機動戦闘編 13
「ただいま! ごめん、早退した」
息を切らせてナオが帰ってきた。時刻はまだ十一時。早退した、か。
「早退とはどういう了見だ? お前自身が今日は登校すると決めたはずだが」
「まずは、休憩させて。体力落ちたかしら……全く」
水をコップ一杯飲み干し、息を整え終わったナオ。
「ごめんなさい。えっと、簡単に言うと先生に帰らされたのよ。皆に気を使わせちゃった。私も少しおかしくなってたみたいね。だからごめんなさい。でも、まずは私一人にやらせて下さい。その上で協力して下さい」
ナオの必死の形相は学園からここまで全力疾走してきたからだけではないようだ。ようやく我々らしくなってきた。
「さてどうする?」
ここからがナオの本領発揮だろう。
「正直まだ決めかねているの。だって、一つ間違えたら二人をいっぺんに失ってしまうわ。そんな事になってしまったら、この世界は私一人の手で守るしかなくなる。そんなの不可能な事くらい分かるわよ。だから、まずは二人とも引きずり出す。その上で落ち着いたリタから状況を全て聞き出すわ」
まずは情報収集か。戦いの基本だな。
「説得出来ればそれに越した事はないけれど、もしもの時は荒事になるかもしれない。エリス、私がリタやお姉ちゃんを攻撃したとしても、恨むのは私だけにしてね」
「うん。分かってます」
エリスは即答だ。何が起こっても誰のせいでもないという事を、しっかりと理解しているのだろう。
「……ナオさん、ぼくを人質にしてもいいよ。二人が言う事を聞くならば、ぼくはそれでも構わないから」
「ふふっ、その手もあるわね。最終手段として検討させてもらうわ。工藤さんも、いいわね?」
「この状況を切り抜けられるのならば構わないさ」
しかし侵略者から狙われる立場のエリスが、自分を人質にしてもいいと言い出すとはな。この子は肝も据わっている。
「それじゃあ二人を連れてくるわね。工藤さんも念の為に付き合って下さい」
作戦開始。私はナオの後を付いていく。まずは201号室のサイキ。ドアの横に置いてある朝食は丸ごと残っており、すすり泣く声が中から聞こえる。
「サイキ、泣いているだけじゃ何も始まらないわよ。降りて来なさい」
ナオの出頭命令にサイキのすすり泣く声が一旦止まった。
「……合わせる顔……ないよ……」
「いいから出てきなさい」
「だって! わたしのせいでこんなになったんだよ! どういう顔で皆に会えばいいのさ! もう嫌だ! わたしなんていなくなればいいんだ!」
叫ぶサイキ。勿論これくらいの声量ならばリタにも聞こえている。死のうとは考えるなと警告していたが、いなくなればいい、か。リタを二十五人目にしてしまったという考えに、どれほど追い詰められているのかがよく分かる。
「二度同じ事言わせるんじゃないよ! ドアぶち破るぞ! ああん!?」
こちらも完全に喧嘩腰である。というかまるで何処かのチンピラである。そして私に本当にやってもいいか確認をしてきた。これは設備代が掛かりそうだ。
「よし、許可は出たから五秒で開けないと蹴破るからね」
そして秒読み開始。しかしサイキはすぐにドアを開けた。その顔はずっと泣き通していたので真っ赤であり、しかも目の周りと鼻の頭に血が滲んでいる。袖を見るとぐっしょりと濡れている。何度も袖で涙を拭い続け、こすれて血が滲んだという事か。……考察する必要はなかったようで、やはり袖で涙を拭った。
「ひっどい顔して。それでもあんたお姉ちゃんなの? 駄目駄目じゃない。私がどうにかしてあげるから、あんたは居間で待機!」
サイキは、そんなナオを睨む。しかし今のナオにその程度の睨みは効かないぞ。大体そんなみっともない顔では効果半減もいい所だ。その後はナオに部屋から引きずり出され、突き飛ばされるように背中を押され、渋々という感じで居間へ。
次はリタだな。朝食は……ない。室内に入れたか。
