〆 第二章
あれから一週間、わたしたちはソウタさんの指導のもと、振り付けと歌の練習をした。アヤリが一日でつくった歌だったが、十分だった。
ソウタさんは休日だけでなく、学校の休み時間にも練習に付き合ってくれた。そのおかげで、練習はとてもはかどった。本当に優しい人だと思った。
パンツ一丁で踊っているなんてやはり信じられない。
そして、最大のピンチが訪れたのは本番当日のことだった。生徒会役員に同時送信されたカエデからのメールが全ての原因だ。
『ごめん。今日は行けないかもしれない。祖父が倒れた。今びょういん。ほんとにごまん』
急いで打ったのだろう。変換もできていないし、ごめんがごまんになっている。
確かにおじいさまが倒れたのなら仕方ないと思う。でも、タイミングが悪すぎた。
カエデが来れないとなると、ショウ、アヤリ、ユウ、わたしの四人で応援することになる。
万が一のため、四人用の振り付けも練習しておいて完璧だが、華がない。五人でやるのに比べると、話にならないほどの残念さなのだ。
わたしたち五人そろって生徒会なのに……この大事な日に…リーダーのカエデが休むなんて…。
気づいたらわたしは震えていた。右手に持っていたトーストを皿に落とし、目を見開いて携帯の画面を凝視していた。
「…姉ちゃん?どうしたの?」
弟の心配そうな声が聞こえ、同時に彼の顔が見えた。
「え、あ、別になんでもないけど…」
「そうか…今日体育祭なんでしょ?見に行くよ、応援。どうせ僕の学校は午前授業だし」
「あ…ありがとね。じゃ、行ってくる!」
わたしはトーストを残したまま玄関へ向かった。
やや乱暴にドアを開け、走った。しかしすぐに立ち止まる。
どうすればいいのか全くわからない。登校しなくてはいけないのだろうが、頭が混乱して何が何だか解らない。
わたしは肩を落とし、トボトボと歩き始めた。途中にある公園も、踏切も、八百屋も歩道橋も全てが灰色にみえた。
B棟の二階へあがるまでの階段がある。
いつもならスキップで二段飛ばしくらいで駆けあがるが、今日はスキップなんてできそうになかった。
鉛の足枷をつけているのかと思うほど重い足をなんとか持ち上げ、一段一段丁寧に上っていく。
十数人の生徒に追い抜かれた。彼らは体育祭でウキウキしていて、表情も明るかった。
そんな中で暗いオーラをまとっている自分が明らかに浮いていることを把握しながらも、この気持ちを抑えることはできなかった。
やっとの思いでついた教室。中から楽しげな声が聞こえる。
スライド式のドアをガラリとあけると、教室内の喧騒が耳をついた。
今日は絶対優勝しようだとか、応援団の応援が楽しみだとか、母ちゃんのつくった弁当がうまいだとか、そんな楽しげな会話を聞いているだけでわたしをより一層鬱になる。
ふらふらと自分の席に座り、つっぷしていると、頭上から声が聞こえた。
「スズー、おはよ。朝のカエデのメールみたよね?」
アヤリだ。いつもと変わらないような笑みを浮かべているが、こめかみには青筋が浮かんでいる。
「はい、見ましたよ…。」
「まったく、これだからじz…年寄りは!急に倒れるとか勘弁してほしいわ!」
「今じじいって言おうとしたよな…」
「気のせいに決まってるでしょ!最後の体育祭なのに…」
その言葉が胸に染みた。
そう、わたしたち三年生にとっては、この黒龍学園での体育祭は最後になる。終わりよければすべてよし、と言うし、最後くらい盛り上がってやりたかった。
最高のシメにしたかったけど、それが無理みたいだと解ってしまった。
「仕方ねぇだろ…カエデ抜きでやるしかない!」
ユウが半ばやけになって言い捨てる。ショウは先程から黙ったままだ。
「カエデ…せめて応援のときだけでも来てくれませんかね…」
せっかく全員で応援団員になったのだ。あれほど必死で頑張って練習した応援だけでもやりたい。
応援合戦が行われる時間は、午前の部の最後、お弁当を食べる前の一番盛り上がるところだ。それまでになんとか…間に合わないかな…。
カエデのおじいさまの容態によっては、すぐに来られるかもしれないがその可能性は、著しく低い。
その時、担任が教室に入ってきた。
「よーし、HRはじめるぞー。今日は待ちに待った体育祭だな――――――…」
その後のHRの内容はまったく覚えていない。
「絶対に優勝しましょう!」
アヤリの威勢のいい掛け声で我にかえった。彼女は教壇の前に立ち、拳を突き上げてクラスメイトを見ている。とても、最高に楽しそうな表情とはいえない顔だ。
本来ならカエデが気合いを入れるはずだった。彼がいない今となっては、仕方なくアヤリがやるしかないのだ。
三年D組の野郎共と、少数の女子が歓声をあげる。
少しして、隣のC組からも同じような歓喜の声が聞こえてくる。
放送部部長によるアナウンスが流れた。
《これより、第七回黒龍学園体育祭を開催します!》
生徒会長がいないのに。カエデがいないのに。学園はいつも通り動き始めた。