第9話 わたしと大きな発見
「へーえ、そりゃあようございましたこと」
お昼ご飯を食べながらに篠塚へ昨日のコウキ君とのやりとりを報告すると、かえってきたのはそんな気の抜けた返事だった。それでも、相手が男とみればすぐさま敵愾心を抱く篠塚にしては、ずいぶんましな反応といえた。
篠塚には、コウキ君との小さい頃からのことは、ずっと前に話してあった。だから、いつものような「男なんぞとうかうかふたりきりになるな」という、男という生き物がいかに最悪かといった内容のお説教はなかった。けれど篠塚は本当にコウキ君のことは興味がなさそうで、かわりにプリントを丸めてポコッとわたしの頭を叩いた。
「ンなこたあいいんだよ。それより、ネットだネット。菱川、お前は着眼点はいいけど、検索が下手すぎる」
「なんで、どういうこと?」
わたしは篠塚に叩かれた額を押さえながら尋ねた。菱川は時計を見ると、「それじゃ、行くか」と言って腰をあげた。
「行くってどこに? もうすぐ昼休み終わっちゃうよ?」
「そんなもんサボりだサボり。思い立ったらすぐ行動。行くぞ」
篠塚はわたしの腕をつかむと、強引に席から立ち上がらせて、ずんずんと歩きだした。わたしたちは、午後の授業のために教室に戻る生徒たちの波に逆行しながら、四階から一階におりた。そして渡り廊下を進む。どうやら篠塚の目的地は、校舎の隣にある、技術棟のパソコン室のようだった。
午後の授業の開始を告げるチャイムを聞きながら、わたしと篠塚はそっとパソコン室のドアを少しだけ開けて、中をのぞき込んだ。幸いなことにこの時間、パソコン室は使われていないようだった。それがわかると篠塚は遠慮なくずいっとドアを開き、中に入って、教室の一番前にある授業のときには先生が使っているパソコンの電源をつけた。
「篠塚、勝手にさわっていいの?」
「パソコンは使われてこそパソコンだ。これだけの機能を有しているってのに、立ち上げられもしないパソコンなんて、ただの箱じゃねえか。可哀想だろ」
篠塚がわたしを煙に巻こうとしているのがはっきりと伝わってきて、わたしはむくれる。それでも好奇心に負けて、篠塚が慣れた手つきで操るパソコンの画面をのぞき込んだ。
篠塚は、まず「巡回部隊 確保者 人数」と検索画面に入力した。「そういや前から気になってたんだよな」とつぶやきながら。
すぐに検索結果があらわれる。ざっとスクロールしていちど目を通すと、そのうちのひとつのリンクを篠塚はクリックした。あれだけたくさん表示されていた検索結果のどこを見て選んだのかはわからなかったけれど、そのページは巡回部隊が現れるようになった年から、違反者の数の推移を日ごとに追っている、いかにも真面目で有用なページだった。年月日ごとにまとめられた違反者の一覧表がずらっとあって、おまけに年ごと、さらに月ごと日ごとに折れ線グラフの統計まで表示している。どんなひとがこのページを作ったのかはわからないけれど、すごいな、とわたしは思う。これはもう、執念に近い。
「三百五十二人……」
篠塚がつぶやいた。
なんのことだろう、とわたしはページに目をこらした。それは文和三年四月一日、初めて巡回部隊が現れたときの違反者の数だった。
「三百五十二人も……? 殺人鬼さんに殺されたの?」
信じがたいその数に、わたしは茫然とつぶやいた。
ぐるり、と篠塚が椅子をまわす。スラックスに包まれていてもわかる形のいい足を組んで、細くて長い指を秀でた額にごつんとぶつけた。
「……まあ、それもそうだよな。『明日から夜九時以降に外出していたら違反者として罰します』なんて発表があったって、すぐに本気にするヤツは少ないだろ」
「ええと、次の日が二百二十三人、次の日が四百六十人。その次の日が……五十二人」
わたしが画面を指で追って数え上げると、篠塚はぐるりともういちど椅子を回した。
「三日も経てば、政府が本気だってことが一般人にもわかってきたってわけか」
わたしはページを切り替えて、年ごとの折れ線グラフを表示した。最初の年──文和三年をピークに、文和四年からガクンとまっさかさまに線は下降していた。たったの一年。たったの数日で、殺人鬼さんは浸透したのだ。国民に、多大なる恐怖をもって。
篠塚がもういちどくるりと回って、わたしからマウスを奪い取る。ブラウザのページをひとつ戻って、検索結果から違うサイトに飛ぶ。今度現れたサイトは全体的に論文調で、これまで巡回部隊に確保された違反者の数と、彼らはどこに行ったのか、という疑問が記されていた。このサイトを作ったひとが知る限り、今まで違反者はひとりも帰ってきていないらしい。
