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第13話 わたしと怒り

 それからわたしとコウキ君は、暮れていく道を通って、ふたりでエンデバーに向かうことにした。大貫さんが来ているかどうか、「そこまでヤバいことしといて、のうのうと顔出せるもんか?」とコウキ君は半信半疑だったけれど、わたしには確信があった。大貫さんは、わたしに接触してくる。だってわたしは、美味しい餌なのだから。美味しい餌なのだということを、二度も証明してしまったのだから。

 チリン。涼しげな音をたてて、飴色の扉が開く。

 胸がドキドキする。わたしは胸元のペンダントをぎゅっと握りしめる。それに、後ろにはコウキ君がいる。だから、大丈夫。

 見慣れたエンデバー、そのカウンター。

「やあ、生還おめでとう」

 そこに、なにごともなかったかのように、大貫さんが飄々と座っていた。今日もいつものアメリカンなのだろう、乾杯の仕草でコーヒーを掲げてみせる。わたしの胸の内に、小さな炎がともった。これは怒りの炎だ。けれどそれを懸命に押さえ込んで、わたしは言った。

「昨日は、どうも」

「どういたしまして。おや? 今日は違う王子様をお連れのようだね」

「あなたなんかと篠塚を、もう会わせられません」

「それは残念だな。ずいぶん嫌われたものだね」

 ツンとくちびるをとがらせて言い放つと、大貫さんは肩をすくめた。後ろから、セイ、と背中をつつかれて、わたしはようやく戸口からエンデバーの店内へと足を踏み入れた。

 大貫さんは優雅な仕草でカウンターの椅子をおりると、以前と同じように「マスター、おかわり」と言うと、先に立って四人掛けの奥の席へと歩いていった。コウキ君はエンデバーには来たことがなかったらしい。しばらくメニュー表を見て困ったような顔をしてから、カウンターに立つマスターに「ブレンドをお願いします」と注文を告げた。そうして、わたしと一緒に奥の席へと向かった。

「それで、二度目の生還者への感想はどうですか」

 大貫さんを見た瞬間に灯ったわたしの胸の炎は、小さいながらもチリチリと熱く燃えている。だから、ペンダントの力を借りることもなく、がんばって勇気を絞り出す必要もなく、口から嫌味がぽろりと落ちた。

「その物言いは、まるで篠塚さんみたいだね」

「あなたが篠塚のことをなにも言わないでください」

 ママがわたしと美代さんにするようなやり方で、わたしはピシャッと言った。怖い怖い、とおどけたように、大貫さんは肩をすくめた。

「一度目は偶然で、二度目は偶然より必然に近づいて、三度目はもう必然なんですよね」

 わたしがそう告げると、「ああ、よく覚えていてくれたね」と大貫さんは微笑んだ。あの、柔和な表情で。わたしがだまされた、篠塚までもが少しだけ警戒をとかされた、草食動物のような穏やかな仮面で。

 コーヒーが運ばれてきた。わたしにだけ、クリームたっぷりのロールケーキがついてくる。大貫さんは相変わらずうらやましそう顔でこちらをみていたけれど、わたしはもう、大貫さんのことなんて気にしてあげないことにしていた。それよりも、と隣に腰掛けたコウキ君を見上げる。

「甘いもの、嫌いだっけ?」

「いや、好きだよ」

 その返事を聞いて、わたしはお盆を持って一礼して去っていこうとしていたマスターの後ろ姿に、声をかけた。

「マスター、コウキ君にもロールケーキ、お願いしてもいい?」

 マスターが振り返る。そうして、「おや、彼がコウキ君でしたか」とつぶやいた。そういえばわたしはマスターに、小さい頃はたくさんコウキ君の自慢を、成長してからは少しだけコウキ君に関する悩みを、時には得意満面に、時には泣きそうになりながら、いろいろと喋っていた。もしかしたらコウキ君はダメかもしれない。そうわたしは思った。けれどマスターは、「持って参りましょう」と言って、カウンターに戻っていってくれた。ありがとう、マスター。

