疾走戦闘編 17
ようやく私と三人、それとエリスを加えた五人の、少し変わった普通の日常が再開された。朝はナオが最初に降りてきて、サイキ姉妹、リタの順だった。
「サイキ、宿題は終わったんだろうな?」
「うん、二人に助けてもらってどうにか。あとリタの耳なんだけど、校内限定で出してもいい事にしてもらいました」
「それ昨日のうちに言えよ。しかしよく許可してくれたものだなあ」
「……耳を触るのと引き換えだったです。学園長先生、凄く嬉しそうだったですよ」
「あはは、何となく想像が出来る。リタの耳柔らかいからなあ」
そしてリタから、頼んであったエリス用の通信手段についての中間報告が入った。
「工藤さんの携帯電話のようなものにするべきか、体に身に付けて使うものにするべきか、ちょっと迷ってるです。エリスはどっちがいいですか?」
「うーん……」
とそのまま熟考に入り動かなくなってしまうエリス。この子は本当にしっかりと考える子だ。
「夜までに考えておけばいいですよ。今でも工藤さんさえ一緒にいれば問題はないですから」
という事で三人は登校。エリスはどうなのかと思ったのだが、昨日のサイキとの会話が効いているのか、あっさりと離れて手を振った。
私はまずSNSを覗く。竹口に用事があるからだ。
「業務連絡。管理人へ、連絡乞う」
さてどれくらいで連絡が来るかな?
「これなんですか?」
おっと、エリスからの質問である。色々なものに興味を示すのはいい事だな。
「そもそもここが下宿屋だっていうのは分かってる?」
「……げしゅくやって、なんですか?」
ああ、そこからか。
その後色々と説明をするのだが、エリスは理解するのが早く、とても説明しやすい。もしかして教えたら教えた分だけ伸びる、大器晩成型なのかも。だとするならば運動もいけるのかもしれない。そして説明の最後にエリスが答え合わせ。
「えっと、つまり今まで長月荘に住んでいた人達と、やり取りをしているっていう事ですね」
「そういう事。エリスは頭がいいな」
「そうですか? えへへ」
そして凄く可愛い。そうだ、近々に芦屋家へも紹介しに行こう。
お昼頃、来訪者が一名。
「連絡をくれと言われたので馳せ参じました」
「まさか直接来るとは思わなかったぞ。IT社長の癖に暇そうだな」
「あはは、実は用事で近くまで来ていたんですよ」
竹口はじめが直接乗り込んできた。ついでなので昼飯を奢ろうと居間へと上げる。
「おっ……あれ? サイキちゃん小さくなった!?」
「あいつの妹だよ。エリス、この人がさっきのSNSの管理人で、竹口はじめ」
「……はじめまして」
そしてまたよく分からない言葉を発し興奮している竹口。エリスも全力で苦笑いである。
一旦落ち着かせ昼食。相変わらず若干警戒しているエリスだが、私と普通に会話している所を見て、悪い人ではない事は分かっているようだ。
「あーそれで、工藤さんの用事は何ですか?」
食後、本題に移る。
「んとな、子供達のホームページっていうのを作ろうかと思っているんだよ。こちらから出せる子供達の情報や、侵略者の特徴を書けば避難に役立てたり出来るだろ」
「それもそうですね……分かりました、納期はいつですか?」
納期と言った途端仕事の顔になった。やはりIT社長というのは伊達ではないようだ。
「急がないし、趣味感覚の片手間でやってくれればいいよ」
「プロに趣味でなんて言ったら、かせが外れてとんでもないものを作り始めますから駄目ですよ。でも内容からして、なるべく早く仕上げるべきですね。うーん、本気出せば明日には出来ますけど、とりあえず写真も撮りたいので子供達の予定を聞いて、再度連絡下さい」
「分かったよ。忙しそうなのにわざわざすまんな」
という事で依頼料という訳ではないが、百円硬貨三枚を渡す。これでも喜んでくれるのだから、住人達は本当に私のおまじないを信じているのだな。
竹口が帰ると、次はエリスが私の袖を引っ張った。
「今日はかへ……カフェには行かないんですか?」
発音を直したな。本当にこの子は学習能力に秀でている。
「うーん、幾つか買い足したいものもあるから商店街には行くけれど、カフェに寄るかは別だなあ」
そこで無理に行きたいと駄々をこねる事がない辺り、さすが出来た子だ。時間的にはいい所。天気を確認すると今日はずっと晴れだな。買うものはエリスの勉強道具と……そういえばエリスの着ている上着は春秋物のように生地が薄い。三人のスーツのような機能は付いていないだろうし、記念という訳ではないが、新しい上着を買ってやろう。
商店街への道中、改めてエリスの容姿を見ると、少し気になるというか、知りたくなる所がある。
「エリス、ちょっと聞きたいんだけどな、お前さんのその髪型ってお姉ちゃんを意識してるのか?」
「ううん。ぼくの知っているおねえちゃんは髪を結んでいなくて、丁度ナオさんみたいな感じでした。ぼくの髪型は、お母さんが、似合うからっ……」
最後に少し言葉を詰まらせたエリス。うつむくも、しかし泣き出す様子はない。やはりすぐには受け入れ難く、身内の死というものを想像出来てすらいないのではなかろうか?
