初めて声をかけた月曜日
彼女は、夕陽が当てられ、それによって煌めくこの神社の境内で、いつもの口調で言う。
「その体にまとわりつく疫病、今討ち祓わん!」
境内に響いた声は、台詞には到底似合わない高い声。しかし台詞に込められた通りの効果をもたらした様だ。
台詞から察するに、疫病を討ち祓われたという神社に参拝に来ていた男性客が、彼女に礼を告げて、神社の階段を降りていった。
彼女もまた、礼を言った。
「ありがとうございました。また来てくださいね~」
おっとりしとやかな声だった。先程の強く放つのが適切であろう口調と、全くもって一緒の声だ。
参拝客の最後だった彼が階段を降り、下の林に姿を消すまで手を振り続ける彼女。
その動作が終わり、彼女がくるっと半回転し、神社へと向かって歩こうとしたときに、草陰に隠れていた俺は、その身を現し、ようやっと声を掛けることができた。
「……あら?今日はもう、お祓いはおしまいです。誰か一人を特別に扱うことはできませんので、また明日来てくださいね」
これまた一緒だった。しかし俺は彼女のそんな一定のリズムに留まり続ける声に驚くことはない。既に何度も何度もここ、厄神神社に通い詰めて彼女の姿を見、声を聞いているからだ。
……通い詰めた日数によっては、ストーカー、変態などと罵られる可能性がある。計算してみよう。
日数にして今日で八十日目、二ヶ月と一ヶ月の三分の二の日数だ。ひょっとしてもしなくても、これは認定圏内だろうか、いや今はそれはどうでもいい。
しかしなぜそんな中途半端な日に声を掛けたのか、ということを聞いてくる人はそういないだろうが、一応。
厄神神社の頭文字、「や」が「八」と書けるからだ。たったそれだけである。なぜ十倍してあるのかは俺でも分からない。
とにかく、お祓い業をやっている厄神神社の巫女さんとも言うべき彼女に、俺は声を掛けたのだった。
しかし俺が知っているのは、この厄神神社の巫女さんであると言うことだけだ。今は五月。よく効くまじないが行われているという噂を聞いて、俺は八十日前からここに忍んでいた。
しかし、八十日もここに来ていても、彼女の名前は知らない。年も知らない。学校に通っているとか趣味は何かとか、家族構成は、などもさっぱり分かっていない。
それじゃあまるでここに来ていた意味がないのではないか、と思われるかもしれないが、そんなことはない。俺は彼女の声に惹かれているのである。ある一定のペースを保つ、その声に。
ここに通い詰めて、八十日目になり、ようやっと確信がついた。参拝客に掛ける声は、八十日の間全くぶれることはなかった。いや実際、もう十日くらいで思い始めたことではあるが、そんなことができる彼女は、恐らく人間ではない何かだろうと思った。それならばなんなのか、まだ俺は確定できていなかったが、名前や年も含めて、これから知ればよい話だ。
明日来てほしい、と彼女に言われたが、それはお祓いをしてもらうときだけだ。彼女と話をする分には何も問題はないだろうと思い、俺は言った。
ーー君は、何者なのか、と。
いきなりそんなことを言われた彼女は、しかし彼女の一定の声にはすでに驚かない俺のように驚くことはなく、またあの声で言った。
そのとき、俺は驚いた。最初に彼女の声を聞いたあの日のように。しかし俺は声に驚いたのではない。彼女の言った言葉そのものに驚いたのだ。
「私ですか?私は、疫病神ですよ」
そう言った。一瞬、自分の耳を疑ったが、聞き違いは絶対にない。静まり返るこの神社の境内には、俺と彼女以外には誰一人としていないのだから。
彼女は、神様だった。あろうことか、俺は神様の声に惹かれ、八十日もの間ストーカー行為を繰り返していたというのだ。神は俺をお許しになるだろうかーーいや、そんなはずがない。
神の罰が受けられるなら、幾らでも受けようと思った。俺は彼女に、罰を与えてくださいとばかりに、自分のした行為を包み隠さず話した。実際そこまで内容の濃いものではなかったので、あっさり話終わってしまったが、俺は十分も喋っていた気がした。
俺の見解を聞いた彼女は、また同じ声で、俺に言った。
「あわわ、私にそんな興味を抱いてくださる人がいたなんて……」
ん、何か違う方向に事が進んでいる気がする。いや、実際そのようだ。
あろうことか、彼女は俺のしたことをストーカー、変態行為ではなく興味を抱いている、と言っているのだ。いや実のところ興味からの行動で、あながち間違っていないのだが、彼女はその行為を変態行為だとは思っていないようだ。
これでは罰を受けるために自白した俺が報われないではないか。
しかし加えて、彼女の言葉から、俺以外に彼女に興味を持つ人がいないということが受け取れた。こんな声をしているのに、どうしてだろうと思わないやつなんて……いや、俺くらいだろうと、今理解した。
ここに参拝に来る客は、皆不安を抱いている。ほとんどが噂を聞き付けてやって来た者だろうが、目的は一緒。自分は不幸で、災厄が降りかかるから、それを祓ってほしい。それだけが目当てだ。彼女の事など、一ミリも考えないだろう。
けれども俺は違った。実際そこまで嫌なことが起きていなかった。お祓いされることが目的ではなく、とりあえず近所の神社だからちょっと見に行ってみるか、程度だったからだ。
彼女は少し頬を赤らめているようだ。彼女は言った。
「あなたと色々とお話ししたいんですけど、ごめんなさい。ま、また明日来てくれませんか?時間は、このくらいでいいので……ほんとに短い時間だけなんですけど……」
仕草を見るにどう考えても照れているが、彼女の声は変わっていない。俺は頷く。
彼女はその様子を確認して、分かりました、それではお待ちしています、と告げてお社へと向かっていった。
寄り道をせず、すぐに帰宅した。晩飯を食べて、風呂に入り、ベッドに倒れ込んでも、彼女のことは一切考える気にはならなかった。明日考えればいいと、そう、思っていた。