 ほどなくしてテーブルにすべてがそろい、ちょっとだけ沈黙してそれぞれがそれぞれのものをじっくりと味わったあと、最初に口をひらいたのはコウキ君だった。

「一度目の偶然と、二度目の必然近くは終わった。それじゃ、あなたは三度目の必然のために、なにをするつもりなんですか?」

「そういえば、君はコウキ君と言ったね。幼なじみとは知っていたけど、ずっと疎遠だったはずなのに、今頃付き合ってると噂になったんだっけ。最近なにか革新的なできごとでもあったのかい?」

 大貫さんはコウキ君の問いに、ぜんぜん違う質問で返事をしてきた。コウキ君の質問に答える気はまったくないという意思表示だろう。おまけに、コウキ君とわたしのことだって調べはついているんだよ、とも、暗に伝えてきている。わたしの胸の炎がチリチリくすぶる。コウキ君は、別の角度で攻めてみることにした。

「『巡回部隊』のスクープを狙っているそうですね。そして、セイをその餌にしようとしている。どういう方法を使うつもりなんですか?」

「それで菱川さん、昨日はなにがあったのかな。教えてくれるかい?」

 やはりのらりくらりと、大貫さんはコウキ君の質問をはぐらかす。優雅な手つきでブレンドコーヒーを飲みながら。わたしはぎゅっと机の下で手を握って、言った。

「大貫さんが質問に答えてくれるなら、話します」

「おやおや、つれないな。仕方がない、わかったよ。……と言いたいところだけれど、残念ながら三つ目の手段は、昨日の君たちの行動に大きく左右されるんだ。だから悪いけれど、君の話を先に聞かせてもらってもいいかな」

 両手を大きく広げて、口調と表情、そして仕草のすべてで「困った」というふうなポーズをとりながら、大貫さんが言った。ぜんぜん悪びれてなんかいないくせに。そして、そういえば、とつぶやいた。

「ふたりとも、今日の新宿区第六地域の結果は見たかい?」

 また、話をはぐらかそうとしているの? 苛立ちを感じながら、わたしはうなずいた。コウキ君も隣でうなずく。大貫さんは胸ポケットから小さなメモ帳を取り出して、ぺらぺらと紙をめくると、あるページを声に出して読みだした。

「新宿区第六地域、違反者四名。アブラダサホコ、チヨダミチル、セイノコウジ、ニシカワノブユキ。どうやらこの四人はみんな高校生。同じ学校の生徒で、遅くまで遊びすぎたか──殺人鬼さんについての好奇心かなにかから、外に出てしまったようだね。でも、問題はそこじゃない」

 そう言って、大貫さんはびしりと指を立てた。

「そう、この中には篠塚さんがいないんだよ。昨日のパターンでは、篠塚さんだけが違反者となり、君だけが帰ってくる──いくつかたててみた予想の中に、そんなものもあったんだけどね」

「あなたは!」

 胸の中の炎がゴオッと大きくなった。立ち上がりかけたわたしを、コウキ君が腕をつかんで止めた。そうしてコウキ君は首を横に振る。ダメだ、落ち着け、セイ。この手の相手に熱くなっても無駄だ。

 コウキ君の思いが伝わってきて、しぶしぶとわたしはふたたび腰をおろした。そこに、ずいっと大貫さんが顔をよせてきた。わたしはおどろいて、ソファの上でのけぞってしまった。

「それで、なにがあったんだい」

「……なにも、ありませんでした」

「なにも?」

「なにも」

 わたしはコーヒーを口にした。マスターが今日わたしに用意してくれたコーヒーは、コロンビアだ。うん、いつものように美味しい。まるで昨日のことなんてなにもなかったかのようだ。──ううん、なにもなかった。ただ大貫さんがひどいひとだということがわかっただけで、あの晩わたしと篠塚には、なにもなかった。

「大貫さんに置いていかれた場所で、ずっとふたりで一緒にいました。でも、なにもありませんでした。殺人鬼さんの姿を見ることもなくて、本当になんにも」

「そうか……」

 大貫さんが、再びソファに深く腰をかけた。ガリガリと頭を掻いて、なにかを考え込んでいる。わたしは思う。そうだ、篠塚は無事だった。巡回地域内にいたのに──篠塚はきっと違反者のはずだったのに、殺人鬼さんはやってこなかった。昨夜のどこまでも続く静寂を、深い闇を、ずっとつないでいた篠塚の手の温度を、わたしは思い出す。まるまる一晩、なにか事件がおこるような、そんな気配はまったくなかった。なぜ? ……わたしが一緒にいたから?

