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第10話 わたしと新事実

 しばらく忙しくなるから、エンデバーには来られない。そう大貫さんが伝言を残していったと、翌日わたしと篠塚はマスターから聞いた。

「しばらくって、どれくらいだろうね」

「知るか、俺が」

 そんな会話を交わしながらも、なんだかんだでわたしと篠塚の足は毎日エンデバーへと向かった。正直なところ、わたしと篠塚は、殺人鬼さんの情報収集について、もう打つ手が見つからなかったのだ。次にどう動けばいいのかわからないまま、わたしと篠塚はエンデバーで、チョコチップクッキーを食べ、ショートケーキを食べ、シュークリームを食べ、マドレーヌを食べ、パンプキンプリンを食べ、ガトーショコラを食べた。

「なんか最近、マスターのお菓子の腕がどんどんあがってる気がする」

 カウンターの高い椅子に腰をかけてバウムクーヘンを食べながら──まさかこれも手作りしたの、どれくらいの時間をかけて? ──わたしがつぶやくと、篠塚は笑って言った。

「ここんとこ、お前が毎日通ってるから嬉しいんだろ」

 そうかなあ、とわたしは思う。そうだったらいいなあ、とわたしは思う。そして、ずっと疑問に思っていたことをマスターにぶつけてみることにした。

「ねえ、マスター。最初にわたしをエンデバーに連れてきてくれたのって美代さんだっけ。それともママ?」

 マスターはカウンターの中でカップやお皿を洗っていたけれど、ようやくひと段落したのだろう。手を拭きながら振り返った。

「お母さんだったよ。美代さんというひとは、僕は知らないな。ここには来たことがないんじゃないかい?」

 ママ? まさかと思って尋ねてみた質問への、まさかの返事に、わたしは目をみはる。

 わたしの記憶の中では、小さい頃からママがわたしをどこかに連れていってくれるようなことはなかった。それなのにマスターは、ママがここに連れてきてくれたのだと言っている。マスターは嘘をつくようなひとではないし、嘘をつく理由もない。それじゃ、間違っているのはわたしの記憶のほうってこと?

 思わぬ回答をもらってしまって混乱しているわたしに、マスターはもっと混乱するようなことを言ってきた。

「あのときセイちゃんのお母さんは、確か……そうだ、『これはガキだけどコーヒー好きだから、うまいの煎れてやってくれ』と言ったんだった。それから『ガキに食わせるようなものはないのかい』ってね。それで僕は急遽ここでホットケーキを焼いて、セイちゃんにあげたんだった。それを嬉しそうに食べる姿があまりにもかわいくてね」

 ママが? ママがそんなことを言ったっていうの? まるで娘をかわいがる母親のようなことを、言っていたというの? わたしの混乱はますますひどくなる。ぐるぐるもやもやしたものが胸いっぱいに広がって、はちきれそうだった。

「で、菱川が来るたびにおやつをこしらえてやる習慣ができたってわけか。ご相伴に預かれてありがたいよ」

 そんなわたしの混乱など歯牙にもかけずに、篠塚がマスターにコーヒーカップを掲げてみせた。篠塚は、篠塚だって、わたしとママのことを知っているはずなのに。わたしは確かに喋ったことがあるのに。わたしとママの関係を。でも、こういうときの篠塚は、こう言いたいのだ──これはお前が考えるべき問題だ。人の手を借りようとするんじゃねえよ。

「君たちは本当においしそうに食べてくれるからね、作りがいがあるんだよ」

「今日のバウムクーヘンも絶品ですよ。ごちそうさま」

「……実はね、僕が篠塚さんにもおやつを出すのには、理由があるんだよ。この間、大貫さんには断っただろう?」

「へえ、なんですか?」

「あれは中学一年のとき、セイちゃんがそりゃもう嬉しそうな顔で店に飛び込んできて、いい友達ができたって報告してくれてね。それから来るたびに楽しそうに、篠塚がどうした、篠塚がこうした、篠塚はいいひとだ、篠塚が大好きだ、と話してくれてね」

