表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

死なない二人

作者: ししおどし

 途方も無い時間を長く生きてきたが、未だ終わりは見えない。


 ヒトの中にはこの体を羨むものもいるが、死ねぬ体なんぞ全く良いものではない。

 死なぬことを利点と捉えぬならば、むしろ不都合だらけの欠陥品だとも言える。

 時を経るにつれて己の中に積み重なった記憶が増え、何を見ても知ったものばかりになってゆく。

 次第に何に出会っても新鮮さを感じることが無くなってゆき、うんざりするほど見続けた景色を眺め、目新しい物一つも見つけられぬ中でそれでも生きてゆかねばならない。


 ヒトはそんな飽くほどに続く生の中、唯一退屈を紛らわせてくれる存在だった。

 しかしヒトの中で生きてゆくのも、この体ではなかなか難しい。

 なまじヒトの形をしていたがために、ずいぶんと昔は己がヒトに混じって生きることも出来るのではないかと、淡い希望を抱いて街に下りたこともある。ヒトのふりをして生活に溶け込み、ヒトのように知人を作って暮らした。中から見るものは何もかもが新鮮で、年甲斐もなくはしゃいだものだった。


 けれどそんな暮らしを、長く続けることは出来なかった。

 死なぬ体は、歳をとることもない。長く一箇所に留まれば、不自然に思うものが増えてゆく。

 居心地が悪くなるだけならまだ良い方で、化け物だと街を追われたこともあるし、逆に権力者に目をつけられて飼われそうになったこともある。


 悪いものではないと、友人だと庇ってくれる存在が居たこともあった。けれど彼らはいつか、死んでしまう。変わらぬ己とは違い、信じられぬ速さで歳をとり、やがて動かなくなってしまう。

 子孫代々、己の味方をしてくれた事もあったが、いずれもさほど長くは続かず終わりを迎えた。不死という存在が近くにあれば、狂うものも出て来てしまう。それはたとえ、己が心を寄せた者の血を引くものであっても、例外なく。


 ヒトに混じって生きる事を諦めた後は、最早したいこともすべき事も見つからず、ただ死ぬことだけを望みとするようになった。死ねば消えていった友人たちと、同じ場所に行くことが出来るかもしれぬと、微かな希望に縋って。


 見た目はヒトによく似た形。

 痛みもあるし、乱雑に扱えば壊れる。死ねない以外は、ヒトとそこまで大差ない。

 急所を刺せば或いは死ねるのではと胸に何本も剣を突き立て、首を切り落として、気道を塞いでもみた。毒を飲んで海に沈み、大岩の下敷きになったこともあった。

 しかし、ちっとも死ねない。いくら体が千切れようとすぐに新しいものが生えてくる。跡形もなく消しつくしたとて、気づいたら自分であったものの塵の中に傷一つない姿で立っていた。

 どれほど自身を傷つけ痛めつけ形を損なおうと、けして死を得ることが出来ぬのだと自身を納得させるためだけに、千を超える死を経験した。


 魔法なるものを覚えたのは、もしやこの力ならば自分を滅することが出来るかもしれぬと期待を抱いたからだ。

 ヒトの中にぽつりぽつり生まれ始めた、魔力を持つ者たちのように己の内側から力を引き出す方法は使えなかった。ヒトのそれは、進化の証である。死ねず変わらない己に、変化は訪れない。


 しかし大気に満ちているという魔力を扱う方法ならば、己でも実行することが出来た。

 魔力を得て格段に進化したヒトが、見つけた世界の法則。魔法という、新しい力。

 長く生きてもまだ知らぬことがあったのだと、その時は嬉しくなって夢中で魔力を扱う練習に励んだ。時間だけは飽きるほどに用意されていたから、自在に操るまで技術を高めることは、さほど難しいことではなかった。


 魔力を使えるようになると、再びヒトの中に混じるようになった。

 姿を誤魔化す方法を利用して、不死であるとばれぬように、いくつもの名前と姿を用意して。

 子供の姿で魔法の学校に通ったこともあるし、教師の一人に紛れ込んだこともある。己が学校を作ったこともあった。そのうちの一つは、今でも己が長として君臨している。


 魔法という目に見えぬ力が浸透したせいか、不死という特性も以前よりは受け入れられるようになった気がする。化け物ではなく、賢者として崇められ続ける名前もいくつかある。己の不死を知っても恐れぬヒトの数も増えた。


