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第4話 わたしの親友

 わたしが通う誠泉女学院は、中等科と高等科、そして大学の三つにわかれている。中等科と高等科は生垣越しに隣接していて、その生垣の一部に渡り廊下があり、行き来は容易。だからといって、中等科の生徒が高等科に行くようなことはほとんどないし、その反対もめったにない。そして隣り合う中等科と高等科の校舎、庭から校庭までをすっぽり囲うすっぽりと囲む背の高い生垣があり、さらにその外には鉄格子状の塀がそびえたっている。大学だけは離れた場所にあって、いまのところわたしは行ったことがない。けれど、きっと三年後には通っているのだろうな、と自然に思っている。誠泉女学院は名前の通り、中等科一年から大学四年まで合計十年間、すべて女の子だけしかいない環境だ。

 マンションから歩いて十分。コウキ君とわかれた交差点から平坦な住宅街をとことこ進むと、高等科の門がすぐに見えた。中等科と高等科は隣接しているといっても、さっき言ったように敷地は生垣で区切られている。だから当然、門は別々に存在する。

 わたしは守衛さんにぺこりと頭をさげて、高等科の門をくぐった。生徒の顔と名前をぜんぶ覚えていると噂の守衛のおじいさんは、「今日はまたえらく早いね」と声をかけてくれた。「早起きしすぎちゃったんです」とわたしは笑顔で答えた。守衛さんの言った通り、まだ朝の部活の開始時間より前だ。だからだろう、ほかの生徒の姿はほとんど見当たらなかった。

 わたしは少しだけ、寝汚いところがある。だから、早朝の空気がこんなに素敵だなんて、いままでちっとも知らなかった。春の朝の風は爽やかで、思い切り肺に吸い込むと、頭がシャッキリしてとても気持ちがいい。朝露を弾いたみずみずしい新緑が、朝日を浴びてキラキラと輝いていた。こんなに気持ちがいいのなら、これからはいつもこれくらいの時間に登校しようかな。でも、起きられるかな。そんなことを考えながら、昇降口で靴を履き替える。それから、よし、と気合を入れた。

 一年の教室は、校舎の最上階、四階にある。二年生の教室は三階で、三年生の教室は二階。職員室や応接室、保健室などが一階。

 わたしは正直なところ、運動は得意ではないし、好きでもない。そして、体力にはものすごく自信がない。「お前は年寄りか」と親友に呆れられるくらい、少しの運動でゼエゼエいってしまう。毎朝登校するたびに、永遠に続く罰ゲームのようだと思う階段を、よし、ともう一度気合いを入れて、これもあと一年の辛抱だと自分に言い聞かせながら、ゆっくりのぼりはじめた。

 四階にたどり着く頃には案の定、呼吸があがっていた。その場に座り込んでしまいたい衝動をやりすごしながら、しばらく休憩した。ちなみにわたしは別に身体が弱いわけでもないし、むしろ大きな病気はなにひとつしたことがない。折り紙つきの健康優良児だ。それなのに、この体力のなさは、われながら情けなくなる。ドクドクと脈打っていた心臓が落ち着いたところで、わたしはようやく廊下を歩き出した。目指すは一年C組。この時間なら、きっと一番乗りだ。ちょっと誇らしい気分で、わたしはドアを開けた。

 朝の光が差し込む、がらんとした教室。その窓際に、金色の輪郭をまとったひとりの少女が立っていた。

「よう、菱川じゃねえか。今日はまたずいぶんと早いな」

 一番乗りをかっさらったクラスメイト。頭は丸坊主。スカートのかわりにスラックス。ひとつひとつ整った目鼻が完璧に配置された、美少年然としたその人物は、すらりと細い身体を窓際にもたれたまま声を投げてきた。

「おはよう、篠塚。そっちこそ、早いね」

 変わり者の篠塚。美しい篠塚。わたしの親友。学内の評価は変わり者が三割、格好いいが七割だと言ったけれど、篠塚は本当に学内では有名人で、そして人気があった。たとえば、中等科生は篠塚のことを「お姉様」もしくは「お兄様」と読んで、隠し撮りの写真が飛ぶように売れている、とか。高等科でも「誠女の王子様」と呼ばれていて、やっぱり写真が飛ぶように売れている、とか。話しかけてもらうために、篠塚の前でノートやハンカチを落としてみたり、気分が悪いふりをしてふらりと倒れたりする生徒がいる、だとか。そんな噂はいくらでも聞いたことがある。

