水上戦闘編 11
「ただいまー」
「あ、おかえり。あれ? 秀二さんは?」
買出し班が帰ってきたが、そこには青柳が居ない。
「工藤さんに連絡してくるって。……あ、来た来た。ナオちゃんと合流してたんだね」
二人が帰ってきたが、ナオの表情が暗い。
「ナオどうしたの? 転んだ?」
「あんたじゃないんだから。……なんでもないわ」
次に皆青柳に目をやる。
「少し絡まれていただけですよ。念の為に警察手帳を持ってきておいて正解でした」
「ああ、なるほど」
皆それ以上詳しく聞く事はしなかったが、青柳の顔に少しあざが出来ているのは皆分かっていた。
――少し時間を巻き戻し、ナオの視点へ。
「確か入り口の所で浮き輪を借りられたはずよね」
リタの浮き輪を借りに、プール入り口近くまで来たナオ。
「えーっと、どこかしら……うあっ!」
ナオが余所見をしたタイミングで男性が二人飛び出してきて、ナオと衝突。
「ご、ごめんなさい! お怪我はありませんか?」
「ってーな、どこ見て歩いてんだよ!」
「あーあー怪我してたらどうすんだよ!」
男性二人は軽く転倒しただけであり怪我などはないが、ナオは他の三人が何かを起すならまだしも、まさか自分の不注意で事が起こってしまうとは露とも思っていなかったので、余計に焦りが出て萎縮してしまっている。
「……なんだ、よく見りゃ結構いい女じゃんよ。オレらと遊んでくれるなら、許してやってもいいぜ?」
「いえ、そういうのは、ちょっと……」
「あん? ぶつかってきておいて、拒否権があるとでも思ってんの? おらこっちこいよ!」
ナオの腕を掴む男性。ナオは焦りと混乱で抵抗が出来ない。
「いや、ちょっと、やめて下さいっ!」
ようやく少し冷静になったナオは、男性の腕を振り解く。
「んだ!? ムカつく女だな! おい、やっちまおうぜ」
男性の一人が、ポケットに隠し持ったバタフライナイフを取り出し、ナオへと突きつけた。これにはナオも驚き言葉を失ってしまう。必死に打開策を練るナオ。
(……このままじゃ侵略者以前にこいつらに殺されかねない。でもこんな所で装備は使えないし。どうする私……)
「へへへ、怖がってやんの」
(私が怖がってる? ……こんな奴らに恐怖を抱くなんて、畜生、一生の不覚だわ)
「声出すんじゃねーぞ? まー誰も助けになんてこねーけどな」
その時ナオに案が浮かんだ。
(助けに……救援要請……私なら出来るじゃないの! でも二人を呼ぶと事態が悪化しかねない。……青柳さん、気付いてっ!)
一方青柳は、買出しのためにセカンドバッグを持っており、その中に携帯電話を入れていたのでこれにすぐに気が付けた。
「……すみません、工藤さんに連絡を取るので、後は皆さんだけでお願いします」
「え? あ、はーい」
子供達を残し、小走りにナオの救援へと向かう青柳。
「全く、世話の焼ける子供達だ」
ナオの装備により、男性二人には気付かれずに青柳に指示を送る。それを確認した青柳は、より早足で現場へと急行。
「いた!」
現場は係員からは死角になる場所であり、人も来る事はない建物の端。ナイフを持った男性は、今まさに腕を振り降ろさんとしている場面であった。
「何をしているんだ!」
静かに、かつ凄みのある強い口調でそう言い放つ青柳。男性の腕を掴み、そして捻り降ろす。
「いいっ! ……んだオッサン!」
「私はその子の保護者で……っ!」
青柳の言葉を遮り、もう一人が青柳の顔面に拳を突き立てた。
「青柳さん!」
「へへっ、二対一だぜ? オッサンが勝てると思ってんのかよ!」
青柳の目には、まるでボクサーのようにファイティングポーズを取る二人の男性の奥にいる、完全に敵を、侵略者を睨む表情のナオが映った。
「……仕方ありませんね」
何よりもナオの暴発を危惧した青柳は、セカンドバッグを開き、とあるものを取り出した。
「あん? なんだそ、れ……!?」