……しかし昔のサイキは髪を結んでいなかったのか。そういえば、サイキがあれ以外の髪型をしている所を、入院中ですらもただの一度も見た事がない。今度頼んでみようかな。
そしてもう一つエリスの服装で気になっているのが、手首に身に付けている白い腕輪。親からの贈りものである場合、思い出して泣かせてしまう可能性があるので今は聞かないのが得策かな。うーん、これに関してはサイキに聞くべきだな。
「いらっしゃいま……今日も来たんだあ!」
そして昨日と同じく私の手を離れサイキに抱きつくエリス。本当にお姉ちゃん大好きなのだな。席に座るとエリスはメニューを見て、そして私の顔色をうかがっている。これは、昨日のコーラフロートがはしこちゃんの奢りなのだという事を理解していて、そして値段を見て高いものを選ばないようにとしているのだな。いや、しかし小学一年生くらいの子供がそこまで気を回せるだろうか。自分で予想して自分で否定したくなってしまう。
「えっと、これ……」
「うん? あはは、エリスにはそれは早いと思うよ。うーん、ココアがいいかな?」
「そうだな。俺にはいつもの、エリスにはホットココアをよろしく」
「かしこまりましたあ」
笑顔満点で注文を取り終えるサイキ。
「……これ、なんだったんですか?」
不思議そうな表情で、注文を変えた理由を聞いて来るエリス。
「コーヒーって言ってな、苦い飲みものだ。安いからって昨日の俺のと同じにしたんだろうけど、子供が飲むようなものじゃないよ」
私の読みは当たりのようで、エリスは一転恥ずかしそうにしている。この子はそこまで気を回していたのだ。恐ろしく良く出来た子だ。
運ばれてきたココアを見て、エリスはまた不思議そうな表情をしている。コーヒーと色が似ているのだから仕方がないか。
「俺のは苦いけど、そっちは甘い飲みものだよ」
私の簡単な説明に頷き一口。最初は熱そうだが、その後は笑顔になる。どうやら今度からはエリスの”いつもの”はココアになりそうだ。ついでなのでサイキを手招きし耳を引っ張り、本人には聞こえないように小声で会話。
「エリスの白い腕輪、あれ両親からの贈りものだったりするのか?」
するとサイキは一旦は首を振ったが、傾げ、また横に振る。その意味が分かった私は頷き軽く手を振り手伝いへと戻す。サイキの記憶の封印は完全に戻った訳ではなく、本当に限定的にしか分からないので、答えを思い出せないのだ。
エリスもココアを飲み終わったので、三人とはしこちゃんと別れ、勉強道具と上着と、ついでなのでお菓子を買う事にする。
まずは文房具屋へ。さて何を買おうかと思っていると、店主が袋を渡してきた。何かと思うと中には文房具セット一式が。不敵な笑みを浮かべる店主を見るに、昨日エリスを見た時点で察していたという事だな。さすが商売人。隣の本屋でもすぐさま小学一年生用の勉強ドリルが出てきた。そして相変わらずいい値段。
「おねえちゃんが勉強しているのはこれですか?」
「いや、三人はずっと先だな。でも自分に合うものをやらないといけないぞ。リタでも少々無理をしているから、エリスには……進んでも二つ先までかな」
「同じにならなくてもいいっていう事ですか。……分かりました」
つまり進んでも小学三年生までという事なのだが、エリスは吸収力のある子なので、教えれば中学生くらいまでならば行けそうでもある。
次に上着。入った洋服屋でエリスが最初に選んだのは、安売りされていたあまり生地の厚くないものだったのだが、これは先ほどのカフェの注文と同じで、値段を見て私に遠慮しているのだろう。気にしなくてもいいと念を押し、エリスが選んだのは水色のいかにも暖かそうなジャケット。首周りには毛皮も付いており、防寒性はこれでもかと良さそう。