 そうして間近で己の不死を見つめ、それがどういうものであるかを理解して尚、望んだ幾人かを仮初の不死に仕立て上げたこともあった。

 魔力を扱えるようになって、己の不死を他人に分け与えられる力があることに気がついた。

 おそらくは、扱い方を知らなかっただけで、元々持っていたものだったのだろう。己はずっと、変わらぬ体を持っているのだから。


 これでようやく、己と同じ存在が出来ると、いつまでもいつまでも語り合える仲間が出来ると、勇んで何人もに不死を与えた。与えた彼らは確かに、望んでそれを受け入れた。その筈だった。

 しかし百年もすれば皆、終わりを望むようになる。変わらぬ自分と老いて死んでゆく周囲との溝に次第に耐えられなくなってゆき、死にたいと口にするようになってしまう。己が与えた不死を彼らから取り除いてやると、何の未練もない安心しきった顔で、あっさりと事切れてしまう。

 引き止めても、無駄だった。引き止めればその分、彼らは狂って壊れてゆく。


 彼らの一部の、淀みを加速させたのは他ならぬ己だった。

 彼らは、己を愛しているが故に不死を選んだと言った。己も彼らを、愛しているつもりだった。

 けれど彼らは、寂しげに俯いて己に告げるのだ。己はけして、彼らを愛してはいないと。

 隣人として友人として、慈しんではくれているけれど、特別の唯一としては愛してくれたことはないと。


 そんな事はないと否定したかったが、否定出来なかった。

 彼らのことはみな好ましく思っていたけれど、ヒトの夫婦や恋人たちがしているようなこと、たとえば触れて唇を合わせて抱き合うそれを、請われればいくらでも行ったものの、自らしたいと思ったことは一度もない。足りない所は魔法で補ってそれらしく取り繕ってはみたが、そういった際に膨張するものだという己の一部が、変化を見せる事は一度もなかったから。

 うまくやれているつもりだったが、それは己が思っていたより彼らを傷つけていたらしい。


 三人の隣人より同じ事を告げられて、以来、親しい相手に不死を与えることをやめ、少しだけヒトと距離をとる。

 再び色が褪せてゆく世界の中で、どこか鬱憤が燻りはじめてもいた。彼らに申し訳ないことをしたと後悔したのと同じだけ、勝手なことばかりと不満に思う気持ちが無かったとは言えない。


 だから数ある名前のうち、一つ。

 不死として密かに囁かれる、深い森の奥に住む賢者の姿を使って。

 ひどく意地の悪い憂さ晴らしをすることにした。


 自分からはけして出てゆかない。誰かと接触を取ろうとすることもない。

 けれどもし森の奥に、ただ一人で訪ねてくるものがあれば。そしてその存在が、不死を願えば。

 与えてやることにしたのだ。何の警告もすることはなく。

 与えた瞬間から、いつまでも変わらぬ姿となって長い時間を生きてゆかねばならぬ、ヒトからは外れたものにしてやった。


 喜ぶ彼らの姿に、思っていたことはいつも同じ。

 いずれ死にたいと願うくせに、愚かなことだと。

 同じ速度で歳を取り共に死ねる者が周りにいるくせに、なんて馬鹿げているのだと。

 願われたように愛することが出来るくせに、なぜ何の意味もない不死を願うのだと。

 ぐつぐつと腹の中で煮え立つそれは、まさしく嫉妬に他ならず、彼らに与えた不死はみな、八つ当たりが形を変えたに等しいものだった。


 けれど彼らに内情を露ほど悟らせることなく、世に送り出したあとは百年、願われてもけして姿を現さない。

 百年経てばようやく彼らの動向を探り、不幸になっていると知ればほくそえみ、死にたいと願う彼らから不死を引き取りにゆく。

 彼らは皆、己を見ると口々に、死なせてほしいと懇願した。己は不死を取り上げる前、何度か彼らを殺すことにしている。彼らがどれほど痛みに喚いても、そのうち死ねるのだからいいだろうと、微塵も心を揺らすことは無かった。

 予想から外れない彼らの姿は、憂さ晴らしには些か不足していた。


 あれほど願った不死を、すぐに手放さなかったのは一人だけ。

 貧しい国を裏から支え建て直したいと懇願した、遠い島国の一人の貴族だった。己の元を訪ねて来た時も、他のような欲に濁った瞳ではなく、強く澄んだ瞳をしていたことを覚えている。