手の平サイズの黒い手帳に、燦然と輝く旭日章と警察庁の文字。それを開き、男性二人へと提示。
「警察庁特務捜査班、青柳秀二です。お二方は、刑事に刃物を向け、拳を振るいました。それがどういう意味を持つのか、お分かりですね?」
みるみる青くなっていく男性二人。
「……五秒以内に消えなさい」
カウントダウンを始めた青柳。そして男性二人は一目散に逃走。
恐怖から開放され気が抜けたナオは、床にへたり込んでしまった。
「ごめんなさい。これは私の不注意が原因です。あの二人にぶつかったからこうなった。私が悪いんです」
涙声のナオ。青柳は叱るべきか慰めるべきか、迷っている。しかし何かに気が付き、話を進めた。
「……ええ、そうです。ナオさんの不注意がきっかけでこうなりました。しかし話はまだ終わっていない」
青柳は携帯電話を取り出し、何処かへと電話を掛けた。
「……警察庁の青柳です。今金辺市近辺で指名手配中の、二人組みの婦女暴行犯いますよね? ええ、最近連続で……はい。そいつです。それを金辺シーワールドで発見しました。……いえ、中ではなく駐車場にいると思われます。……はい。それではお願いします」
携帯電話を切ると、腰が抜け、目に涙を浮かべているナオへと手を差し伸べる。
「ナオさん、あなたがきっかけで、卑劣な犯人を逮捕出来る、かもしれません。……よく手を出さずに耐えましたね」
小さく頷くが、差し伸べた手を取る事もせず、ただ涙が止まらないナオ。見かねた青柳は、普段工藤のやるように頭を撫でてあげた。
「……ごめんなさい。私、あんな奴、あんな小さな刃物一本を怖いと思ってしまったの。こんな事じゃ、二人に合わせる顔がない……散々リタに大きな事を言っておいて、あんなのを怖がるだなんて……」
「その反応は至極真っ当です。むしろあの場面、あの手段で私に助けを求めるという判断を下せた事は、賞賛に値します。ですから、合わせる顔がないだなんて思う必要はありませんよ」
自ら手を掴み、引き上げ立ち上がらせる青柳。
「目が赤くなる前に涙を止めて、皆さんと合流しますよ」
無言で小さく頷くナオであった。
時間を現在に戻す。今は皆で昼食中。
「浮き輪さえあればリタも深い所に行けるですよ」
「そう言って後先考えずに突っ走っちゃうんだよね、リタって」
「サイキには言われたくなかったですよ。誰ですか? エリスが来たからって後先考えずに突っ走った挙句、何も出来なくなって強硬手段に出て、後になってそれが再燃して泣き崩れたお馬鹿さんは?」
「……全部言わなくてもいいのに」
それでも笑い合うサイキとリタ。ナオも少し笑って見せるが、内心は非常に複雑である。
「さてこれからの予定だけど、四時には出発したいから三時半を目処に集合ね。時間になっても戻らない子は置いていくよー」
という事で午後の部開始。班分けは同じだが、今回は皆一様に流れるプールへと直行。
「あれ? 皆同じ? ……そしたらさ、一周レースしない?」
「なっちゃんの割には好戦的じゃないの。ふふっ、私は乗ったわ」
「……よっしゃ、男の意地見せてやろうじゃないか。ああでも周りに迷惑は掛けないように。じゃないと怒られるぞ」
最上も参戦表明し、最終的には子供達全員参加となった。ちなみにサイキ姉妹、リタと泉はそれぞれペアでの参加である。
「ルールは簡単。一周してここに最初に戻ってきた人が勝ち。三人はズルしちゃ駄目だからね」
流れるプールが周回出来る構造なのを利用した、水泳レースが開幕。
最初に飛び出したのは、意外にもリタ泉組。リタは浮き輪装備でバタ足。泉はそんなリタを押すように泳ぐ。特に泉は天然の浮き輪が付いているので、安定して速度が出せるのだ。
「……あれには負けたくないっ!」
何故か相良、木村、中山の三人に火が付いて猛然と追い上げ始めた。現在一位はリタ泉組。それを三人が追い、一条ナオ最上サイキ姉妹と続く。