「マスター!」

 わたしは悲鳴をあげた。私が考えごとをしている隙に、ふたりはわたしの恥ずかしい過去を──特に篠塚だけには知られたくなかった過去を、ぺらぺらと暴露している。

 精一杯目に力をこめてマスターをにらんだのだけれど、百戦錬磨のマスターはそれをさらりと受け流してた。

「それで、いつかセイちゃんが篠塚さんを連れてきたら、そして篠塚さんも望んでくれるようなら、セイちゃんだけの特別サービスを、セイちゃんたちだけの特別サービスにしようと思ったんだよ」

「もう……マスター、なんで言っちゃうの」

 わたしはカウンターに突っ伏した。さっきまでの悩みなど、どこかに吹っ飛んでしまっていた。顔が熱い。頭を抱えるようにして、わたしは火照る顔を隠した。

「へーえ」

 篠塚の声がにやにやと笑っている。この声からすると、篠塚はからかう気満々だ。きっとこうなると思っていた。だから絶対に、篠塚には知られたくなかったというのに。ああ、マスターに口止めしていなかったのんきな自分が恨めしい。

 カウンターテーブルの上で。ぎゅうっともっと縮こまったわたしは、しかし予想外の展開に面食らって顔をあげることになった。コツン、とわたしの頭を軽く拳でたたいて、篠塚が言ったのだ。

「ありがとな」

 篠塚は、すごく真面目な顔をしていた。ううん、とわたしは首を横に振って、篠塚の手をとった。だって、マスターが言ったことは本当だったのだ。コウキ君を失って胸にぽっかりと穴があいていたあの頃、わたしをこのさびしい世界につなぎとめてくれたのは、篠塚との友情だった。私は本当に、本当に、篠塚という友達を得られたことが嬉しかったのだ。そこに、

「これはどうやら……お邪魔かな?」

 という声が割り込んできた。手をつないだままわたしと篠塚はドアを見る。ドアベルが鳴ったのにも気づかなかった。そこには、何日ぶりかに見る大貫さんが立っていた。

「おや、いらっしゃいませ」

 マスターがなにごともなかったかのように声をかける。はっと気づいて、わたしと篠塚は手を離した。別に手をつないでいるのを見られるのは構わないのだけれど、その原因となった話が恥ずかしすぎる。

 篠塚がぐるりと椅子を回した。さっきまでのことなどなにもなかったかのように、テーブルに肘をついて、背もたれに体重をあずけて、つんと顎をあげて、いつもより居丈高に、女王のような仕草で、大貫さんに尋ねた。

「それで、なんか収穫はあったのかよ?」

「半々といったところかな。──いいかい?」

 大貫さんが奥の席を指さす。わたしと篠塚は顔を見合わせて、篠塚がうなずいた。マスターを振り仰ぐと、マスターも穏和な顔でうなずいてくれた。そこでわたしたちはマスターに手伝ってもらって、コーヒーとバウムクーヘンを奥の席へと移動させることにした。

 四人掛けの席に落ち着いて、わたしは尋ねた。

「半々って、どういうことですか? なにがわかったんですか?」

 ちょっと待ってくれよ、と大貫さんは苦笑した。

「これまで、ジャーナリストとしてのツテのツテをたどってたどって、『考える会』のほうのツテもたどれるだけたどって、ようやく取材が片づいたところなんだ。まずはひとくち、マスターのおいしいコーヒーを味わわせてくれないかな」

 そう言った大貫さんは、いつかのようにやさぐれてこそいないけれど、確かに眼鏡の奥が落ちくぼみ、クマができていて、頬もすこしこけているようで、全体的にくたびれきっているように見えた。わたしは急いた自分が恥ずかしくなって、「ごめんなさい」と身を縮めた。

「謝らなくてもいいよ。──ああ、本当においしいなあ」

 大貫さんは大きく息をつくと、コーヒーカップを持ったまま、ゆったりとソファにもたれかかる。しかしわたしより短気な篠塚は、

「もう、ひとくち飲んだだろ、いいからさっさと話しやがれ。話しに来たんだろ、違うのかよ?」

 と言いながら小刻みに膝を揺すった。貧乏揺すりはお行儀が悪い。わたしはぺしんと篠塚の足を叩く。篠塚は貧乏揺すりをやめて、それでも大貫さんがしばらくゆったりとコーヒータイムを満喫しようとしているのを知ると、やけになったようにバウムクーヘンにかぶりついた。──それから、時間にしたら五分程度だったのかもしれない。

