機動戦闘編 5
「工藤さん、買い忘れはないですか?」
「うん? どうした唐突に。冷蔵庫にあるもので充分済むぞ」
晩飯の準備に取り掛かろうかとした所で、何かを言いたげに私を見つめてくるエリス。何か食べたいものでもあるのか? いや、そうではなさそうだな。とすると、買い物に行く事自体に意味がある訳か。買い物と言えば商店街だが……あ、そういう事か。
「じゃあちょっと買い物に行って……カフェに寄るか」
「はい。えへへ」
私は無事、正解を導き出す事に成功した。
米を研いで炊飯器をセットするだけはして、カフェへと向かう。買い物などほぼないに等しいので、さっさと終わらせカフェへ。さてあの二人はどうするのだろうな。帰りはそのまま全員で帰る事にしよう。
「いらっしゃいま……せー」
最後だけ声が小さくなった。笑顔の凍りついているサイキとナオ。接客業がそんな表情を見せちゃいかんなあ。いつものテーブルいつもの注文。敢えてリタを手招き指名。
「エリス、リタ、帰るまでは何事もないように振舞う事。いいな?」
二人とも無言で頷く。こんな人目のある場所で恫喝する訳にもいかないので、その件は帰宅後に取っておく。
二人は普通にお手伝いを遂行中。たまにちらっと私の顔を見る事はあっても、私自身、だから何だという感じであり、何か行動を取る事はない。
しかし二人を目線で追っているうちに、いつもと違う、何か違和感がある事に気が付いた。その根源は恐らく、視界に入り込むリタだ。
普段は三人とも、客と会話をする事はあってもカフェの手伝いに集中しているのだが、今日のリタは何というか、集中力が散漫というか……、目線が二人に、特にサイキに飛びがちなのだ。顕著なのはサイキがリタの後ろを通る時。真後ろで止まろうものならば、体をずらしてまでサイキの位置を確認している。リタからの事前報告では、二人に対しかなり強く怒ったとの事だが、もしやそれに対して何か負い目でも感じてしまっているのだろうか?
近くにリタが来たので、捕まえて直接聞いてみる事にした。
「演習で体力を使ったからですよ。気のせいです」
うーん、リタの耳は動かない、という事はそうなのだろうな。何か少し引っかかる気もするが、どちらにしろこれ以上の詮索はしないでほしいという事だろう。
それから幾許かの時間が過ぎ、閉店間際には客は私とエリスだけである。三人はそれぞれ皿洗いや後片付けに追われている。
「あと十分ね。もうお客さんも来ないでしょうし、少し早いけどお店閉めるわよ」
というはしこちゃんの判断でほんの少しだけ早く帰宅の途に就く。
帰り道、エリスは敢えてかサイキとは離れ、リタと手を繋ぎ我々の一歩先を歩いている。サイキとナオは気まずそうに私の後ろに並んで歩いており、無言の中何度も溜め息を吐く声が、私の所にまで聞こえていた。
という事で帰宅。私も意地が悪い人間なので、そうすぐに謝れる時間は作らせない。帰宅後はさっさと食事を作り、食べさせ、尻を蹴るかのように急かしサイキを剣道場へ向かわせる。
さあ、これで居間にはナオ一人だ。気も漫ろであったためか、サイキと分断された事にようやく気が付いたナオは、早々に諦め私の手による処刑を待ち続けている。
食器を洗い終わり、私がさてとソファに座ると、まるでシーソーでもあるかのように反対にナオが立ち上がり、そのまま勢いよく頭を下げる。
「申し訳ございませんでしたっ!」
やはりナオはあっさりと謝ったか。
「演習を提案したのは私だし、サイキの煽りに乗って危険な場所を飛んだのも認めます。すみませんでした!」
ふむ、素直に謝罪する所だけは褒めてやろうか。しかしその口調は、所謂若者の逆切れ状態である。本当に心からそう思っているのかは、甚だ疑問であるな。
「……でも!」
おっと。悪い予感的中。