「あれがチチの仇っ! なんてなー」
一条の言葉に、ほぼ並走状態のナオが笑ってしまう。
「あはは! あーあ、後で皆に言ってやろうっと」
「それだけは勘弁!」
ナオを引き離しにかかる一条。しかしナオもしっかり後を付いてくる。
「わたしはエリスと一緒に後ろからのんびり付いていくよ」
「おねえちゃん本気出したら、ここから勝てる?」
「うーん……無理。お姉ちゃんあんまり泳ぎ得意じゃないから」
サイキ姉妹は後方から、あくまでマイペースの展開。
「最上君は先に行ってもいいよ」
「それじゃあお言葉に甘えて、上位狙おうかな」
速度を上げ、上位陣を追い始める最上。
半周を過ぎ、トップは依然リタ泉組。しかし既に疲れが見え始めており、明らかにペースが落ちてきている。二位には相良がおり、それを僅差で木村中山コンビが追う。その後方からは、いつの間にか一条を追い抜いたナオが来ており、女性陣での速さでは一番である。更にその数メートル後方には一条、そして先ほどまでかなり差があったにもかかわらず、最上がすぐそこまで来ている。最後はサイキ姉妹が仲良く遊泳中。
「うー……ゴールまで持たないかもです」
「私も……飛ばし過ぎた……」
「無理をするくらいなら勝負を投げてもいいですよ?」
「……私だって負けるのは嫌なんだから!」
泉の言葉に、内に秘めた闘争本能を感じ取るリタ。ならば自分も最後まで頑張ろうと決心。
「ここで再加速? あいつら沈まないだろうね」
そんな二人を心配する相良。自身はまだまだ余裕の様子である。
「私駄目かも……」
ここで木村が中山との競り合いに敗北しペースダウン。すぐ後方から来たナオにあっさり追い抜かれる。ナオはそのまま中山も追い抜き三位に浮上。
「ナオちゃん速くない!?」
驚く木村。そしてその後方からはもう一人猛然と追い上げてきている。
「えっ!? 最上君も速っ!」
ゴール地点、子供達の動きを察知した青柳が待機中である。
「……来ましたね」
へろへろになりながらも必死に泳ぐリタ泉組が一番に青柳の視界に入る。しかしすぐ後方には相良がおり、ホームストレートに向いた所で遂に二人をかわし一位に躍り出た。
「まだまだだね!」と捨て台詞も完備。
しかし後方確認がおざなりな相良は、真後ろにナオがいる事に気が付かず気を緩めた。
「おっさきー!」
「ああっ!」
あっさりとナオに追い抜かれた相良。
「終わる前から気を抜いちゃ負けて当然よ」
と豪語するナオだが、自身も背後から来ている最上には気が付いていない。それに気が付いたのは、既に並ばれた後であった。
「リザルト前に終わった気になると死ぬんだよね!」
最上も捨て台詞を吐き、そして一位でゴール。
「んあーっ! 悔しいっ!」
二位はナオ。水面をこれでもかと叩き、それはそれは大層な悔しがり方である。
「いやー負けた負けた。二人には勝てると思っていたけど、まさかナオちゃんと最上に負けるとは、予想外」
三位相良。剣道をやっているおかげか、体力的にはまだ余裕がある。
「私到着ー! 何位だったー?」
四位です。中山は全く疲れを見せていない。その事に皆意外な顔。
「……もう……駄目ぇー……」
五位はリタ泉組。あまりにも疲れてへろへろであり、青柳の助けがなければプールから上がれなくなっていた。
「ふえー……皆速いね、私もっと上に行けると思ったのに」
「俺も。ってかリタと泉ちゃんがいきなり飛ばすんだもんなー」
随分とお疲れの木村が六位。まだ余裕のありそうな一条が七位。
「……あの二人は?」
「えっ? ……やらかした!?」
不安になる一同をよそに、サイキ姉妹が仲良くどんぶらこと流れてきた。
「ふふっ、あれには文句は言えないわね」
「全くです」
途中から勝負の事などすっかり忘れていたサイキ姉妹は、皆が揃っているのを見て、ようやくその事を思い出すのだった。