に至りましたのでご報告を。半分はナオさんの手柄ですよ」
しかしナオに笑顔はない。
「……素直には喜べない、かな。でも報告して頂いてありがとうございます。少し安心しました」
青柳も一つ頷き、車に乗り出発。
「……後ろが静かですね」
出発して十分も経たないうちに、車内は静まり返るようになった。
「うーん……三人以外全員寝てる。相良ナオ最上は、やっぱり体力あるんだね。と言っても三人も眠そうだけど」
ちらっとバックミラーで車内を確認する青柳。
「本当に良かった。特に四人は一時も気の休まる時間などなかっただろうし。……私の見立てでは、四人はそろそろ帰るんじゃないかと予想しているんだよ。多分、三月一杯かな。だからこういう楽しい思い出を作れる機会があって、それが何ものにも代え難いものになってくれたならば、これほど嬉しい事はない」
「確かに、学園でもあの子達はどこか気を張っているから、心から楽しそうな笑顔なんて見た事がなかったなあ。工藤さんにあの笑顔を見せられなかったのが残念」
「……どうかな。あの子達と工藤さんとの絆は本物だよ。ともすれば本当の家族以上に強い絆で結ばれている。だから私達が見ていないだけで、工藤さんには本物の笑顔を見せているのかもしれない。かもしれないではなくて、きっとそうなんだ。でなければ、これだけ色々な事態に巻き込まれても尚、これほどまでに強い絆で結ばれているだなんて、考えられないよ」
青柳の言葉に、孝子先生も深く頷いた。
ひそひそ声の大人二人の会話をよそに、ほぼ同時に三人のまぶたも閉じた。
「あー、三人同時に陥落」
「孝子さんも眠ければ寝て構わないよ」
「私は大丈夫。監視中心で体力はあまり使っていないから。……本当、どこからどう見ても普通の中学生なんだけどなあ」
横目で孝子先生の表情を確認した青柳が、咳払いを一つ。遂に切り出した。
「んんっ……孝子さん、一つお話があります」
「え? 何ですか改まっちゃって」
「えー……えー……」
柄にもなく緊張している青柳。それを見つめる孝子先生は、期待の眼差し。
「孝子さん、この件が全て終わったら、私と……」
「ちょっと待った」
「……駄目、ですか」
非常に、これまでにないほど残念そうな表情をする青柳。
「ふふっ、そうじゃなくてね、”この戦いが終わったら”なんてのは、死亡フラグの常套句だよ? それじゃあ国語教師として点数はあげられないなー。もう一度、私が安心して返事の出来るように、言い直して下さい」
その意味を理解し、熟考する青柳。
「……ならば、こういうのならばどうでしょうか?」
信号の色は赤。改めて孝子先生の顔を見つめ、真剣な表情へと変わる青柳。
「今年の桜が咲いたら、結婚しましょう」
「……はい」
孝子先生の返事と共に青信号に。大切な人を見つけ、運転中なので余計に真剣な表情になる青柳。その横には、うれしはずかし頬を赤らめる孝子先生。
そして実は起きていた後方の子供達。
「仲人は工藤さんだよね」
「えっ!? あんた達起きてたの!?」
「わたしが最初に起きて、気付かれないように皆に伝達していました。えへへ」
主犯はサイキ。少々の沈黙の後、大きく笑う大人二人。
「あっははは! これは、してやられたなー!」
「これだけ証人がいては、もう言い逃れは出来ませんね」
「そうだね。……はい、という事で私と青柳秀二さんは結婚を前提にお付き合いしていまーす」
盛り上がる車内。先ほどまでの眠気はどこへやらという雰囲気。
「ねーねー二人ってどこで出会ったの? どっちから付き合おうって言ったの?」
そしてこの中山の質問攻め開始である。
「出会いは……サイキさん達が学園生活を始めて一週間ほど経った時でしたかね。孝子さんも長月荘の元住人なので、早めの家庭訪問に訪れていたんですよ。そこで丁度襲撃が発生して、私が長月荘に向かって、初めて出会いました」
「そうそう、覚えてる。忘れ物をしたから戻ったら、とんでもなく焦っている工藤さんに、パソコンから三人の声が聞こえてきて。あーそれでね、実はあれ忘れ物なんてしてなかったんだよね。私の勘違い。でもおかげで秀二さんと出会えた」
