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第6話 わたしと混乱

 目覚まし時計のけたたましい音で目が覚めた。

 あれ、と思った。あれ、なにか……おかしくない?

 ぼんやりと動かない頭を持て余したまま、もやもやした気分で、目覚まし時計のスイッチを切る。それから指定位置──目覚まし時計の隣に置いてある、カルケーに手を伸ばした。これはもう習慣、条件反射のようなものだ。今日の続きは、昨日に引き続き企業の贈収賄の話題。お相撲さんの優勝の話題。野球の結果。宇宙ステーションの本格実用の話題……わたしはニュースをスクロールする。なぜだろう、頭が痛い。胸が苦しい。心臓がドキドキと不穏な音を奏でている。

 人口管理委員会の発表。昨日、調布市第三地域。違反者は六人、アカガワレンジ、オオノマサヨ、カミヌマヒトエ、センガワタカヒロ、ヒロサキミナ、ミヤジトモコ。

 カミヌマヒトエ、オオノマサヨ、ミヤジトモコ。

 ──なんで!?

 昨日の記憶が、怒涛のように一気によみがえってきた。あのとき、あの悪夢のような焼却炉での出来事があったとき、時間はまだ六時過ぎだった。紙沼さんたちは、あれから九時までずっとあそこにいたの? ううん、紙沼さんたちがしようとしていたこと──あの酷いことに、それほど時間がかかるとは思えない。それに、立ち回りが上手だと噂で言われている紙沼さんたちが、時間を間違えるほど間が抜けていたとも思えない。学校でも注意があったのだから、まさか巡回地域だと知らなかったはずもない。

 それじゃあいったいあのあと、なにが起きたというのだろう。あのあと紙沼さんたちは、わたしに……わたしに、なにかをして……。

 ……わたし、なにかされたの?

 自分の体を見下ろした。わたしはわたしのパジャマを着ていた。辺りを見回した。わたしはわたしの部屋にいた。いつものパジャマで、いつものように、自分のベッドで眠っていたのだ。

 ──なんで? なにが起きたの?

 ぼふん、と再びベッドに倒れこむ。そのとき、ズキンと背中が傷んだ。ふと気になって、パジャマをめくってお腹を覗き込む。そこには小さな火傷のあとがあった。──あのとき、あの焼却炉で、無造作に紙沼さんが手を伸ばしてきた、その場所に。つまり、あの出来事は、現実にあったことなのだ。

 本当に、なにが起きたの?

 混乱しながら、もういちどカルケーを見た。なんど見ても、そこに表示されている名前は変わらない。紙沼さんと、大野さんと、宮地さん。あの三人は、あそこにいた三人は、殺人鬼さんの手にかかった。それなのにわたしは家に運ばれ、着替えさせられて、眠らされた……の?

 わけがわからない。わけがわからないけれど、目覚まし時計は鳴った。もう起きなくちゃ。

 のろのろとベッドを出て、背中の痛みに耐えながら、制服を身につけた。パパのペンダントもいつも通り、机のうえにあった。

「……助けてくれたの、パパ?」

 尋ねてみても、答えはなかった。



 部屋を出ると、ママがテレビを見ていた。静かだったので予想はしていたけれど、今日は美代さんはきていないらしい。わたしはママとふたりきりになると、とたんにどう振る舞ったらいいのかわからなくなる。それでも、挨拶は大事だから──幼いわたしにそう教えてくれたのはコウキくんだった──ママに言った。

「おはよう、ママ」

 ママからの返答はない。いつもと同じだ。けれどわたしは勇気を振り絞って、ぎゅっとペンダントを握りしめながら、ママに尋ねてみた。

「昨日わたし、どうやって帰ってきたか知ってる?」

 しばらくの静寂。ママの頭がうるさいハエを払うような仕草で横に振られた。考えてみれたば、当然だ。だってママは、わたしが帰ってくる頃には、もう仕事に出かけていて、家にはいないのだから。

「ママ、わたし、わたし」

 もどかしい思いで、必死に言葉を探した。誰でもいいから、このおかしな状況を説明してくれるひとがほしかった。そう、説明がほしかった。紙沼さんたちは、どこで、いつ、殺されたの? どうしてわたしだけ無事だったの? 誰がわたしを家に運んでくれたの? 誰がわたしを──助けてくれたの?