 大貫さんはコーヒーカップをソーサーに戻すと、身体を前に乗り出して、膝の上に肘をついて、手を組んだ。口を開いた。

「『文和八年、宇都宮二名』のうちのひとりに会ってきたよ」

 わたしは愕然とした。篠塚も似たような驚愕の表情をしているのだろう。大貫さんは満足げに、組んだ中指を、とん、とん、と動かした。

「会っ……どうやって!?」

「そこはもちろん企業秘密さ。言っただろう、ジャーナリストとしてのツテと、『考える会』のツテをフルに使ったって。──フルに使ったところで、東京よりも範囲が狭くて、噂も流れやすかった『宇都宮二名』のことしかわからなかったんだけどね」

「それで、どうだったんだよ」

 もったいぶっている大貫さんに、篠塚がイライラと先をうながす。大貫さんはそれ以上じらすことはせず、淡々と言葉を続けた。

「彼女は、当時高校一年。今では立派な主婦になっていたよ。当日のことは、鮮明に覚えていると言って、話してくれた。彼女には年の離れた妹がいて、その晩は巡回地域に指定されているというのに、ちょっとしたことで姉妹喧嘩をして、夜の十一時にふらっと家出をしてしまったらしい。彼女も『巡回部隊』に怯えながら、かといって妹を放っておくこともできずに、外に出た」

 ごくり。わたしは息をのむ。

「そうして彼女は三十分ばかりあちこちを歩き回り、公園のブランコでひとりで遊んでいる妹をみつけた。そのまま彼女は妹を引きずるように連れて帰って、巡回地域の一晩が終わった」

 わたしは篠塚を見る。篠塚も、わたしと同じような表情をしていた。そうして、口を開いたのは篠塚だった。

「それだけ?」

「そう、それだけだ」

 殺人鬼さんに会うことも、なにか事件が起こることもなく、それだけ? 巡回地域に指定されていたというのに、それだけなの?

「……カルケーを持っていなかった、って可能性は?」

 篠塚が尋ねる。そういえばこの間、位置情報について難しい推論をしてをいたはずだ。確か、カルケーや携帯電話の位置情報機能によって、殺人鬼さんは違反者の居場所を特定しているとかなんとか。

「姉の方は持参していたかどうか記憶にないと言っていたけど、妹はまだ幼いこともあって、家の中でも首からかけておくようにしつけていたそうだよ。つまり、妹のほうは間違いなく持っていた」

 篠塚が唸る。わたしも気になることを尋ねてみた。

「そのひとたちに、パパはいたんですか?」

「そこだよ」

 びし、と大貫さんが指をたてた。癖なのだろうか。

「彼女たちは、父子家庭だった。つまり、母親がいなかった」

「それじゃあ──」

「ただし、母親がいない理由は病死。行方不明ではないんだよ」

 わたしは茫然とした。うまくつながっていた糸が、突然バラバラに切れてしまったような気がした。行方不明では、ない。病死。亡くなっていた。それじゃあ、どうして。行方不明が関係ないのならば、わたしのパパは……?

 篠塚がめげずに質問を続ける。

「病死に見せかけて……ってことはないのか?」

「ないね。母親は生まれつき身体が弱くて、妹を生んでからは病院で寝たきりになり、そのまま天に召されたらしい。どんな手品を使ったとしても、母親を殺人鬼さんにすることはできないんだ」

 大貫さんがガリガリと頭を掻く。そして、底光りする瞳で言った。

「これまでの僕たちの推論も、間違っているとは思えない。ただ、どこかでボタンがかけ違っているんだ。──どこかで」

 その時、わたしは気づいた。大貫さんは、いつの間にか柔和な仮面を脱ぎ捨てていた。柔和な仮面を脱ぎ捨てた顔は、声は、まるで獲物を追いつめてたっぷりといたぶろうとしている獣のようだった。

 無意識に、わたしの唇が動いた。

「大貫さんは──」

 眼鏡の奥の、底知れない瞳がわたしを見る。

「ジャーナリストとして、殺人鬼さんの取材がしたいんですか。『考える会』の一員として、殺人鬼さんのしっぽをつかみたいんですか。それとも本当に、お父さんに会いたいだけなんですか」