「それって、工藤さんがたまに言ってる長月荘の”縁”だよね。縁がわざと忘れ物をしたと思わせたんじゃないかな」
サイキの言葉に、二人も大きく納得。
「付き合おうって言ったのは秀二さんからだよね」
「ええ。そして返事が自分もそう思っていた、でしたね。私は正直断られると思っていたので、驚きました。何せ刑事と教師、しかも私はこの顔ですからね」
「あはは。お互いが一目惚れだったからねー。本当工藤さんには感謝しないと」
「工藤さんだけではないですよ」
「そうだね。皆にも感謝しているよ」
笑顔と幸せ一杯の車内。
「じゃーじゃー、お互いはどこに惹かれたのー?」
尚も中山の質問は続く。
「……どこですか?」
「どこでしょう?」
お互いがはぐらかし合った。それに不満の声を上げる子供達。
「私は、秀二さんを見た瞬間に”あ、私この人のお嫁さんになる”って感じて、惹かれるようになったのはその後。一目惚れってそういうものだと思うよ」
「そうですね。私も一目見た時にピンと来て、刑事のカンで何かがあるとは思いました。しかしその日のうちに、それが一目惚れであると気付いて、後は知れば知るほど好きになるというか……」
「今はー?」
中山は質問攻めを止める気はない。
「敢えて言う必要もないとは思いますが、全て好きですよ」
「ふふっ、私もです」
そして二人は自分達だけの世界へと……。
「んんっ! 後ろに生徒が乗っている事をお忘れなく」
ナオの咳払いにより現実へと引き戻された二人は、恥ずかしさで一杯。
「もうこの話はいいでしょ? ほら、菊山市に入ったよ」
まずは最上一条と木村中山が一緒に下車。
「じゃーねー。明日行っていいー?」
「疲れてるから駄目よ。あんた達もゆっくり休みなさいね」
「はーい」
まるでナオが引率であるかのようだ。
次に相良。
「よっと。それじゃあまたねー。サイキ、明日は休みにしておくよ」
「うん、分かったありがとう。そうしたら月曜日にね」
「おねえちゃんをよろしく」
サイキとついでにエリスも顔を出して手を振った。
「私は長月荘に寄りたいから、先に泉ちゃんね」
という事で寝ている泉を揺り起こし、孝子先生よりも先に下車させた。
「本日はありがとうございました。リタちゃんもお疲れ様」
「泉さんもお疲れ様です」
そして車は四人と孝子先生を乗せ長月荘へ。
こうして視点はまた長月荘へと、私、工藤一郎へと戻る。
「ただいまー!」
「おかえり。ははは、皆随分と楽しんだようだな」
皆満面の笑顔である。珍しく青柳も頬が緩んでいる。
「えー工藤さん、先に一つご報告があります」
おっと、なんだろうか。途端に真剣な表情に変わった青柳。
「先ほどですね……私青柳秀二は、斉藤孝子さんに結婚の申し込みを致しました」
「……お? おおっ!? おおおー!! 遂にか!! で、返事は? あー皆まで言わんでも分かる。おめでとう」
二人見つめあい笑顔である。これが何よりの返答。
「ただしまだ色々と終わっていませんからね。婚姻届は桜が咲いてからという事で」
「それで工藤さん、婚姻届には証人の欄があるんだけど、工藤さんに書いてほしいなって。いいかな?」
「俺に書かせてくれるってのか? いやあ光栄だよ。前祝という訳ではないが、食べていくだろ?」
笑顔で頷く新婚予定の二人。
食事中も改めて馴れ初めを聞いたのだが、どうやら私が手を貸さなくとも、この二人はくっ付く運命であったように思う。
最後に青柳が孝子先生を家まで送り届ける事になった。
「くれぐれも気を付けて帰れよ。浮かれて事故なんて起したら洒落にならん」
「ええ、分かっています。それではお疲れ様でした」
長月荘の縁で結ばれた二人ならば、永く付き添ってくれる事だろう。……私と妻の果たせなかった想いを重ねてしまうのは、縁起の悪い事であろうか……。
「お前達も疲れているだろうから、今日は早めに寝ろよ」
「……その前に、私からも一つ、いいかしら」