 けれど、ママから返ってきた答えは、

「顔洗ってメシ食って、学校行きな」

 それだけだった。

 わたしは肩を落として洗面所に向かう。その途中で気づいた。ママの顔に、大きな青あざができていた。

 「悪い男と付き合ってるのよ」美代さんの言葉が脳裏によみがえる。「その男、なにか気にくわないことがあったらすぐに姉さんを殴る蹴るでね。……わたしもそんな男とは別れろって言ってるんだけど、姉さんも頑固だから聞いてくれなくて。まあね、その男、お店のお客でもあるみたいだから、邪険にできないのかもしれないけど。まったく、困ったものよね」

 わたしは、ママが苦手だ。怖い、と言ってしまってもいいかもしれない。ママの一挙手一投足を、息を詰めてうかがってしまう。けれど、ここまで女手ひとつで育ててくれたママには感謝しているし、嫌いではないのだ。できることなら、好かれたい、と思っている。だから、「ママをぶつような男のひととはサヨナラして」と泣きながらすがったことがある。小学生の頃の話だ。そのときママは珍しく途方にくれたような顔をして、でもすぐに険しい顔に戻って、「お前が口出すことじゃないよ」と言った。

 ともあれ、どうやらママは昨日お店に出て、夜のお仕事をしていたみたいだ。ママのお店は調布市外にあるのだと、わたしは美代さんから聞いていた。それなら、わたしを助けてくれたのはママじゃない。ママは殺人鬼さんの手の届かない場所で、いつものお仕事をしていたんだ。……そもそも、こんなにわたしを嫌っているママが、わたしを助けてくれるとは思えないし。

 わたしはしょんぼりしながら、キッチンでいつもの朝食を食べた。今日のオムレツは珍しく大アタリ、ベーコン入りだった。混乱と恐怖と落胆ばかりだった気持ちが、ちょっとだけ、ふわりと和む。こんなタイミングで大アタリを出してくれたママに心の中で感謝をしながら、わたしはご飯を食べきって、学校に行った。



 学校は、紙沼さんたちの話でもちきりだった。わたしは朝からずっと自分の疑問と困惑だけで精一杯になっていて、そこまで頭が回っていなかったのだけれども、誠女から──わたしたちの学校から、三人も犠牲者──いや、違反者が出たのだから、この反応も当たり前なのだろう。あちこちでひそひそと小鳥がさえずっている。カミヌマサンノグループガ。ハデダッタシネ。アソンデタカラ。アノヒトタチナラアリカモ。わたしはそのさえずり声のなかを無言で横切って、席についた。紙沼さんたちは、有名人だ。有名人だった。だからきっと、噂話にもより熱が入る。けれどわたしは、紙沼さんたちに関するどんな噂話にも、耳を傾けたくはなかった。

 普段はあまり噂というものに興味がない篠塚も、登校したわたしをみつけるなり、興奮した様子で近づいてきた。

「おい、聞いたか菱川。うちの三年が──」

「篠塚。そのことで、話したいことがあるの」

 篠塚の声をさえぎって、わたしは言った。自分でも、自分の顔がこわばっているのがわかる。出した声もあからさまに硬かった。そんなわたしの様子を見て取ると、篠塚はすぐに冷静になって、尋ねてきた。

「ここでは話せないことか?」

 こくり、とうなずく。学校の中では、誰に聞かれてしまうかわからない。

「それじゃ、帰りにエンデバーだな」

「うん、お願い。ありがとう」

 これで、篠塚に話すことができる。わたしはようやく少しだけ、肩の力を抜いた。ひとりで心の中に閉じこめておくには、それはあまりにも重い秘密だった。ペンダントをシャツごしに握りしめる。大丈夫。大丈夫。大丈夫だよねパパ、篠塚が聞いてくれる。