 珍しいその存在はしばらくは己の心の拠り所になったけれど、国が彼の手を頼らずともやってゆけるようになると、やがて彼は満足して不死を手放した。彼だけは、嬲ることなく穏やかに息絶えるその瞬間を見守った。



 例外は、たった一人だけ。それも出会った時から、他とは違った姿を見せていた。

 故に、彼女はすぐに壊れるに違いないと決め付けていた。

 例外の彼とは違い、数多訪ねてきた者たちと同じ、欲と野望にぎらぎらと瞳を光らせていたから。


 百年が経って彼女の動向を探り、拠点としている場所を知った時の己は、意地悪く微笑んですらいただろう。

 何故ならその場所は、遠い昔、己が何度か死を望んだ場所だったから。そして死にきれなかった場所でもあったから。

 おそらく彼女は、死のうとあがいてるのだろうと、予測した己は、愚かな存在を哀れんで軽蔑して、向かう歩調を緩めすらした。己の絶望の、一端でも思い知ればいいと望んで。


「あっ、ひさしぶりー! えっと、名前なんだっけ、せーちゃんとかそんな感じの」

「……セレスタイトだ」

「うんうん、せーちゃんだね。それでどしたの、何かあった? あ、ちょっと待ってね、用事はあとで!」


 しかし。

 火山の頂上で見つけた彼女は、今にも火口に飛び込もうとしていたにも関わらず、死んだ目をしていなかった。更には己を見つけると、親しげに話しかけてくる。

 不死を与えた者たちに会いにゆくと、嬉しそうな顔をすることはあったが、それは諦念が底にある安堵故のもので、瞳には縋るような瞳が宿っていた。

 けれど彼女の親しさは、死をもたらす者への懇願ではなく、明るくてさっぱりとした色に思えた。まるで本当に、ただ知った顔に挨拶をしただけのような気軽さである。


 予想外の反応に少々戸惑い、真意を見極めようとすれば彼女は、ちょっと待っててと言い残して、勢いよくざぶんと火口に飛び込んでしまう。その全く躊躇いのない潔さに、ますます己の戸惑いは深くなった。


 数多の死に方を経験したが、溶岩の中で体が溶かされるというのはなかなかに苦しい。死ぬことはないものの、燃えて溶ける傍から再生し、再生する傍から燃えて溶けてゆくの繰り返し。痛みは他の方法に比べて大きいほうで、抜け出すのもなかなか大変である。

 己の場合は火山を噴火させ飛び出た溶岩と共に外に出た。

 死ぬ方法を模索していた頃の己は魔力の扱い方は知らなかったが、あまりに終わり無い痛みに苛まれた後は気づけば脱出して生き返っていたから、無意識では魔力を操り暴走させていたのだと思う。

 様々な死に慣れた己でも、無意識に暴走する程には苦しいものである。彼女がそれに耐えられるとはとても思えないのだが。


 死ぬつもりだったならば、その溶岩の中で終わらぬ苦痛に苛まれ、せいぜい後悔すればいい。

 己の浅はかさを、悔いて嘆けばいい。

 しかし、飛び込む直前の彼女は確かに、己に待っていてと言ったのだ。

 それはとても、死ぬつもりの者の言葉には思えない。


 そんな己の推測は、間違ってはいなかったようだ。

 彼女が戻ってきたのは、それから半日程経ってから。

 火口から勢いよく飛び出した彼女の下半身は炭と化していたものの、表情は明るく己を見つけると先ほどと同じように「いやー死んだ死んだ。やっぱ溶岩は難しいね、途中まではいけるかと思ったんだけどなー」などと親しげに話しかけ、笑ってすらいた。


 まるで世間話でもするかのようなそのあっけらとした様子に、完全に狂ってしまったのだと判断したのは、けして己の早合点ではなかったと思う。急速に再生していっているとはいえ、炭となった足では立つことさえままならず、彼女は無様にも地面に転がっていたのだ。それで笑えるなんざ、とても正気であるとは思えなかった。


