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第2話 わたしの家族

区切りがいいところまで、と思ったらちょっと長くなりました。

これくらいの長さが基本になるかもしれません。

 わたしの家はマンションの七階にある。わたしが部屋のドアを開ければ、廊下を挟んですぐそこがリビングだ。部屋を出て左に曲がって少し進むと、キッチンがある。リビングとキッチンの中間ぐらいのところにはもうひとつドアがあって──つまりわたしの部屋の隣にもうひと部屋あって、そこをママが使っている。ちなみにわたしはママの部屋に入ったこともなければ、なかを覗いたこともない。そしてキッチンとバスルームを挟んだ狭い廊下の先が玄関だ。

 最低限の支度をととのえて部屋を出ると、予想通り、すぐに明るい声がとんできた。

「あら、ずいぶん早いわね。おはよう、セイちゃん!」

 リビングのソファに腰掛けた美代さんは、今日も朝から完璧だった。薄いピンク色のスーツは、美代さんの大柄で女性らしい身体にぴったり沿って、メリハリある体型を強調している。光の当たりかたによってはブロンズにも見える茶色の長い髪が、明かりの少ない朝のリビングでも、ツヤツヤ光ってゆるやかに巻きながら豊満な胸へと流れ落ちていた。日本人離れした彫りの深い顔は、マスカラもアイメイクもチークもグロスもバッチリで、どうすれば美代さんみたいな大人の女性になれるんだろうといつも思う。これまで美代さんがだらしない格好をしているところや、メイクが崩れたりしているところを、わたしはいちども見たことがない。

 そんな美代さんの向こうに並んでソファに腰をおろしたママは、姉妹でも美代さんとはちっとも似たところがなかった。身体はどこかしこもぺったんこで小柄。丸い顔に丸っこいパーツが配置されていて、どちらかというまでもなく童顔だ。そんなママに、わたしはそっくりだとよく言われる。おまけに、これからお仕事で完璧に身なりを整えた美代さんとは正反対に、これから寝るだけのママは、今日もすっぴんで髪はぼさぼさ、パジャマ姿で彫像のようにテレビを見ていた。

「おはよう、美代さん。……ママも、おはよう」

 挨拶を返してから、ママにも声をかける。しかし、ママはテレビから目を話すことも、返事することもなかった。──いつものことだ。だから、大丈夫。わたしは自分にそう言い聞かせながら、シャツ越しにペンダントをぎゅっと握った。「憎くてたまらない男の血を引いていて、おまけにそのまんま名前をつけた子どもを、かわいがれると思う?」美代さんの声が脳裏によみがえる。うん、わかってる。わかってるよ、美代さん。だからわたしは、ママに期待はしない。

 ママは、夜のお仕事をしているらしい。それがどんなことなのか、具体的な内容を──小さなお店で男のひとにお酒を出してお話ししたりしているのだということを教えてくれたのは、やっぱり美代さんだったけれど、そのときわたしは「あんな無愛想なママが、男のひととおしゃべりできるの!?」とびっくりしたけれど、ママがそういったお仕事をしているのは、幼い頃からなんとなく気づいていた。下校がまだ陽が落ちる前だった小学生のころ、わたしは学校から帰るたびに、入れ違いに出ていくママの後ろ姿をいつも見送った。中学にあがって帰る時間がすこし遅くなると、わたしは誰もいないまっくらな家に帰る、鍵っ子になった。

 そんなママが夜の何時くらいに帰ってきているのか、すっかり眠ってしまっているわたしにはわからない。けれど、夜のお仕事をしているママが、すごくすごく眠そうで不機嫌な顔をしながらも、朝から起き出して──もしかしたら寝ていないのかもしれない──一心不乱にテレビの情報番組を見ているのは、ワイドショーが好きだから、ではない。ママが見ているのは、テレビの右上に表示されている占いなのだ。

「姉さんは熱狂的な占いアンチなのよ」

 そんな言葉を美代さんから聞いたのはいつのことだろう。そのときその場にママはいなかった。それくらいのことしか思い出せないくらい、昔のことだ。

「ちょっと普通じゃ理解できないくらい大っ嫌いで、嫌悪してるって言ってもいいわね。だったら見なきゃいいじゃないって思うでしょう? でもダメなの。占いを見て、それを拒否して正反対の行動をしなきゃ気が済まないの。ちょっと病的なレベルよ。あれはもう昔っからの癖みたいなものでね、雑誌とかに、占いのページってあるじゃない? 子どもの頃からああいうのをいちいちチェックしては拒絶して、中学にあがってお小遣いをもらうようになったら、有名な占い師のところにわざわざ行ったりもしてたわ。いまでも続いてるんだから、あれは治らないわね」