「つまり、君と一緒にいれば、『巡回部隊』に見逃される確率は高い、ということだね。……そうだな、もう二、三回試してみたいのはやまやまだけど──」

「絶対に、セイにそんな危険なことはさせません」

 コウキ君がきっぱりと言った。それもそうだよねえ、と大貫さんも、ひとのよさそうな顔で笑った。けれどさっきから、大貫さんが口にしているのはひとでなしの言葉だけだった。優しい仮面だけかぶってみせても、地が透けて見えている。

「この前みたいな不意打ちも、二度目はきかなさそうだしね」

「当たり前です」

 落ち着いた顔のコウキ君と、柔和な表情の大貫さんとの間で、ビシビシッと火花が散った。

「そもそもあなたはやり方が汚い──」

「……いいよ、コウキ君。昨日のことは、わたしたちにも隙があったの」

「そうやって被害者がいらない罪悪感なんて持つから、加害者が増長するんだよ」

 憮然とコウキ君が言った。そしてコーヒーを啜る。わたしも自分のコーヒーを飲んで、ロールケーキをフォークで刺した。なんとなく落ちた沈黙。それを破って、ふいに大貫さんが声をあげた。とても陽気な声だった。

「そういえば、菱川さん。君たちがたてた、僕についての質問ページはもう見たかな?」

 言われて、思い出した。昨日篠塚が、学校のパソコン室で、日本人なら誰でも知っているという質問サイトの中に、作ったページ。「大貫浩輔について知っているひとはいますか」。大貫さんと仕事で知り合ったらしい『A』さんが、わたしたちが草食動物だと思っていた大貫さんの、仮面をはがしてくれたサイト。そういえば、今日わたしはパソコンを立ち上げたけれど、あのスレッドは見るのを忘れていた。

「見てませんけど……」

「そうかい。ずいぶんとおもしろい書き込みがされていたんだけどね。教えてあげようか」

 眼鏡の奥、大貫さんの瞳が光る。鈍く、暗く。

「『大貫浩輔はペンネームで、下劣な雑誌で下劣な記事を掲載している』──君たちがずいぶんと信頼をして質問していた、あの書き込み者の投稿だよ。それにしても、いったいどこの誰なんだろうなぁ。心当たりは何人かいるんだけど、どうも絞り込めなくてね」

「それがなんだっていうんですか」

 コウキ君が尋ねる。コウキ君には、すべてを話したときに、篠塚が作った質問ページと、その書き込みについても話してあった。だから、すぐに話が飲み込めたのだろう。しかし、大貫さんの意図は読めない。コウキ君と同じくわたしにもわからなかった。大貫さんの次の言葉を聞くまでは。

「そっちの雑誌での僕の読者は下劣な記事が大好きでね。こんなのはどうだろう。幼少時に×××××××された、美少女の現在!」

 背筋が凍り付いた。わたしの耳がその言葉を受け入れることを拒絶した。それはわたしには絶対に口にできないような、耳をふさいで聞かなかったことにしたくなるような、そんなひどい言葉だった。けれどそれが理由ではなくて、音がしないのが不思議なくらいザアッと全身に鳥肌がたった。髪の毛まで逆立ってしまったような気がした。あえぐように、わたしは必死で息を吸い込む。そうしないと、呼吸ができなかった。そんなふうに必死になって空気を肺に取り込みながら、わたしはなんとか言葉を絞り出した。