「リタ、聞こえていたでしょ? あんたも来なさい。あんた、私達に理由も教えずにいなくなるつもりじゃないでしょうね。そんな事したら、向こうに帰った時にただじゃおかないわよ」
「……」
こちらは無言。ナオはドアに種族特有の長い耳をつけ、中の様子をうかがっている。そして私に向かって頷いた。動きはあるという事だな。
さてどう脅すのかと思っていたのだが、ナオはあっさりと引いた。
「リタ、あんた種族で大人だって言うのなら、大人らしくしなさい。下で待っているからね」
そして振り返り私へ。
「リタは必ず来る。二人はどう思っているのか知らないけれど、私は二人を熟知しているつもりよ」
居間へ降りると、サイキは床に、やはり力なくぺたんと座り、エリスに抱かれ頭を撫でられていた。
「おねえちゃん、なーんにも変わってないね。相変わらず失敗して、相変わらず泣いて、相変わらず全部自分のせいだと思い込んでる。おねえちゃんぼくに言ったでしょ? 姉妹なんだから心配くらいさせろって。その言葉、そっくりそのまま返すよ」
その言葉に、お姉ちゃんはすすり泣き謝るばかり。サイキがこちらの世界に来てから何度も何度もこの子の謝罪の言葉を聞いたが、数の上では今回、既に今までの全ての回数を上回っているだろうな。それほどまでに謝り続けている。
我々に気付いたサイキは、どうにか立ち上がり謝ってくる。
「ごめん、なさい。もう、わたし一人じゃ、分からない。どうすればいいの?」
するとナオはサイキの頭を撫でて一言だけ。
「任せなさい!」
その力強く放たれた言葉に、サイキはナオに抱きつく。余計大きく泣きながらだ。
それからすぐ、二階のドアが開く音が聞こえた。その音に過剰に反応したサイキは、追い立てられるかのように居間のドアから最も遠い壁の隅に移動、顔を見せないように壁に向かって立ち尽くす。少しでも気配を消そうとしているのか、泣き声を押し殺し、体を震わせている。
ゆっくりとドアを開け入ってきたリタは、やはりまずサイキの位置を確認した。そこに表情はなく、まるで銀行にある分厚い金庫の扉でもあるかのように心を閉ざしているのが分かる。これの開錠は一筋縄では行きそうにないぞ。
ナオを見ると、予想はしていたのだろうが、それを上回るリタの様子に苦い表情をしている。しかし深呼吸を一つし、真剣な表情へと変わった。
「リタ、まずは全部話して頂戴。長くなっても構わないわ。なぜこうなったのか、その最初から今の今までの全てを話して」
「話す事なんてないです。皆もう分かってるですよね? その通りです」
口をへの字に曲げ、吐き捨てるように言葉を放り投げるリタ。これは益々難しそうだ。
「それは私を誤射した理由が、銃を撃てなくなった理由が、サイキを怖がっているからという結論だけでしょ。どうしてそうなったのか、その経緯も含めて全て話しなさい」
両者の睨み合いは続く。そして加害者側となってしまったサイキは、ここで耐え切れず座り込んだ。リタの目線が動き、そしてまたナオを睨む。本番はこれからである。
「そもそもリタは二人とは違うただの一般人です。二人と同じように戦えるはずがない。はっきり言って、最初から無理をしていたですよ」
「はっ! そんなの言われるまでもないわね。でもあんたはそれを承知で来たんでしょうが。ご両親に反対されてもね」
両者共に既に怒鳴り合いの様相である。
「見通しが甘かったのは認めるです。でも、あんな扱いを受けるだなんて誰も予想しないですよ。邪魔だと言われ蹴られるし、勘違いとはいえ首に剣を突きたてられるし、挙句斬りつけられる。こんな不条理許せるがずがないですよ! ただでさえ侵略者に恐怖心を抱いているのに、仲間だと思っていた人にまでそんな扱いを受けて……」
リタの一言一言に心を抉られているサイキ。リタは言葉の拳を振り続ける。