 それからわたしたちは、急遽開かれた全校集会で、校長先生から注意を受けることになった。巡回地域に指定された場合は、必ず九時までにその場を離れるか、家に入り、決して外には出ないこと。今回確保された三人の素行の悪さについて、自業自得だとでもいうようにぽろりと触れてしまい、あわてて取り繕うなんて一幕もあった。それを体育座りでじっと聞いていると、わたしのすぐ後ろに並んでいる篠塚が、背中をつついてきた。

「珍しいな菱川。お前、ああいう噂レベルでの差別的な物言い、大嫌いじゃないか。いつもならさっさと耳をふさいでるくせに、今日はずいぶん平然としてるじゃねえかよ」

「……それもまとめて、エンデバーで」

「なんだよ、気になるな。わかったよ」

 校長先生は最後に、マスコミが取材にやってくる可能性があり、授業にならない状況が予想されるので、今日はこのまま休校にすること、そして絶対にマスコミの取材を受けないことを、何度も念を押すように言った。

「なんでマスコミがくるの? 同じ学校から複数同時に確保者がでるなんて普通でしょ?」

 全校集会が終わって、教室に続く廊下を歩きながら、わたしは篠塚に尋ねてみた。

 そう、同じ学校の生徒が複数、同時に確保者になるケースは、これまでの統計からしてもかなり多い。メディアに登場する心理学者の偉い先生たちは、そんな統計を、「つるんでいれば安心と思い、物見遊山に出たのだろう」というような分析をしていた。

「そりゃ、モノが誠女だからだろ」

 篠塚はあっさりと答えをくれた。けれど、誠泉女学院だったらなんだというのだ。篠塚の答えは、全然答えになっていない。わたしが眉をひそめると、篠塚はほっそりした指でわたしの眉間をつついて「どうでもいいことだよ」と笑った。

 教室に戻ったみんなは、同じ学校の生徒が違反者になったことよりも、これから休校になったことのほうに、沸き立っているように見えた。それも仕方のないことなのかもしれない。篠塚の言葉を借りれば『おとなしい子羊の群れのような』わたしたち生徒のなかで、紙沼さんのグループは異質だった。自分たちとはまったく相入れない、関係のないひとたちだったのだから。

 まっすぐ帰れ、と先生に注意を受けてはいたけれど、誰もそれを守るつもりもなく、どこに行こうかと話に花を咲かせている。そしてわたしたちも、今日はそのうちのひと組だった。

「篠塚、行こう」

「はいはい、エンデバーな。……菱川、今日はなんか顔が怖ぇぞ」

「うるさいなあ、もともとだよ」

「なに言ってやがる、このぼんやりちゃんが」

「ぼんやりちゃんじゃないよ。やめてよ」

「じゃあやっぱ眠れる森のお姫様か? 大丈夫、王子には俺が立候補してやるよ。光栄に思え」

「……そっちのほうがもっとやだ」

 篠塚と軽口を叩いていると、少しずつ心が穏やかになっていくのを感じる。これが日常なんだとほっとする。篠塚は、大人だ。今日はわたしがピリピリしているの気遣って、いつものように軽口を叩いてくれる。わたしを気を遣わない日常に戻してくれる。そんな篠塚に感謝する。みえみえだってなんだって、篠塚がわたしのことを考えてくれているのは真実だ。だから、それがすごく嬉しい。

 わたしと篠塚は連れだって、昇降口を出た。なんだかいつもよりずいぶんと騒がしい。そう思って門のほうを見ると、校長先生の杞憂ではなく、本当にテレビカメラやマイクを持ったひとたちが、門のところにつめかけていた。帰ろうとする生徒たちが、その波に揉まれて右往左往している。守衛さんががんばって生徒を救出しようとしているけれど、ひとりの手ではとても足りないのがすぐにわかる。そう思っていると、教師用玄関から、若い先生たちが何人か、門のほうへと走っていくのが見えた。

 わたしと篠塚は顔を見合わせた。

「裏口使うか」

「そうだね」

2012.01.21:誤字脱字他修正

2012.02.25:オムライス→オムレツの間違いを修正。ご指摘ありがとうございました!

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