高速戦闘編 10
本日は曇天。しかし天気予報では雨は降らない様子。そういえばあれ以来、天気予報で菊山市に雨の予報が出ると、必ずその事を言うようになったなあ。
私とエリスは今日もサイキの元へ。結局毎日行っている。昨日はどうにか立ち上がれるようになっていたのだが、今日は若干ふらつきながらも歩けるまで回復していた。しかしナオの回復速度とサイキの特別な治癒能力から考えるに、もっと回復が早そうなものだが。
「わたし達の技術では骨のほうが治しやすいんだ。でもわたしは筋肉や内臓器官、神経組織も一部損傷。なので時間が掛かっちゃう。あ、でもちゃんと元通りになるから心配はしないで」
「リタも後遺症はないと言っていたから信じるよ。でもな、心配しないのは無理だぞ。退院したらちゃんとリタと話し合うようにな」
「うん、分かりました」
昼を過ぎた頃、曇天に心配げな顔をしていたエリスが帰りたいと言い出した。
「今日は雨は降らない予報だし、それにお姉ちゃんの傍にいるほうが安心なんじゃないのか?」
「ううん、ここにいて侵略者がぼくを見つけたら、病院にも迷惑になるし、おねえちゃんも絶対に無理をしますから」
まあしっかりしている子だ事。という事でサイキとは別れ、バスに乗る。
エリスを見た乗客は髪の色に一瞬反応するが、その背丈と髪型の違いに不思議そうな顔をする。これがまた面白い。既にエリスには我々の状況を理解させてあるので、当人は特に気にする様子はない。我々は後部出入り口のすぐ横に座る。
バスが走り出して幾許もなく、携帯電話が鳴った。ナオとリタの二人からだ。一瞬他の乗客の迷惑にならないかと迷ったが、小声ならば大丈夫かな。青柳ともすぐに繋がった。
「工藤さん今病院?」
「いや、帰りのバスの中だ」
「……ええとね、まずい事に深紅が二体。しかも北東と南西の真逆の位置に出たわ。北はリタ、南は私が担当する。長月荘までのルートには影響は出ないと思うから、工藤さんはそのまま帰って下さい」
「了解した。復帰戦だからって気合入れ過ぎて病院送りになるなよ」
「笑えない冗談ありがとう」
冗談で済むのならば万々歳だ。
携帯電話では音声接続が精々。エリスは不安そうな顔で私の手を強く握っている。
「リタ到着です。現状では大きな被害なしです」
「暴走だけはするなよ」
と、ふと前を見ると乗客数名がこちらを見ている。後ろの席のサラリーマンが声をかけてきた。
「すみません、アレ、ですよね?」
「あ、あはは……アレです」
凄く気まずい。電話越しの二人も何となく状況を察したのか、無言である。
「じゃあその子供さんがサイキさん?」
「いや……」
さすがにどう言おうか迷ってしまう。しかしエリスは強かった。
「妹のエリスです。ぼくにはおねえちゃんみたいな戦う力はないので、皆さんには黙っていました」
「へえ、そうなんですか。いや、これは失礼しました。てっきり何で行かないのかと思ったんですけど、そういう事ですか」
他の乗客も納得した様子。一方エリスの繋いでいる手が少し震えている。やはりこの子は無理をしているな。
さてバスの乗客がどう思っているのかが何となく掴め、私の電話にも納得してもらえた様子なので、小声で改めて二人から状況を聞く。
「リタは本体の無力化中です。ちょっと話しかけないで下さいです」
怒られてしまった。それだけ集中しているという事だな。
「私はまだ周囲を掃除中。学園から遠かったせいで地上に少し被害があるわ。青柳さん、こっちを重点的にフォローすべきかも」
「了解しました。私は今リタさんの側に付いています」
「分かったよ、こっちはまだ半分も行っていないな。最後の一人は?」
「リンクだけの状態。病院だから遠慮しているんじゃない?」
「なるほどな。それじゃあお前達気を付けて……と言いたい所だが、悪い、それ所じゃなくなった」
侵略者のおかわりだ。しかもバスからかなり近い位置に出てきた。
「ちょっと! 今私もリタも手が離せないわよ!?」
現在バスは停留所で停車中。なのでドアが開いており車内にも風が入り、車体も揺れる。
「あっ! エリス待て!」
私の手を離し、開いているドアからエリスが走って逃げてしまった。まずいぞ、あいつ何を考えているんだ!?
「お金はいいから追って下さい」
バスの運転手が私に向けて言い放つ。ここはお言葉に甘えよう。
「後日支払います!」
「何かあったの?」
「停留所にいてドアが開いてて、エリスが逃げた。……畜生あいつ何処行きやがった? 人に言っておいて本人がこれかよ。全くとことん似ている姉妹だな」
我ながら悪役の口調である。焦る私に釣られてナオも焦っている様子。唯一冷静なのはリタだ。
「工藤さん、そっちは赤鬼です。エリスは……赤鬼に向かって行ってるです」
「あいつ本当に何考えてるんだよ! とにかくこっちも赤鬼に近付く。お前達は大至急深紅を倒して合流!」
手の掛かる子ほど可愛いとはよく言うが、手の掛からない子が突然とんでもない行動に出ると物凄い怒りを覚える事が分かった。実の娘である明美は……そのどちらでもなかったな。言わば平均的な子だった。
さて、息を切らしながらも結構走れている事に自分で驚きつつ、私はエリスを追おう。
一方病院のサイキへと視点を向ける
「エリス……二人は間に合わない。今助けられるのはわたししかいない……のに、何で、何でエネルギーを回復させてくれないの? 何でわたしに行かせてくれないの? わたしに何が足りないの? わたしに何をして欲しいの……? 分からないよ……」
一人病室の窓から空を見上げるサイキ。
「お願いだから、わたしにエリスを助けさせてよ。わたしに救わせてよ。わたしはどうなったって構わないから、お願いだよ……」
サイキの嘆願は通じず、エネルギーが回復する兆しはない。
「努力したくてもそれすら出来ないなんて、このままじゃまたわたし独りになる……嫌だよ。もう独りは嫌だよ! もう、分からないよ。どうすればいいの……」
窓に向かい膝を突き崩れるサイキ。泣くのを堪えるのと、どうすれば認めてもらえるのかという思考がぐちゃぐちゃに絡み合い、背後にいる人影にすらも気が付かない。
「サイキさん」
「っ!?」
佐々木医師がサイキに声を掛ける。全く気付かなかったサイキは驚きの表情で固まる。
「どうすればいいのか、ヒントを差し上げましょうか?」
「え……わ、分かるんですか? ……教えて下さい! お願いします! お願いしますっ!!」
サイキは、近付いてきた佐々木医師に、焦り這いずるような格好になりすがり付く。
「ではヒントです。私は工藤さんから、あなたは何でも一人で抱え込んで無理をするので、その場合は引き止めて欲しいとお願いされました。なので私は、今のサイキさんならば引き止めます。これがヒントです」
「……えっと、どういう……今のわたしならば? 今の……抱え込んで……」
考え込むサイキの表情が変わった事を佐々木医師は見逃さなかった。
「引き止める必要はなくなったようですね。しかしまだ退院は認めません。これは一時外出ですよ」
「ありがとうございます!」
笑顔の戻ったサイキを見て、佐々木医師は病室を後にした。