そのサイトから、別のサイトにリンクで飛ぶ。それは、違反者として家族が、友人が、知人が確保されたひとたちの、人口管理委員会への弾劾サイトだった。けれどよく見てみると、そのサイトの更新は文和九年で止まっていた。──慣らされてしまったのだ。六年たって、日本国民は殺人鬼さんの存在に慣らされてしまったのだ。
私がぞっとしながらそのページを読んでいる最中に、篠塚がブラウザの右上にある検索窓になにかを打ち込みはじめた。
「ちょっと待ってよ、もう」
言いながら篠塚が検索窓に打ち込んだ言葉を眺めると、そこには「巡回部隊 生還」と書いてあった。それは、わたしも気になるところだ。すごく、すごく、気になるところだ。わたしは口をつぐんで、さっきまで見ていたページが消えて、かわりに検索結果が表示されるのを待った。
ずらりと表示された検索結果のテキストたちは、「巡回部隊に捕まったらどうなるのか?」という疑問と、それに関する議論が主だった。わたしはがっかりする。これじゃ、昨日コウキ君の家で調べたのとほとんど変わらない。
しかし、篠塚はそれらのサイトを──特に誰でも書き込めるような討論形式のものを中心に、真剣に調べていった。わたしもぼんやりしながらその作業を見続けて──ふいに、大きな声を出した。
「篠塚、ストップ!」
それは、有名な討論サイトのなかにある、つい二年くらい前に作られた、殺人鬼さんに狙われて生還したひとはいるのか、という議題の討論ページだった。たいていの書き込み内容は、いつも見る噂と変わりがない。けれど、わたしはぽつんとひとつあった書き込みに興奮した。
「篠塚、これ! 『私は生還しました』だって!」
ああ、と篠塚はうなずいた。わたしが拍子抜けするくらい冷静に。
「だけどな菱川、ちょっと落ち着けよ。これはあくまでネットだぜ。どこの誰がどんな嘘をついてんのかもわからねえだろ」
「……それじゃ、嘘だと思う?」
「八割方な。──そんなもんよりも、このページにはおもしろい書き込みがある。見てみろよ」
うながされて、わたしはふたたび討論サイトを眺める。
「『デッド』って名前のひとの書き込み?」
「そうだよ。そいつの端末IDは一致してるから、ふたつある書き込みが同一人物ってことに間違いはねえだろ」
篠塚がなにを言っているのかはよくわからなかったが、わたしはその『デッド』というひとの書き込みを見る。その討論ページはあまりはやってはいないらしい。『デッド』の書き込みのひとつめは、あまりたくさんはない書き込みの、ちょうど中ごろにあった。
「『文和五年、文京区一名。文和八年、宇都宮二名。文和十六年、渋谷区一名』……ねえ篠塚、これがなんなの?」
「スクロールして、もう一個の書き込みを見てみろよ」
自信満々に促されて、わたしはおとなしく従った。画面をスクロールしていくと、一番下、最新のところに、『デッド』の書き込みがあった。書き込まれた日付は、一昨日の明け方だ。
「『文和十八年、調布市一名』……!」
今年についての書き込み。
そしてこの書き込みがされたのは、一昨日の午前三時過ぎ──調布市第三地域での巡回が終わった直後だ。
ぞっと鳥肌がたった。わたしは篠塚を見上げる。篠塚は力強くうなずき返してきた。
「これ、わたしのこと……?」
「だと思うぜ。でもって、これがおまえのことだったとしたら、この『デッド』によると、過去にも『巡回部隊』から四人が見逃されているってことになる」
「篠塚、なに、なんなのこの『デッド』ってひと」
急に怖くなって縮みあがり、篠塚の腕を揺さぶるようにしてぎゅうっとつかむと、篠塚は「そんなに怯えるなよ」と苦笑して、わたしの頭をぽんぽんと叩いてきた。
「なんだかんだいって、人口管理委員会だって人間の集まりだ。──企業の汚職事件の最中なんかでもよくあるだろ。匿名で『企業の中のひと』が内情をネットに書き込んだりするってさ」
それで、と篠塚は続ける。
「この、おそらく人口管理委員会の『中のひと』──『デッド』がどんな立場にあるヤツなのかはわからねえが、書き込まれた情報には信憑性があると思うぜ。なにせ、」
「……調布市、一名。だもんね」
そう、この『デッド』というひとは、わたしのことを知っている。わたしがあの日、助かったことを知っている。つまりこのひとは、人口管理委員会とつながりが──それも、相当濃いつながりがあるひとだということになる。
そして、それから、わたしのほかにも過去に四人、助かったひとがいる。例外は、わたしだけではなかったのだ。
「篠塚、この『デッド』ってひとと連絡とれないかな」
「難しいっつうか、そりゃ無茶だろ。警察でもなきゃ、端末IDから個人を特定なんてできねえよ」
「そっか……」
わたしはそっと画面をなぞった。
わたし。それから、四人の助かったひとたち。
──その共通点は、なんだったんだろう?