「それでも……それでもどうにかやってきたですよ。でも、あの時、休み時間に演習した時、サイキが振り返って飛んで来た時……リタは仲間に持っちゃいけない感情を持ってしまったですよ。サイキに恐怖を感じてしまったですよ。そうしたらもう、今までの全てがあふれ出して、止まらなくて……もうどうにもならない。自分でもどうにも出来ないんですよ! 挙句今度はリタが仲間を傷つける側に回ってしまった。もう、無理です! こんな状態で二人と一緒にいられるはずがないですよ!」
「それでも私達はやらなきゃいけないの。戦って勝ち取らなきゃいけないの。負けは即ち死。そういう世界なのよ!」
「それは二人が兵士だからですよ! リタは一般人、単なる研究所の技術者! 二人みたいに記憶を消されてもいないし、家族の顔も覚えているし、帰る場所だってある! 何もかも二人とは違うですよ!」
この言葉が、ナオの逆鱗に触れてしまった。
「甘い! あんたの考えは甘過ぎる! 戦場に立つからには恐怖心なんてあって当たり前。あんたね、私が一番槍だっていう事忘れてるわよ。形成された布陣のど真ん中に単身突っ込む一番槍である私が、毎回どれほどの恐怖心と戦っているか、あんたは分かってない!」
「そんなの……リタの知った事ではないですよ。それに、ナオだってリタの恐怖は分からないはずですよ。何も知らずに育って箱庭から出てみれば侵略者ばかりだなんて、どれほどの恐怖か分かるですか!」
「ええこれ以上ないほどに存分に分かるわよ! 私もサイキも、他の兵士も皆、過去の記憶がない時点であんたと同じ状態なのよ! あんたと同じように箱庭から戦場へと送り出されているの! あんたよりも年下の子が、あんたよりも物知らずな子が、人知れず戦場を生き抜き、死に絶えているの! それでも文字通り死に物狂いで、死ぬ気でどうにかやってきた結果が今の私、今のサイキなのよ! あんたみたいなガキに私達の恐怖や苦労が分かってたまりますか!」
このナオの激怒にはリタも驚き戸惑っている。自分が一番底辺からのスタートであると思い込んでいたリタにとっては、兵士という肩書きのある二人は常に前を進んでいる存在であるという認識だったのだろう。それが実際には自分と同じ状態を経験しており、それでも進んでいるという事を、まざまざと見せつけられてしまったのだ。
「でも……でも、リタは素人です! 二人みたいに訓練は積んでないです。そんな状態でいきなり戦場に出されて……」
「馬鹿じゃないのあんた! 私達何度も言ってるよね? あんたはもうとっくに戦力だって。それは既に訓練でどうにかなるレベルをはるかに超えた経験を積んでいるっていう事。あんたが本当に素人だって言うならば、エリスを見なさい。本当に何も知らないって言うならば工藤さんを見なさい! 二人に対して同じ事を言ってみなさい!」
「それは……」
こちらに目を向けるリタだが、その目はすぐに空中を泳ぐ。
「……でも、それでも無理です。サイキへの恐怖心が消えない限り、また仲間を撃つかもしれない。そう考えたらもう、引き金を引けないです! そんなリタはもう戦力外なんです! もうお荷物には戻りたくないです! ならばいっそ居なくなったほうが二人の為なんです!」
最後の一言を終え、部屋へと逃げ帰ろうとするリタを、ナオが静止する。
「リタ待ちな! 話はまだ終わっちゃいない!」
「何ですか! もう放っておいて下さいです!」
「そういう訳には行かないのよ! ここであんたを失う訳には行かないのよ!」
改めて振り返りナオを睨むリタ。一方ナオも強く睨みつける。
「サイキ、立ちなさい」
ナオはサイキを立ち上がらせる。壁を向いたまま、壁に手を突き立ち上がるサイキ。
「こっち向きなさい」
命令されるがまま、ゆっくりとナオの側を向くサイキ。その表情はやはり涙で崩れている。
すると突然ナオは昨日リタが放り捨てたショットガンを取り出し、リタを睨みつけたまま、サイキの事を一切見ずに、サイキの足の甲へと一発発射。命中し、サイキの右足義足が損壊した。驚き、思わず屈み足を押さえるサイキ。