 大貫さんが目をまたたく。そうしてすぐに、なにごともなかったかのように、柔和な表情が戻ってきた。けれどわたしはそれを、やっぱり仮面なのではないかと疑った。疑ってしまった。

 大貫さんはいつもの人のよさそうな顔で、いやあ、ともういちど頭を掻いた。

「もちろん、父さんに会いたいだけだよ」

 わたしは篠塚の手を握った。

 思いの外強く、篠塚は手を握り返してきた。

 ──信用できない。篠塚の手の強さは、そう言っていた。



 例えばここに落とし穴がある、と篠塚が言った。それも、ものすごくでかくて深いやつだ。それなのに俺たちはそこに穴があることを知らずに、無邪気に穴の周りをくるくる回って遊んでいる。なあ、そうだろう菱川。

「考えてみれば俺たちは、大貫がどんなヤツなのかってことを、これっぽっちも知らないんじゃねえか?」

 その言葉にはわたしも同感だった。あのことがあった翌日、突然現れた大貫さん。パパの情報を餌にして、するりとわたしたちの中に入り込んできた大貫さん。柔和で好青年にみえる大貫さん。だけどわたしたちは、大貫さんが自分で言ったことしか知らない。

 ジャーナリストで、『人口管理委員会を考える会』の一員で、父親がわたしのパパと同じく十六年前に失踪した。そう言っていた大貫さん。それしか、わたしたちは大貫さんのことを知らないのだ。

 二度目のパソコン室への侵入は、前よりも罪悪感が薄かった。こうやって、ひとは悪いことに慣れていくんだろうか。そんなことを漠然と思う。けれどそれよりも、わたしの中にあったのは、焦りだとか、困惑だとか、あとは知らなければいけない、という気持ちだった。けれど、そこにあるのは好奇心ではなかった。わたしと篠塚は、好奇心で大貫さんを知りたいのではなかった。知らなければならなかったのだ。あのひととは、きっとこれからも接していかなければならないのだから。

 以前と同じ先生用のパソコンを、わたしたちは起動した。

 篠塚はまず、「大貫浩輔」で検索をかけてみた。しかし、検索結果として現れたのは、「人口管理委員会を考える会」のホームページの参加者一覧ページくらいのものだった。本人はジャーナリストと言っていたけれども、それらしい本だとか、記事だとか、サイトなどはひとつもひっかかってこなかった。

 検索結果にさっさと見切りをつけると、篠塚は別のサイトに移動した。現れたのは、日本人なら誰もが一度は見たことがある、大手質問サイトだ。篠塚はあちこちをクリックしてから、素早くキーボードに手を滑らせた。そしてまたマウスを操作する。質問サイトの中に、「大貫浩輔を知っている人はいますか?」というタイトルのページができあがった。

「来い来い……来い」

 トントンと机を指で叩きながら、篠塚が言う。もう片方のマウスを握る手は、何度も何度もブラウザの再読込ボタンをクリックしていた。

 少しずつ、反応が返ってくる。

『知らない。誰? 売れない芸能人?』

『同じく知りません。売名行為?』

『検索してもでてこないような個人の名前をネットに晒すのはマナー違反です。運営に通報しますよ』

 そんな芳しくない書き込みの中に、時々

『『考える会』で活動してる』

『あー、『考える会』のヤツね。結構鋭い質問してて好感触。まあ、人口管理委員会には全然かわされてるけど』

『ジャーナリストだろ。会ったことある。つうかなんかのときにちょっと取材された』

 というような書き込みが入ってくる。でも、そんな情報じゃ足りない。わたしは一時限目が終了するチャイムを聞きながら、じりじりと焦っていた。

「落ち着けよ」

 と、やはりひっきりなしに再読込を繰り返しながら、篠塚が言う。

「この教室が今日丸一日使われないのは調査済みだ。気長にいくことにしようぜ……にしても自動リロード機能がほしいな」

「かわろうか? クリックくらいならわたしにもできるよ」

「腱鞘炎になりそうになったら頼む」

 二時限目三時限目も、同じような身のない内容、そしてわたしたちが知っている程度の内容が、ぽつぽつと書き込まれるだけだった。交代するよといくら言っても、篠塚は首を横に振り、真剣な顔で再読込を繰り返していった。