 ……だったら、その占い師の誰かが、子どもに父親の名前をつけろって言ってくれればよかったのに。美代さんの言葉を聞いて、ママがいないのをいいことに、まず真っ先にそうつぶやいたことを覚えている。そして美代さんに大笑いされたんだった。

 わたしはリビングを横切ると、ヘアゴムで顔をまとめて洗面所で顔を洗ってから、キッチンの席についた。

 こんがり焼けたトースト。表面はふんわり、内側はトロトロのオムレツのなかに、今日はいっているのはなだろう。ベーコンだったら大アタリ、チーズならアタリ、ホウレンソウならハズレだ。オムレツにフォークを入れるとき、わたしはいつも少しだけワクワクする。あとは、手作りのドレッシングがかかった温野菜のサラダと、根菜中心のスープ。それから熱々のコーヒー。これがいつもの朝の食事だ。

 幼い頃にいちど、美代さんに聞いてみたことがある。

「どうしてママはわたしのことが嫌いなのに、ご飯を作ってくれるの?」

 そのとき美代さんは、ピンク色に艶めく唇を皮肉にゆがめて笑った。それはいつもの美代さんではないような、ちょっと意地が悪い笑いかただった。ゆがんだままの唇が動いた。

「それはね、姉さんが熱狂的な占いアンチだからよ」

 その頃にはわたしもママの占い嫌いを理解し始めていたので、いったいその占い師とママはどんな会話をしたんだろう、と不思議に思った。子どもにご飯を手作りしちゃダメなんていう占い師がいたのかな。それってちょっとおかしくないかな。でも、ママがわたしに毎朝手作りご飯を作ってくれる理由が、ほかに思いつかないのも事実だった。

「いただきます:

 手を合わせて、わたしはママが作ってくれたご飯をたいらげた。いつもと変わらないメニュー。いつもと同じ味に、わたしはほっとする。ちなみに今日のオムレツはアタリだった。最後に食後のコーヒーをゆっくりと味わってから、ちょっと浮かれた気分で席を立った。

 わたしは、自分で食器を洗わない。それどころか、お皿をシンクに運ぶことすらしない。それは我が家の決まりごとだった。

 そう、あれはわたしが小学生の頃のこと。調理実習のあとにみんなでお皿洗いをして、そのとき先生が言ったのだ。「おうちでも、こうやってお手伝いをして、お母さんを助けてあげましょうね」

 だからその晩わたしは、ママが作っていってくれた夕ご飯をたべたあと、始めてシンクに食器を運んで、そしてつたない手つきで洗った。ママは驚いてくれるかな。わたしのこと、いい子だと思ってくれるかな。そんな期待に胸を膨らませながら眠りについた翌朝、部屋を出たとたんに、テレビを見ていたママが珍しくわたしを振り返った。もしかしたら、褒めてもらえるかもしれない。──そんな期待を、ばっさり断ち切る形相で。

「あんた、勝手に食器に触るんじゃないよ。割ったりしたらどうする気だい」

 そのママの表情を見て、そして低い低い怒りが満ちた声を聞いて、わたしはそれから、食後お皿に触ることをやめた。

「ごちそうさま」

 相変わらず彫像のようにじっとテレビの右上を凝視し続けるママと、まったく反応がないママを気にすることもなく絶え間なく話しかけては笑い転げる美代さんの脇を通って、わたしは部屋に戻った。鏡を見ながら、ふんわりスカーフを縛って、ブレザーを羽織る。スカーフのかたちをちょいちょいとなおす。それから、縛りっぱなしにしていた髪の毛をほどいて軽く櫛を通し、学校指定のカバンにカルケーを入れて、ふたたび部屋を出た。玄関に向かう。

「いってきます」

「あら、もう行っちゃうの? ちょっと早すぎない?」

 美代さんが、音が鳴りそうなほど長いまつ毛をまたたかせた。たしかに、今日はとっても早く目が覚めたから、まだ時間に余裕がある。正直なところ、ありすぎるほどだ。しかし、だからといってわたしはこのうちで──ママのいるこの場所で、パパの写真を身につけているのが、なんだかいたたまれなかった。

「うん、たまには早く行ってみるのもいいかと思って」

「そうなの。セイちゃん、カルケーは持った?」

「持ってるよ、大丈夫。それじゃ、いってきます」

 最後までこちらをちらりとも見てくれないかたくななママの姿をいちどだけ見てから、美代さんに手を振って、わたしは家を出た。

2012.01.21:誤字脱字他修正

2012.02.25:オムライス→オムレツの間違いを修正。ご指摘ありがとうございました!

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