 同じクラスにいても、これほど完璧な容姿で、皮肉っぽくクールな言動の篠塚には近寄りがたいものがあるのだろう。中等科の頃から、わたしは篠塚へ連絡事項の伝言を何度となく頼まれたことがある。かと思えば、その子達だって遠巻きになら篠塚をうっとり眺めているのだから、不思議なものだ。ちなみにわたしは上級生から下級生まで、篠塚あての手紙──ラブレターらしきもの──のお運び役を頼まれたことも、たびたびあった。さらに驚くことに、うちの学校にはひっそりと、篠塚親衛隊なんてものまで実在していた。これは荒唐無稽な噂話ではない。大真面目に、本当に、あるのだ。──わたしがその存在を知っているのは、いつも篠塚の隣にいるのが気にくわないという理由で、中等科一年のときに呼び出されたことがあるからだ。そのときは、上級生を中心に取り囲まれていろいろ言われているところに、誰かのご注進があったらしい篠塚がすっとんできて、「俺のダチになにしてやがる」とすごんだことで、すっぱり片付いた。当然だろう、彼女たちは、篠塚にだけは嫌われたくないのだから。それ以来、親衛隊のひたとたちとわたしは、お互い見なかったふりをするような関係になっている。

 それはともかく、そういえば、とわたしは思い出した。睡眠なんて三時間で足りると豪語する篠塚は、いつも、いつでも、誰より早く登校しているんだった。篠塚の朝の早さには勝てるはずもない。わたしは言った。

「これくらい早いと、空気が気持ちいいんだね。篠塚はいつもどれくらいの時間に登校してるの? わたしもせっかくだから、これからはこの時間に来ようかな」

 教室を横切って、自分の席に向かう。すると、

「菱川が!?」

 言うなり、篠塚が勢い良く噴き出した。

「眠れる森の姫様が、毎日早くからお目覚めをして登校だって? おいおい、冗談は勘弁してくれよ。今日の早起きはなにかの間違いだろ?」

「……そっちこそ勘弁してよ、もう忘れてってば」

 わたしは憮然としながら、自分の机に鞄をかけた。

 眠れる森の姫というのは、中等科のときに一時期はやった、わたしのあだ名だ。良い意味では、もちろん、ない。それは中等科二年生のとき、修学旅行の二日目のこと。わたしは、大がつくほどとんでもない寝坊をやらかしてしまったのだ。

 わたしの記憶にはほとんどないのだが、篠塚いわく、そのときわたしは鼻をつまもうが揺さぶろうが蹴ろうが、これっぽっちも目を覚まそうとしなかったらしい。理由は前日にはしゃぎすぎたせいだと思うのだけれど──自分の体力のなさが、つくづく恨めしい──わたしを起こそうと四苦八苦していた篠塚は朝食を食べ損ねてしまい、それでもなお起きないわたしのせいで、同室のみんな──わたしと同じ班のみんなは、あやうく集合時間に遅れてしまうところだったのだのだという。それでもなんとか集合時間に間に合った理由は、業を煮やしたみんながよってたかって、寝ているわたしからパジャマをひっぺがし、むりやり制服に着替えさせて、荷物は鞄にぎゅうぎゅう詰め込んで、そこまでされてもまだ寝ぼけているわたしを引きずるようにして集合場所に連れていってくれたから、らしい。

 そんな自分のどうしようもない体力のなさを自覚してから、わたしは無理にはしゃいだり、騒いだりすることを控えるように心がけた。そのあとにあった林間学校でも、文化祭でも、そのほかのありとあらゆる行事でも、誰にも迷惑をかけることはなくなった。そんなふうにしてせっせと努力を続けるうちに、ようやく『眠れる森の姫』という屈辱と後悔に満ちたあだ名は自然に離れていったのだけれど……かわりに、いつでもとろとろマイペースだということで、一部の生徒から「ぼんやりちゃん」というありがたくもない異名をもらうことになってしまった。

 それはともかく、わたしが懸命にがんばって撤廃したあだ名だというのに、その努力を誰よりも近くで見て知っているというのに、何年もたってからまた蒸し返してきたりするのだから、篠塚は本当に性格も口も悪い。