「もしかして今まで寒さを我慢していたのか?」
「……ちょっとだけですけど」
という事は結構寒かったのだな。コーラフロートは失敗だぞはしこちゃん。
しかしサイズ的に少し大きいなあ。まあこの歳の子供はすぐに大きくなるので大丈夫だろう。値段は……見なかった事にしよう。早く来い来い特別収入。その場でタグを取ってもらい着せると、子供らしい表情でとても喜んでいた。
後は昨日買っていなかったエリス用のキャンディ他お菓子を数点購入し帰宅。
昨日の三人のリクエスト料理を作っていると、その匂いに釣られてかエリスが様子を見に来た。三人に対してはギリギリまで秘密にしていたのだが、エリスはオムライスもカレーも知らないはずなので、このまま見せていても構わないか。
途中三人が帰宅。やはりエリスはサイキにくっ付きに行った。そして珍しくサイキではなくナオが私の様子を覗きに来た。その表情から、また料理をしたいと言い出してくるのであろう事は読める。
「諦めの悪さはさすがだな。でも手伝うような事はないぞ」
「……工藤さん、実はサイキと話していたんだけど、少しずつでもいいから、本当に教えてくれないかしら? 包丁の握り方からでもいいから」
その表情は真剣である。これは茶化してはいけないな。
「仕方ないな。でも今日は本当にもうやる事はないぞ。明日以降だな」
「感謝します。……実はね、料理は訓練学校で少し習った程度なのよ。サイキはしっかり作れるものだから、意固地になっていたのも事実ね。でもエリスを見るサイキを見て、そういうものは捨てようって。うん、そういう事」
柔らかな笑顔で戻っていくナオ。背中からでも嬉しさがにじみ出ている。エリスの加入が予想以上に大きな影響を与えているなあ。
さて私の特製オムカレーの披露である。三人は待ちきれないという様子で、エリスはそれを見て期待に胸を膨らませている。出てきた謎の黄色い半球に茶色の液体がかかった物体に度肝を抜かれているエリス。
「えっ? えっと……えーっ!?」
とてもいいリアクションだ。スプーンを渡し、先に食べる三人の様子を観察。とろけそうな満面の笑みで止まらず一心不乱に食べるその様子を見て、恐る恐る一口。さてどうだろう?
「……美味しい。今まで食べてきた料理の中で、一番美味しい」
最高評価、星三ついただきました。その後は三人と同じく一心不乱に食べ、あっさりと完食。お粗末さまでした。
食後、サイキが剣道場へと向かう前にエリスの腕輪について聞いてみる事にした。サイキも昼間の私の質問が気になり、確認しておきたかったらしい。
「……おねえちゃん本当に記憶にないんだね。これはおねえちゃんからもらったんだよ。最初はおねえちゃんが着けてたのをぼくがもらったの」
「そう、なんだ……。ごめん。覚えてなくて……」
これにはサイキも相当なショックを受けている様子だ。
「ううん、おねえちゃんが覚えていないのが何でなのかは分かってるから。だからそんな顔しちゃダメだよ」
「……うん、そうだね。ありがとうね」
今度はサイキからエリスに抱きついた。そしてエリスはサイキの頭を撫でている。この仲の良さには私も嫉妬せざるを得ない。
「じゃあおねえちゃんは、みんなを守るために強くなりに行ってください。ぼくはちゃんと待ってるよ」
エリスがあまりにもしっかりしていて本当に驚く。リタもそう変わらない年齢のはずなのにしっかりしているしで、何と言うか、私が一番幼いのではないかという錯覚さえ起してしまう。いや、錯覚ではないのかも。
剣道場へ向かうサイキに手を振るエリス。しかしやはり寂しいようで、居間で復習中のナオとリタ、二人の間に半ば強引に割り込んでいた。察しのいい二人は嫌とも言わず、逆にくっ付き返すのだった。