「……無駄なことを。いくら火にくべられようと、けして死ねぬ」

「へ? 知ってるよ? だから飛びこんだんだよ? 死ぬなら飛び込まないよー、あはは、せーちゃん何言ってんの」


 ここまで狂ってしまっていれば、己が重ねて手を下しても思うような反応は返ってこないだろう。

 ならばさっさと楽にしてやろうと、哀れみと軽蔑を乗せた声をかければ、またしても彼女は奇妙な反応をみせた。

 まるで死ぬためではなく、目的があって火口に飛び込んだかのような物言いに、己は混乱する。狂っているならばその行動に意味なんぞある筈もないのだが、彼女の返答はきちんと己の言葉に対応していたから、狂っていないようにも見えて判断に困る。


 そう、己は彼女の態度が意味するものがさっぱりと分からなくて、心底困ってしまったのだ。今まで多くの人間を見てきたが故に、ある場面においてヒトが取る対応について予測をつける事が出来るようになっていたが、彼女はそんな己の中にあった記憶に当てはまらなかったから。

 狂っているなら、終わらせてやればいい。けれどもしも正気であったなら、その判断は早計である気もする。

 珍しいことに己は、逡巡したのだ。

 彼女はそんな己の様子に頓着することなく、嬉しげに言葉を続ける。


「もーね、ほんっと、ありがとせーちゃん! 死なないっていいよね! すっごい便利!」


 きらきらと瞳を輝かせて、楽しそうに語る彼女は、嘘をついているようには見えない。見えないから己は、どう答えてよいものか言葉に詰まる。

 己に不死を願ったヒトは皆、不死になったとはいえ、積極的に死に瀕する状況に直面したいとは望んではいなかった。むしろ生きて何かを為すため、己から見たら全く理解できぬ権力を得て様々な欲を満たすために、不死を望んでいた。


 ならばなぜ彼女はこんな場所で、自ら積極的に死に向かっているのか。終わらぬ生に絶望して死ぬためにではなく、死なぬと分かっていてなぜ火口に飛び込んだのか。

 残念ながら己は、答えを己の中に見つけることが出来なかった。故に、問う。


「お前は、何を目的としてこのような行動に出たのだ」

「え、だって見たかったんだもん。火山のこのどろっどろの溶岩の中、どうなってんのか気になってさ。だから飛び込んだんだよー。まだ途中で魔力壁ごと綺麗さっぱり溶けちゃうけどさ、ちょっとは潜ってられるようになったんだよこれでも! 単純に熱に特化させるだけじゃだめなんだよねえ、ううん、難しいなあ……」

「……そ、そうか……なぜ、火山の中を見たいのだ」

「だからー、見たいからだってばー。もーちゃんと聞いてなかったの?」

 

 だが、答えを聞いても正直、理解が出来なかった。言っている意味は分かるものの、なぜ火山の中など見たいのか全く理解出来ない。重ねて真意を問うても、見たかったからとしか答えない。そして何度も似たやり取りを繰り返し、己はようやく理解する。


 彼女は本当に、見たいからという単純な動機のみで動いたのだ。好奇心、その一点だけで、煮立つ溶岩の中に飛び込んだのだ。信じられないが、これが真実である。いくら不死といっても、あまりに無謀だ。

 己は悩んだ。目の前の存在をどう扱うべきか、不死を取り上げるかこのまま放っておくか。


 彼女は不死に絶望しているようには見えない。一度は自ら請うたものを、身勝手に手放したいと願ってはいない。一方で、狂っていないとも断言できない。故に己は、悩んで悩んで途方に暮れる。

 そして答えの出ない悩みから抜け出すきっかけとなったのは、己を悩ませたのと同じ、彼女により与えられる。

 彼女は、言った。


「あとはね、練習だよ練習。どろっどろで熱い溶岩の中を、自由に泳げるようになる練習」

「なぜだ」

「だって私、いつかあの太陽まで行くつもりだから!」


 朗らかに笑って沈みかけた太陽を指差した彼女は、何の迷いもなくきっぱりと言い放った。


 なんて馬鹿なことを。途方もない時間を生きた己でも、あの太陽に近づいたものなんぞ見たことはない。そもそもあれは、行き来できる類のものではないのではないだろうか。


 そう言って、彼女の言葉を切り捨ててしまうのは簡単だった。狂人の戯言だと、流してしまうことも出来た。


 しかし己が、その時胸に抱いたのは、彼女への失望でも呆れでもなく。

 まるで気づかぬうちに塞がれていた視界が開け、その先に見たことのない景色が広がっていたような衝撃。もう久しく経験していなかった感情。驚きに染まったそれは、心地よく己の思考を揺すぶった。