「──あ、なたは……」

「現在彼女は都内にある某名門女子校に通い、まるで男の子のように──」

「あなたは!!」

 ゴウ、と胸の炎が火柱のように高く高く燃え上がって、わたしの胸の中をすべて焼いた。おかげで呼吸はふつうにできるようになった。けれど、それどころではなかった。

「あなたは、どこまで篠塚のことっ……」

 飄々としている大貫さんにつかみかかろうとしたわたしを、止めていいものか、というような顔をしながらもコウキ君が腕をつかんでくる。それからもう片方の手で、コウキ君がぽんぽんとわたしの背中を叩いた。わたしは仁王立ちになって、肩で呼吸をしながら、焼け付くような瞳で大貫さんをにらみつけた。

 けれど、大貫さんはどこ吹く風という表情のまま、コーヒーをすすっていた。あまつさえ、こんなことを言い出した。

「警察さえ動けなかった高級官僚による高級住宅街での悲劇──編集長は大喜びで、ゴーサインを出してくれるだろうね。ああ、そうだ。記事を書くことになったらもちろん、本人にも取材しないといけないな」

「ふざけないで! これ以上篠塚を傷つけたら、承知しないから!」

 コウキ君に腕をつかまれたまま、わたしは叫んだ。

 なんてひとだろう、とわたしは思う。最低で、最悪で、下劣で、ひとでなしで、ひどいなんて言葉が軽く思えるくらい、ひどくて、ひどくて、ひどいひとだ。

 わたしが怒りのあまりぶるぶると震えているのを、コウキ君が心配そうに見ているのがわかる。マスターも首を伸ばして、こちらを伺っているのがわかる。それでもかまわずに、わたしは張り上げた声を叩き付けた。

「ぜったいに、なにがあっても、篠塚にはなんにもさせない!」

「それじゃ、どうする気だい?」

 正面の席に座る大貫さんは、余裕しゃくしゃくの表情でわたしをみつめてくる。膝の上で手を組んで、見上げてくる瞳はやっぱりどこまでも穏やかだった。今はそのことだけでも腹が立つ。けれど。

 ──その言葉を聞いて、わたしは、糸が切れた人形のように、すとんと椅子に座った。

 大貫さんは、わたしのことも、篠塚のことも、なにもかも知っている。わたしはこのひとが柔和な顔をして、ひとのよさそうな仕草で、嘘をついてするりと相手の懐に入りこむ方法を知っている。そしていちど食いついた餌は決して放さないひとだということも、知っている。

 どうしよう。どうしたらわたしは、篠塚を助けられるの。

 うつむいてしまったわたしに、大貫さんはささやいた。これが悪魔のささやきだといわれたら納得してしまうような、どこまでも優しくて、甘い声だった。

「あと一回。あと一回だけ付き合ってくれたら、君たちを解放してあげるよ」

 信用できない。わたしは首を横に振る。

「なんなら誓約書でも書いてあげたっていい。だから、あと一回だけ付き合ってくれないかな」

「やめとけ、セイ。危険だ」

 コウキ君の真剣な声がする。うん、危険だ。二度あることは三度あるという言葉もあるけれど、三度目の正直という言葉だってある。『巡回部隊』がなんども巡回地域に踏み込んでいるわたしのことを、いつまで見逃してくれるのか、それはわからない。大貫さんが実際に現場でどんなことをしようと考えているのか、それもわからない。だけど。だけどね、コウキ君。

「篠塚は、篠塚を、わたし、もうぜったいに傷つけたくないの」

 コウキ君の腕をつかんだ。わたしの手は、慣れない怒りを爆発させたせいか、それともほかのことが原因なのか、小さく震えていた。コウキ君が大きくため息をついた。

 それから、コウキ君は、挑むような表情で、大貫さんを睨んだ。

「俺も、ついていきますからね」

 大貫さんは相変わらず穏和な、底の知れない笑顔で答えた。

「ああ、望むところだよ」

2012.01.21:誤字脱字他修正

2012.04.08:誤字修正 ご指摘有難うございました

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