 そして、四時限目。時計の針は、もうすぐお昼の休み時間を指そうとしている。それくらいの時間に、ぽつりとひとつの書き込みが追加された。名前欄はシンプルに『A』。

『フリージャーナリスト。今スクープを掴もうとして追っているネタは人口管理委員会の『巡回部隊』について。その関係で『人口管理委員会を考える会』にも入会。』

 わたしと篠塚は顔を見合わせた。この書き込みには、他の書き込みにはなかったなにかがあった。このひとは大貫さんを身近に知っているひとだ、と直感する。

 篠塚がキーボードを抱え込んで、カタカタと素早く打ち込む。そしてリターンキーを押した。再読込で、画面が変わる。『A』さんの回答に、返信がついた。

『自分はひょんなことから過去に彼の取材を受けた人間です。もっと彼についてご存じのことがあったら教えてください。お願いします』

「……篠塚、なんで嘘つくの?」

「バッカだなお前、『いま取材を受けている』なんて書いたらバレバレじゃねえか。これでもギリギリだと思うけど、少しくらいのフェイクを入れるのが定石なんだよ」

 そっか、わたしたちの身元を特定されないためなのか。そうわたしは思って、だけど、と考えた。今このタイミングで、大貫さんについて知りたいのなんて、わたしたちだけじゃないのかな。どんなに嘘を紛れ込ませても、無駄なんじゃないかなあ。

 それからわたしたちは、またマウスをカチカチさせて再読込を繰り返した。『A』さんから返事があったのは、三十分後のことだった。

『見かけは穏和そうだが本性は執拗で、取材には手段を選ばないところがある。こちらも身バレしそうだが、以前ヤツと一緒に仕事をしたとき、ついていけないと思った。そっちの取材が終わってるならなにより。二度と関わらない方がいい』

 やっぱり。

 わたしは、昨日の大貫さんを思い出す。あの、穏やかそうな仮面の下にあった、獣のように獰猛な顔を。好青年の顔の下にあった、どす黒いもののことを。

 篠塚が考え込む。

『逃げ出す方法は?』

 返事はすぐにあった。

『ない。特に住所氏名を掴まれてると最悪。情報収集能力はかなりのもの。どこまでも追ってくる』

 わたしは、あまりネットのことはわからない。そしてわたしは、『A』さんのことをまったく知らない。けれど、わたしには、『A』さんの言っていることには、信憑性があるように感じた。信じてもいいように思えた。

 わたしは篠塚を見る。そして、感じたことを口にしてみた。篠塚は、「人を見る目が不確かなぼんやりちゃんのわりには、今回は意見が一致したな」と言った。ひとこと嫌みをいれてくるのが篠塚らしいけれど、つまりは同感だということなのだろう。低く唸って、篠塚は頭を抱えた。

「こっちに旨い餌があると、ヤツはわかってる……逃げられることはないってわけかよ」

「でも、どうしたら終わるのかな」

「は?」

 篠塚が面食らったように間抜けな声を出した。考えながら、わたしは口を開いた。

「どんなに旨い餌があっても、そこになにかが食いついてこなきゃ、餌にはならないでしょ。大貫さんはわたしを餌にして、これから、この先、なにをしようとしてるのかな」

「大貫の目的……か」

「この……『A』さんが言ってたみたいに、スクープが目的なのかな。『巡回部隊』のスクープ……でも、どうやって?」

 またしても篠塚が唸る。わたしは彼女の前からキーボードを引き寄せて、不器用な手つきで『A』さんに向けて書き込みをした。

『たびたびごめんなさい。もうひとつだけ教えてください。大貫さんのお父さんが、十六年前に行方不明になったって本当ですか?』

 わたしは、それが、どうしても聞きたかった。聞いて、肯定されて、安心したかったのだと思う。たとえ大貫さんがどんなに油断のならないひとでも、もしもわたしと同じようにお父さんが失踪していたというのならば、『巡回部隊』について暴いて──それを結果的にスクープにしようという気持ちが、少しだけ、少しだけでもわかる気がしたのだ。

 けれど、現実は無慈悲だった。

『大貫の両親は、今もご健在だよ』

2012.01.21:誤字脱字他修正

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