 そうか、あそこに行けるのか。

 何もかも見尽くしたと思っていたが、己が見たことのない景色がまだあんな所に残っていたのか。

 彼女の戯言に便乗するならば、己はまだ火山の中をじっくりと見たことはない。あそこだけではなく、ここにだって見たことのないものが残っている。

 ああ、まだ世界には、己の知らぬものが存在している。

 その時、己の胸を奮わせた感情は。きっと、感動というものによく似ていた。


「おお? せーちゃんも気になる? 一緒に行く?」

「ああ、行く」

「え……ほ、ほんとに?! うわあ、嬉しいな! みんな全然興味持ってくれなかったからさ! せーちゃんが初めてだよ、一緒に行くって言ってくれたの」


 体中に広がった感情に、静かに浸っていると彼女は、己の様子に気づいて軽い口調で太陽への旅路へと誘ってくる。己が躊躇いなく頷けば、一瞬ぽかんと口を開いたあと、すっかり再生しきった体を勢いよく起こしてぴょんぴょんと飛び跳ね、若い娘らしい高い声を響かせてきゃっきゃとはしゃぐ。

 それだけならよかったのだが、あんまりにはしゃぎすぎて興奮したのか、彼女は止める間もなく勢いよく走り出し、再び火口へと飛び込んでしまった。おかげで己は、また彼女が戻ってくるまでしばし待たねばならなくなった。


 長く生きてきた時間に比べれば、彼女を待つ時間はほんの一瞬にも満たない束の間である。そんな短い間に己が、早まったかもしれぬと思ったのは、数度ではなかった。

 やがて彼女が戻ってきたのは、半日よりも長い時間が過ぎてから。さっきよりも長く潜ってられたとはしゃぐ彼女は、己にも練習しろと嬉しそうに勧めてくるので、どうにか矛先を逸らすべく気になっていた事を尋ねる。


「一つ、気になったのだが。その馴れ馴れしい口調は何なのだ。以前はそうでは無かっただろう」


 こんな口調の者が尋ねてくれば印象に残っているであろうが、昔、己を訪ねて来た彼女は、他の者たちと同じく、至極丁寧な物言いをしていたと記憶している。己はさほど礼儀は気にしない性質ではあるが、ここまで豹変していればさすがに気にもなる。


「だってー、礼儀とか外面とか、突き詰めたらうまく立ち回って生きるための方法でしょ。つまり死なないためじゃない? だったら、死ななくなった今、言葉とか別にどうでもいっかなーって。無礼だって怒られて、万が一殺されても今の私なら、死なないし! ね!」


 そして彼女は、独特の主張を展開した。筋が通っているようではあるが、屁理屈にも聞える。

 早まったかもしれぬ。

 なぜだかこれから、しなくてもいい苦労をしそうな予感がした己は再び、自分の判断を見つめなおすことになるのだが。

 それでも太陽への旅の同行を、撤回する気にはなれなかった。




 あの時己が感じた予感は、けして間違いではなかったらしい。


「だから! 何の考えもなしに突撃して己の体で体験してみようとするのをやめろ!」

「ええええ、だってやっぱ、肌で感じるのが一番わかりやすいしー」

「くっ、お前は……! 命を大事にしろといつも言っているだろう!」

「あはは、せーちゃんが言っても説得力ないってばー」

「ぐ、しかしだな……」


 彼女は、己よりも死ぬことに対して何の躊躇いもなかった。新しく何かを試す時は、対策を練る前に一度突っ込んでみようとする。いくら言っても、やめようとはしない。そして最後にはなぜか、己の方が彼女に言いくるめられているのが納得ゆかない。


「えええ、せーちゃん痛みあるの? 私、不死になってまず痛み失くす研究して、魔法陣内側に埋め込んだよ? もしかしてせーちゃんて、痛いの好きなひと? そういう性癖のひと、居るとは聞いてたけど初めてみたー」