「最初に煽ってきたのはあいつなのよ? 演習中も散々人を小馬鹿にした態度を取って、あのルートを通ったのもあいつのせいよ? 元はと言えばあいつが……」
「そこまでだ」
「あっ……」
話を止めさせ睨む私と目が合い、改めてまずい事を言ったと青ざめるナオ。
「リタとエリスは二階に行ってなさい」
さて、これで一対一である。
「お前がそういう事を言う人間だとはな。失望したよ」
先手は私から。と言っても、既にナオは降参寸前である。
「……ごめんなさい」
「お前のそれは、口では謝っていても心の中では反省していないのと同じだ。自分は悪くないのに、何で自分は謝らなくてはいけないのだと言っているのと同じだ。責任は全部サイキにあって自分は悪くはないんだとな」
私は強く言う事はなく、淡々と、どちらかと言えば優しい口調で叱る。私の目の前にいる小娘は優秀な頭脳を持つ。私のこの言葉だけでも、自分の非の全てを理解するには充分過ぎるだろう。
「……すみませんでした。今回の事は弁解の余地もありません。今後このような事のないよう、誠心誠意努めてまいります」
敢えて堅苦しい言葉を使うのがこの子らしい。そしてこの言葉は信用しても大丈夫だ。その証拠に、ナオは泣くのを、それはそれは必死に堪えているのだから。
しかし先ほどの通り、私は大層意地悪な大人なのだ。最後に駄目押しと行こう。
「では聞くが、次同じ事があった場合、お前さんはどうするつもりだ?」
さてどう来るかな? ナオは鼻をすすりながら考えている。サイキは鼻を垂らさない泣き方だが、ナオは逆に涙よりも鼻が出る泣き方をするのだな。この子の泣き顔は今まで何度か見た事はあるが、改めて泣き方まで観察出来るほどの余裕があるのは初めてだな。
大きく深呼吸をし、その涙に崩れた顔を私に見せた。
「次はない。そうなる前に止める。それが年長者たる私の役割だもの。だから改めて謝罪させて下さい。今回の事は本当に申し訳ありませんでした」
一安心、という訳でもないが、ナオに関してはこれで終わりとしよう。
「工藤さん、一発殴ってもらえるかしら?」
唐突ではあるが、その意図は言わずとも理解出来る。フラック使用で入院した際に私を殴った事、そしてエリス関連でサイキを殴った事。あの時と同じ痛い思いを他人にさせる事のないようにと心に決めていた、それを破った自分への戒めのためだ。
「女子供の顔に拳を突き立てるのはさすがに俺もしたくはない。頭下げろ」
そして思い切りではないが、強めにゲンコツを落とす。一瞬小さく、ほんの小さく悲鳴にも似た、痛みに耐える声を出したナオ。そしてその体勢のまま「ありがとうございます」と一言。鼻をすするのでティッシュを箱ごと渡すと、年頃の娘とは思えない勢いで鼻をかんでいる。お淑やかさの欠片もないな。
さてもう一人の帰宅まで後一時間か。
「ただいま……」
と思ったら帰ってきた。随分と早いな。その声には一切の覇気はなく、これから起こる事を想像して気が重いのがすぐに分かる。
「え、えっと……そう! 剣道場が風邪でお休みで、早く帰ってきました。あははー」
居間のドアを開けるや否やこれである。本当にこの子は嘘がすぐ分かる。よくこんなので嘘の自分を演じていられたものだなあ。それとも他人への嘘だけが下手なのだろうか。
しかしナオの赤く腫れた目を見て、すぐに表情が変わった。静かに床に正座し、土下座ではないものの頭を下げた。
「今回の件は全部わたしが原因です。ナオもリタも悪くない。言い訳はしません。すみませんでした」
本当に素直になったものだな。
「いえ、私も悪いわ。危険行為を止める所か、誘いに乗った時点で同罪。当たるとは思っていなかったけれど、リタに、あんたに向かって撃つように指示したのも私だもの。ごめんなさい」