 篠塚はまだお腹を押さえて、窓枠を叩きながらヒーヒー笑っている。普段は皮肉でクールなキャラクターで通しているくせに、こんな姿を熱烈な篠塚ファンのひとたちが見たらどう思うだろう。いや、いっそ見て幻滅してしまえばいいんだ。そんなことを思いながら、わたしはぶすっとしたまま、席に腰をおろした。頬杖をついて、教室をみまわす。生徒のいないがらんとした教室は、いつもとは全然違って見えた。

 徐々にのぼっていく太陽のまろやかな金色の光は次第に強さをまして、窓ガラスを通してキラキラと輝いている。舞い上がるホコリすら、その光の中ではくるくると楽しげに踊っているようだ。整然と並んだ机たちは、小さな傷や落書きだってあるのだろうに、朝日を反射すると美しい茶色の木目の一枚板の集合ように見えた。黒板の縁の銀色も鈍く輝いている。そして窓の外に見える青空は、どこまでも高く透き通っていた。

 今日の朝はこんなにも美しい。それなのに。

「……今日の殺人鬼さん、調布第三地域だってね」

 窓に突っ伏していた篠塚が顔を上げるのが、視界の隅にうつった。ここは調布市第三地域。調布市第三地域の朝。早朝特有のやわらかい太陽が照り輝く、新緑が瑞々しく輝く、美しい調布市第三地域の朝。それなのに。

「今日、ここで誰かが……殺されちゃうんだね」

「殺される、と決まったわけじゃないだろ」

 篠塚のスレンダーな身体が、机の間を優雅にすり抜けてくる。足音をたてない猫のような仕草でそのままわたしのもとに到達すると、断りもなく篠塚はわたしの机に腰をおろした。

「まあ、誠女うちの地域が対象になるのは今回が初めてだ。恐怖が一気に身近になって、不安になるのはわかるけどよ」

 さっきまでひとをからかってゲラゲラ笑っていた篠塚は、それでも真剣な顔になると、今日もやっぱり完璧な美形だった。坊主にしたからこそわかる形のよい小さな頭。絶妙なバランスで配置された美しい目鼻立ち。細長い首と、趣味は筋力トレーニングだと公言するにふさわしい、引き締まって均整のとれた細い身体。初雪のように白い肌の中で、切れ長の瞳が、思慮深い色をうかべる。

「それじゃ、篠塚は殺人鬼さんのことを信じてないの?」

「殺人鬼さんってのは、口コミで広まってるだけの俗称だ。政府の公式名称はあくまで『日本国人口に関する管理調整委員会』の中にある『巡回部隊』だろ。今まで捕まった違反者が、すべて殺されているとは限らない。というより、政府にしてみれば認めるわけにもいかないだろ──公的に殺人を行ってるなんてさ」

 皮肉な口調で美しい唇をゆがめて笑うと、篠塚は肩をすくめた。篠塚は口は悪くて性格も悪いけれど、頭はとてもいい。勉強ができるのはもちろんだけれど、それだけではない。わたしが自分の世間知らずを恥ずかしく思うくらい、いろいろなことを知っている。そこで、世間知らずで頭が悪いわたしは、篠塚にむかって聞いてみた。

「だったら、これまでの違反者はどこにいったの?」

「収容所にて再教育、とは発表されてるけどな。でも、その収容所とやらがどこにあるのかは公表されていないし、捕まった違反者の中で、帰ってきたヤツがいるなんて噂を聞いたこともない。そもそも自分が違反者になるのを恐れるあまり、目撃者すら存在しない」

 篠塚は真面目な顔で、こう続けた。

「実際のところは俺だって、違反者は殺されてるんだろうと思うぜ。増えすぎた人口を調整する一番簡単な手段は、なにか口実を作って減らせばいい。単純な数式だ。──いいか菱川、今日はなにがあっても、九時以降には家を出るなよ」

 本気で心配してくれている篠塚が、わたしは嬉しかった。だから手を伸ばして、机の上に置かれた篠塚の細くて形の良い手を、ぎゅっと握った。

「うん、篠塚も、早く帰ってね」

2012.01.21:誤字脱字他修正

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