「そんな訳がなかろう! ……痛みを失くせば、傷ついたことに気づかなくなるではないか」

「うん、でも私たちには必要ないよね、傷ついても死なないし。やっぱせーちゃん、そういう趣味が」

「違う! 痛みを失ってしまえば、己は化け物と同じ。誰かの痛みにもいずれ気づかぬ者になってしまう」

「んー、それ、何か悪いの? っていうか私、元々他人が傷ついてようがそこまで気にしない方だしなあ。せーちゃんやっさしい!」

「……お前は……魔物の血が通っているのか……!」

「あっはは、それ、昔よく言われてたー」

「笑い事ではないだろう!」


 あまりにも死ぬことに対して躊躇いのない彼女に、ある日改めて理由を問えば痛みを感じぬ体に自ら作り変えたとの答えに驚けば、逆に己がまだ痛みを持っていたことに驚かれてしまう。

 痛めつけられて喜ぶ体質ではないと必死に主張した上で、己が痛みを切り離さぬ理由を語ってはみたが、彼女は全くそれに価値を見出していないようだった。

 己が言うのも何であるが、彼女に比べたら己はまだ、ヒトらしい気がする。

 彼女は始まりは確かにヒトであった筈なのに、何故だ。おかしい。


 たとえ己が思い悩むことがあっても、彼女がくよくよと下を向く姿を見たことは無い。たまに難しい顔をしている事もあるが、太陽へ効率的に近づく方法を考えているだけで、それ以外は基本的に笑っていて、何でも笑って屁理屈で吹き飛ばしてしまう。


 己がぽろりと、昔、不死にした親しかった彼らに言われた事を、彼女に漏らした時もそうだった。

 彼らが愛してくれたように、己は彼らを愛することが出来ないのだと告げた時。

 彼女は己の話に共感することも同情することもなく、きょとんとしたあと首を傾げて、あっさりと言い放った。


「えー、あったりまえじゃない」


 己が散々悩みに悩んだものについての、第一声がこれである。さすがの己もむっと腹を立てたが、だってさあ、と続けた彼女はいつも通りで、己の怒りに揺らぐことはけしてなかった。


「だって恋愛って、いろいろ理由つけたって究極的には子供作るためでしょ。んで、子供作るのは自分の血を残したい本能だよね。より環境に適応して生き抜いて、長く長く生き残るための。それ、せーちゃんに必要ないじゃない。だって不死だし。一代でずーっと生き続けられるから子孫残す必要なし、どんな環境でも生き残れるから進化する必要もなし、だから恋愛も必要なし! 別に悩むことじゃないよね? そういう生き物なんだもん。せーちゃんはあれだよね、人間の近くで生きてたから人間のふつーに縛られがちだよね。そういうとこ、面白ーい」


 己の苦悩の原因を必要ないと、そういう生き物だとあっさりと断じた彼女は、最後には己が面白いとけらけら笑った。あまりに無神経ともいえるその反応に、ついに己は怒ることをやめる。

 思い悩むことが、馬鹿馬鹿しくなったのだ。己の葛藤に比べあまりに軽い彼女の反応は、案外と己の心を軽くしたらしい。そういう生き物だという彼女の主張を受け入れれば、胸のどこかに固く張り付いていたしこりが、少しだけ小さくなった気がした。


「お前は、本当にヒトだったのだろうか……」

「少なくとも、怪我したらしばらく治らなかったよー。だからヒトだったと思うよ! 魔物の血が流れてるってはよく言われてたけど、あはははっ」

「最近の己は、それは実は正しいのではないかと思っている……」

「ええ、でも魔物みたいに頑丈じゃなかったよー。ドラゴンの皮膚なら欲しかったなあ、便利そうだし」


 より太陽に近い空の際まで近づき、外側へと出る方法を模索する頃には、すっかりと彼女の方が不死じみていて、もしや最初はヒトであったのは己ではなかろうかと思うことも多々。もしも彼女が、ドラゴンとヒトの混じった種であったとして、今の己ならば驚かない。ああそうかと、納得してしまいそうだ。彼女は本当に全く、ヒトらしくない。


 そんな彼女ではあるが、誰よりも長く共に過ごしていれば、やがて情も湧いてくる。

 気づけば何にでも飛び込んでゆき予想外の行動に出て、稀にヒトの街に下りれば問題を起こす、そんな彼女から片時も目を離すことが出来なくなった。随分と昔に共にいた彼らには抱かなかった、特別な情も抱くようになり、それを素直に彼女に告げれば、彼女はいつものように笑って答える。