「いっ……たくはないけど、何するのナオ!」
怒鳴り声を上げ、顔を上げたサイキ。ナオの持つショットガンの銃口は次にエリスの頭へと向けられている。サイキは先ほどまで泣いていたのとは打って変わり、まるで敵視する表情でナオを睨んだ。
「それくらいのハンデがあればいいでしょ。リタとサイキ、エリスを殺されたくなければ二人で勝負しなさい」
いくらエリスに許可をもらっているとはいえ、本当にやるとは思っても見なかった。エリスは演技か本気か、震えている。
「嫌だと言ったら、どうするですか?」
「この銃でリタ以外の全員殺して私も死ぬわ。あんたの銃で皆死んで、生き残るのは銃の所有者ただ一人。冤罪の証拠もないのだから、別世界で仲間二人を身勝手に殺した挙句、その世界を滅亡に追い込んだ人物として有名になるわよ。良かったわね、リタ。サイキみたいに仲間殺しの主任なんて渾名でも付くのかしら? 娘が仲間殺しになるだなんて、ご両親もさぞお喜びになるでしょうね」
嘲笑し煽りは充分。ナオも自分を捨てる覚悟のようだ。
「ナオ……見損なった!」
サイキは剣を取り出し構える。リタも拳銃を取り出し構えるが、こちらはやはり手が震えている。
「あはははは、リターそんなんじゃ怖くもなんともないわよ。誤射でもしない限り私には当たらないんじゃない?」
一方にじり寄るサイキにも目を配るナオ。当てはしないがエリスの足元へと一発発射し、またエリスの頭へと銃口を突き付ける。さすがにこれは私も怖い。
「サイキ、駄目よ? あんたがそこからエリスを助けられる確率はゼロ。まあ、リタと連帯を組めばどうにかなるかもね。さて、どうするのかしら?」
サイキはリタへ救援を求むように目線を送るが、リタはそれに逆の反応を示してしまい、銃口をサイキへと向けてしまう。それを見てサイキは観念し、腕を下げた。
「……勝負って、何をさせるつもり?」
「ふふっ、やる気になったわね。工藤さん、サイキから剣を受け取ってリタに渡して。リタは今持ってるその拳銃をサイキへ」
私は指示通りに動く。二人も素直に従った。なるほど、ナオのやりたい事が読めた。下衆な考えではあるが、これは面白そうだ。
「いい? 二人ともそれ以外の武器は使用禁止。もしも破ったら、ここが血の海になると思いなさい。サイキが勝てばリタは首輪を付けてでも居残らせる。リタが勝てば脱落を認める。どちらかが参ったと言うか、血を流した時点で勝負はおしまい。分かったらさっさと始めなさい」
号令と共にリタはサイキへと剣先を受ける。
「おいおい、外でやれ!」
「あ、ごめんなさいです」
私の怒鳴り声に一瞬素に戻るリタ。やはり今のこれは、誰のためかはともかく、無理に自分を作っているようだ。まずはリタが外へ。それを確認してからサイキが動いた。右足を引き摺りながらではあるが、空に上がれば関係ないだろう。
「……一滴でもエリスの血を流してみなさい。わたしがあんたを殺すから」
サイキは全くナオの作戦には気付いていない様子。好都合である。サイキも外へ出たのを確認し、大きな溜め息を一つし、ショットガンを仕舞うナオ。エリスの横に座り、頭を撫でる。
「……はあ、結局こうなっちゃったか。私もまだまだね。ごめんなさい工藤さん。長月荘に穴作っちゃった。ごめんなさいエリス。震えていたわよね? 怖かったでしょ」
「うん……ううん、大丈夫」
その一言だけでもナオに気を使っているのがよく分かる。ナオに頭を撫でられて、ようやく表情が柔和になった。
「ふふっ、エリスはリタみたいにトラウマにならないでよ? そんな事があったら、本気でサイキに剣を向けられちゃうわ」
「その時はぼくが止めます」
「これは心強いわね。……さて、やりますか」
パソコンを用意し二人と繋ぐ。観戦はバッチリである。武器を交換し、元仲間殺しのサイキ対、引き金を引けないリタの一戦が始まった。