涙で鼻声になっているナオも、改めて私と、そしてサイキに謝る。
「リタにも謝らなくちゃ。呼んで……」「もういるですよ」「ダメなおねえちゃん達」
時期を見計らっていたのだろう、二人が入ってきた。リタは無表情であるが、エリスはかなり怒っている。
「危険性を感じた時点で二人を止められなかったリタにも責任はあるです。怪我のない範囲でとはいえ、サイキに向けて引き金を引いたのもリタの責任です。申し訳ありません」
私の隣に立ち姿勢を正したリタも、改めて謝罪した。下がる犬耳が心の内を示している。
「リタ、ごめんなさい。あなたの警告に従うべきだった。せっかくちゃんと見ていてくれていたのに、わたしったら……」
「私からも、ごめんなさい。私はもっと悪いわ。作戦という名目上だとしても、仲間を撃てと指示したんだもの。あれだけ怒られるのは当然よ」
「……二人とも、リタもごめんなさいです」
それぞれがそれぞれに頭を下げた。
さてと私が喋るより先に、エリスが三人に向かって叱り始めた。
「ぼくもリタから話は聞いたけれど、三人全員悪いよ! おねえちゃんはすぐ調子に乗る! ナオさんは作戦を立てる役なのに何でそんな簡単な誘いに乗っちゃうの! リタもだよ。ぼくが見ても一番人に向けちゃいけない武器で、何やってるの! みんなぼくよりも大人なんだから、しっかりしてよ! もしまた同じ事したら、もう誰も助けてくれなくなるよ!」
三人それぞれを、これでもかと睨みつけるエリス。これが一番効いたようで、三人仲良く下を向き沈黙。私が言うべき事はもうないな。
「全てエリスに言われてしまったがな、今回の事は誰でもないお前達三人、全員揃っての失敗だ。各々ではなく、三人揃ったチームとして反省するように。分かったな?」
「はい」
返事の声が三人重なった。エリスは三人を尚も睨みながら頷いた。エリスは完全に上官だな。その証拠として、私を差し置いてエリスが解散指示を出したのだ。
「じゃあ三人とも部屋に戻って反省してください! ……あ、ごめんなさい。工藤さんの台詞でした」
「ははは、今のはエリスのほうが似合っているよ」
しかしサイキの帰りが早かった理由は聞いておかなければ。
「心ここにあらずな状態じゃ稽古にならないし、何より危険だって。それで帰れって言われちゃった。気付かれちゃうよね、やっぱり」
「武器を扱うお前達が一番よく分かっている事だろうけれど、動揺や動転していると、思いがけない事故が起こるからな。それは何においても同じ事だ」
その後、私は二人だけで相談があると言っていたリタを待った。日を跨ごうかという所で、リタが降りてきた。
「あの、相談ですが……」
「なんだい?」
うつむき、耳も下がっている。長い沈黙の後、涙が滴り始めた。これは尋常ではない様子。
「……やっぱりいいです」
言うが早いか、逃げるように二階へと駆け上がっていくリタ。サイキ姉妹の仲の良さや、ナオと血縁者の事、リタ自身の血縁者とは疎遠になってしまった事が重なり合って、遂にホームシックに限界が来たのかもしれない。
私は203号室の前に行き、ドアをノック。
「……いいです。大丈夫ですから、気にしないで下さいです」
部屋の中から小さく聞こえるその声は、良くない、大丈夫ではないという事を物語っており、気にするなというのには無理がある。しかしこれ以上踏み込んでしまうと、余計に事態がややこしくなってしまうのも想像に容易い。
「無理しているならば、ちゃんと言ってくれよ。本物の家族ではなくても、俺はもうそれと同等に思っているんだからな」
「……大丈夫です。リタを信じ……なんでもないです。おやすみなさいです」
「分かったよ。おやすみ」
この反応では、リタの事だから何をやっても口を割らないな。引くしかなさそうだ。