居間に戻った所でナオから話がある様子。しかしその表情は先ほどの幸せそうな二人とは対照的に、暗い。これは何かあったな、と思わせるには充分だ。青柳は何も言っていなかったし、他の三人もその内容を分かっていない様子だ。
「まずは工藤さん、ごめんなさい。私の不注意で問題を起こしてしまいました。私が周りを見ていなくて、男の人にぶつかってしまって、それでちょっと……」
素直に頭を下げるナオ。少し瞳に涙が滲んでいる。
「青柳が何も言っていないっていう事は、気付かれたり怪我をしたりという訳ではないんだろう? ならばそれで構わないよ。泣くほどの事じゃないぞ」
「違うの。……事の顛末を簡単に説明するとね、私が余所見をして歩いていた時に、二人の男の人にぶつかって転ばせてしまったのよ。それで、少し脅されて……小さなナイフを突きつけられたのよ。言い付けは守ったわ。なので反撃せずに青柳さんを呼んで、青柳さんは一発殴られていたけれど警察手帳を提示して、それで解決」
「うーん、ならば余計にそこまで謝らなくてもいいぞ?」
慰めるほどに涙目になっていくナオ。
「私……怖かったのよ」
自分の感情を確認するかのように小さく言い放ったその一言で、ナオの言わんとしている事を察するには充分だった。
「リタ、私はあなたに色々言っておきながら、いざ自分の番になると、たった数センチのナイフにも恐怖を感じ何も出来なくなったのよ。情けない。恥ずかしいわね、全く。……だから私、リタに偉そうな口を利ける資格なんてなかったの。ごめんなさい」
リタに向かって涙目で謝るナオに、当のリタも少し困っている。
「恐怖を感じる相手といえば侵略者程度。仲間から剣を向けられてもそれは演習であり怖くはないわ。唯一サイキに本気で切り付けられはしたけれど、それは見知った顔であるので恐怖とは思わなかったの。……だから、知らない人間に刃物を向けられる事の恐怖を、私は知らなかったのよ。そんな私が、リタに”怖がるな”だなんて言えるはずないじゃない……」
悔しそうに臍を噛むナオ。ナオは刃物そのものにではなく、それに対して恐怖心を抱き、何も出来なくなった自分を恥じ、悔やんでいるのだな。そしてサイキに対して一度は同じ感情を抱いたリタに知った口で叱り、荒療治で復帰させた事に、負い目を感じた訳だ。
さて次はリタの番だ。
「……やっと女の子らしくなったですね」
まずは一言。そして長い沈黙が流れ、更に一言。
「それだけですよ?」
この返答には我々全員が唖然。
「え、いや、ほらね、もっとなんか、こう、ね? ……無いの?」
思わずしどろもどろになってしまう私。
「ふふっ、それこそ今更ですよ。それに、ナオの涙だけでリタは充分です」
にっこりと優しい笑顔を見せるリタだが、ナオ自身は納得出来ていない様子。
「でも、私はリタを侮辱したも同然なのよ?」
「リタはそうは思っていないですよ。ナオのあれは、リタを、そして皆を守るためには必要な事だったです。だからナオは間違っていないですよ」
大きく溜め息を吐き、納得したというよりは根負けした様子のナオ。
「はあ……分かりました。でも、リタの抱いた恐怖心を軽視していた事には変わりないもの。だからもう一度改めて言わせて。……ごめんなさい」
するとリタは、頭を下げているのですぐ目の前にあるナオの頭をなでなで。
「悪いと思ったならば、それで充分ですよ。どうしてもと言うのであれば、もう損な役回りを演じるのはやめるです。それで許してあげるですよ」
ナオは頭を少し上げ、リタへと抱きついた。泣いているような、笑っているような、そんな表情だった。
やはりナオは、自分が歳の上では一番の大人である事を自覚している。だからこそ皆を支え、誰も脱落させまいと気を張っているのだ。だからこそリタの言う損な役回りも自ら進んで演じてしまう。私も含め、皆それは分かっていたのだが、一本気なナオの事だ、言っても聞かないという事も重々分かっていた。しかし今回の事でそこに隙間が生まれた。そしてリタはしっかりとそれを見抜き、撃ち抜いて見せたのだ。
サイキもリタも、そしてエリスも、ほっとした表情をしている。恐らく私も。