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猫じゃねえし  作者: いずみっち
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当日の朝

「あぁ、おなかすいた。朝ご飯食べたい。おなかすいて、もうなあんにもできないぃぃ」


たも香はスキー用ズボンに片足を乱暴に入れながら恨めしそうな目で、もぐもぐ動いている私のあごを睨みつけた。


「食べたいのなら早く起きればいいことでしょ。ちゃんと余裕のある時間に作ってんだから。成長期のあなたには、ゆっくりしっかり食べてほしいくらい。」


いやもう、うるさい、きもいと憎まれ口をたたきながらズボンの前ボタンをもどかしそうにパチンととめる娘を背に、お弁当用にこさえた卵焼きのあまりをこれ見よがしにほおばる。


たも香の通う中学校では、3学期中に2度スキー教室が行われ、1年生は今日が今期初めての授業である。

バリバリのスポーツマンという訳ではないが、勉強机に向かいカリカリ問題を解いているよりは手足を動かしながら誰かとおしゃべりしているほうが楽しい彼女にとって、一日中スキー場でのびのびと過ごすことのできるスキー教室は魅力的なイベントのひとつだ。


今着ているウェアは、従来の様に祖母に見立ててもらったのではなく、初めて自分自身が選び抜いた好みのスタイルとのこと。派手付きの彼女は、ズボンこそ真っ黒だがジャケットは明るくカラフルなグラデーションの下地に様々の向きの英単語のスタンプが全体にちりばめられた、景気の良い感じになっている。まるで娘の上半身だけがバブル全盛期のようだ。


お気に入りのウェアを着終わると、少しだけ機嫌が直った様子。娘の空腹の訴えに心を痛めたパパが口に運んでくれた野菜の牛肉巻きをほおばり、ようやくいつもの笑顔が戻った。


「ほぉらぁ、もうスクールバスの時間だよ。早くいかないと間に合わないよ。」


毎日こうしてお尻を叩かないと、バスに乗ることもできない。いっそのこと、なにも言わないでいるとどうなるかと試してみたが、5回に3回は乗り遅れるという結末であった。


「こんなに持って行けないよぉ。どうやって持って行けってさ〜。」


彼女が恨めしそうに睨んでいるスキーとスキー靴は母親の私が普段使っているものだ。

今年に入り、娘の身長が母親の私を少しだけ追い抜いた。

昨年まで彼女が使用していたものでは長さが足りず滑りにくいだろうと、年明けに富良野のスキー場で待ち合わせ、一緒に初滑りを楽しんだイトコの清美に指摘された。

新調すると出費がかさむので、私のスキーを使ってもらうことになったのだ。今までよりもサイズが大きいので重たいのが気に入らないらしい。見かねた私は、


「パパ、申し訳ないけどタモ香のスキーさ、バスのところまで持っていってあげて。このままじゃ絶対に間に合わないわ〜ったくも〜。ターちんはどうもならんわ〜。」


いいからそういうこといわなくて、あ、パパありがとうございます。いってきま〜す。

ドタドタしながら、パパとたも香は歩いて2分程度のバス停へ向かった。


さて、2人の声がしなくなったとたんに、時間の流れがすこし遅くなったような気がする。

食器を洗い、そろそろ出勤用の服に着替えながら、BSテレビで30分早めの朝ドラでもみようかと2階の和室から仕事用の作業服を1階に運んだ。

普段滞在しない部屋はストーブをつけないので、朝だと3、4度程度しかない。着替えをするには寒すぎるのでストーブのついている台所で着替えながら15分間の朝ドラをみるのが、冬の私の習慣なのである。


2人が出かけてから、10分くらいたっただろうか。

なぜかパパが戻ってこない。ぎりぎりの時間に走っていったのだから、すぐバスには乗れたはずなのに。それとも乗り遅れてしまったのだろうか。道路に面していて薪ストーブのある暖かい部屋から窓の外を眺めると、幾分青ざめた顔のパパが何か白くて長いものを胸の前で両手ではさみ、抱えて小走りで戻ってきている。

猫のようだ。

2年前の冬に私たち竹山家がここに引っ越してくるもっと前からこの地域を縄張りとしている雄の野良猫がパパに脇を抱えられ、後ろ足をだらんと垂らし無抵抗な状態でうす目をあけている。

我が家には、室内に大型犬が2頭いるので猫をつれて来れるはずがないし来たこともない。そもそもこの野良猫は私たちに近づくことはない。だから人に抱かれるはずもない。ということは、動けないんだ。


私は、玄関のドアを引いた夫の哲生に、

「どうしたの」

と駆け寄った。


「道路に倒れていた。動かないし。ダンプも走ってて危ないから。でもあったかいんだよ、まだ。」

「ええ〜。」


ほそく開かれた両目の隙間からのぞいた眼球は澄んで奇麗だが光彩はきれいなグリーンのビー玉によく似ていて瞳孔を感じさせる黒い部分がどこにもなかった。何も映し出されていない瞳をみて、既にこの猫が息絶えていることを私達は悟った。



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