「同族意識ってやつだよ、きっと」

「そうか、同族意識か」


 同族意識。己にも同族と呼べる存在が出来たのだと思えば、悪くない。

 悪くないどころか、非常に嬉しい。

 同族、己と同族のもの。狂うことなくずっと己と、共にあり続けられるもの。

 なるほど確かに、彼女は同族である。

 彼女の口から、己を同族と認める言葉が飛び出した事にいたく満足した己は、それから一層、太陽へ近づく方法を模索する事に熱中するようになった。


 そして、空の際から外へ飛び出す方法を見つけ、外側の真っ暗な空間で生存する方法を身につけた己と彼女は、世界を見下ろして微笑む。


「私、世界って丸いと思ってたんだー。まさか箱の形で、私たちの大地は一番上の面だけだったなんて、すっごく意外。だって世界ってひたすら同じ方向に飛んでたら、同じ場所に帰ってくるじゃない。だからまん丸以外ないと思ってた!」

「己も球形だと想定していた。おそらく、上面の四角の縁と縁が、魔力で繋がっているのであろう。縁では形も、多少歪められていたのかもしれぬ」

「むむむ、こうしてみるとさあ。内側、すっごい気になるよねえ。溶岩が真ん中あたりの層にあるってことは、あそこまでしか行った事ないってことだよね。ほら、あの底。なんか遺跡っぽいよね、なんだろうあそこ」

「太陽を目指すのではなかったのか」

「勿論めざすよ! でもあれも気になるなあ……」


 見下ろす世界は、四角くて、薄い層がいくつも積み重なって出来ていた。まるで予想していなかったその様子は、己に新鮮な驚きをもたらしてくれる。歪みのない四角い箱に、順に詰められていったようなそれは、ヒトの手で創られたようであった。何より一番下の遺跡らしき層は、明らかに何者かの手が入っている。

 面白い。いつしか移ってしまった彼女の口癖を、呟きながら彼女の肩を叩く。


「どちらも存分に探ればいい。時間は、十分にあるのだから」

「そうだよねっ! よし、じゃあまずあの一番下の層に行ってみよう」


 飽きるほどの時間を生きた。これからも飽きるほどの時間を生きてゆかねばならない。

 けれど当分、飽きることはないだろう。彼女の興味は様々なものに向けられて、並んで眺めれば見飽きた世界の中ですら気づかぬものが浮かんで見えてくる。


「遺跡っぽいやつ探検したらー、太陽行く前に月にも行こうね! もしかしたら誰か住んでるかもしれないよね、あの遺跡にも月にも太陽にも!」


 己一人では、いずれ全て同じだと再び飽いてしまうかもしれない。目の前に広がる景色に気づくことなく、何もかも見知ったものだと目を瞑ってしまったかもしれない。

 けれど彼女は、いつでもきらきらと瞳を輝かせ、少々突飛な思いつきで気になったもの向こう見ずに飛び込んでゆくから。隣でその首根っこを捕まえつつ、時にすりつけた背中を追いかけていれば、飽きている暇なんぞあるようには思えない。


 慣れたとはいえ、彼女に困惑させられることは未だ多い。彼女が引き起こした騒動のとばっちりは、なぜだか己が被ることが殆どで、割に合わぬと感じることも少なくない。あの時、やはり早まったのではなかろうかと思うことも、たまにある。


 これからもおそらく、彼女から様々な被害をもたらされるであろう。勇んで死にゆく彼女に巻きこまれ、経験する必要もない死を経験する事もあるだろう。


 だがしかし。

 たった一人、終わらぬ生にうんざりとして生きてゆくよりは、ずっといい。

 ずっとこの世界の中、目を瞑って生きてゆくよりは、彼女に振り回された方が、よほど。


 世界を外から眺め、遺跡に潜る算段を立てる彼女の言葉に耳を傾け、改めてこれからも共に在ろうと決めた己は、ふと、とある事が気になった。


「そういえば。お前、名前は何と言ったか」

「ええ、せーちゃん知らなかったの? えっとねー、あれ、何だっけ。使わないから忘れちゃったー。ふ、ふが付いた気がするから、ふーちゃんでいいよ!」

「フウだな。了解した」

「ふーちゃんだってばー」


 今までは、お前と呼べばそれで済んだため、特に気にしたことも無かった彼女の名前。

 知った己は、以後は彼女をフウと呼ぶことを決め、非常に満足してうむ、と頷いたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