わたしと篠塚がエンデバーに着いたときには、大貫さんはもう先に来ていた。そしてわたしの見間違いでなければ、大貫さんはまるで酔っぱらいのように、カウンターでマスターを相手に愚痴っているようだった。
「こんにちは」
声をかけえると、やっぱり温和な、だけどもあまり機嫌のよくなさそうな顔が振り返った。わたしたちの姿を認めると、大きく息をついて、「マスター、おかわり」というなり大貫さんは席をおりた。わたしたちは自然に、以前にも座った奥の四人掛けの席へと移動した。
「なにかあったのかよ」
どすんと大きな音をたててソファに腰をおろした大貫さんに、篠塚が尋ねる。すると、「なにか! なにかね、あったらよかったんだけどね」とやさぐれた返事がかえってきた。
「なにも、なーんにもなかったよ。とっておきの隠し玉だと思って、『先日の調布市第三地域では時間外の巡回があったと聞きましたが』と伺ってみてもそんなはずはないと知らぬ存ぜぬ。『違反者の中に確保されなかった人物がいたと聞きましたが』と伺ってみてもそんなはずはないとなしのつぶて。……マスター、僕にもそれ、くれないかな」
疲れた様子の大貫さんは、コーヒーと一緒にわたしたちの前に並べられたアップルパイ(アイスクリーム添え)を見て、餌を前にしてすごく長い時間「待て」を言いつけられている犬のような目になった。しかしマスターは、
「これはあくまで特別サービスですので」
とさらりと断って、足音もたてずにカウンターの中に戻っていてしまった。大貫さんは大きくため息をついて、うらめしそうな顔でマスターの後ろ姿を眺めている。わたしは思わず、
「あの、一口食べますか?」
と聞いてしまった。だって大貫さんが、あまりにもうらやましそうだったのだ。それに、すごく疲れているみたいだし。机の下で、篠塚に足を蹴飛ばされたが、いちど口に出してしまった言葉は撤回ができない。
けれど大貫さんは、もういちど大きくため息をつくと、
「ありがたいけど、気持ちだけもらっておくよ」
と言った。こっそり白状すると、わたしは正直なところ、ちょっとだけほっとした。
「で、つまり『考える会』の会合ではなんの収穫もなかったってことかよ。情けねえな」
さっそくサクサクのアップルパイを頬張りながら、篠塚が言う。
「言葉もないよ」
と肩をおとして、大貫さんは力なく笑った。
「なにせ、こちらには確信があっても、肝心の証人がいないんだ。だから結局、のらりくらりとかわされてしまう。──ねえ、菱川さん」
「菱川をひっぱりだしたら承知しねえぞ」
「そう言われると思ったよ。……ああ、どうしようかなあ」
大貫さんは本当に疲れているようだった。この間にはいつも浮かんでいた余裕のある優しげな笑顔が、今日はどこにも見つからない。それに、頭はかきむしったようにボサボサで、眼鏡の奥の瞳がしょぼしょぼしている。大貫さんはため息をついてコーヒーを飲み、そして再び大きなため息をついた。
どうやら大貫さんが話せるようなことは、これで終わりのようだ。そう判断したのか、篠塚が鞄から紙を取り出した。
「これは、俺たちが今日ネットで調べたんだけど」
「ネット? ネットというのはあの、玉石混合という名を冠しながらも石ころだらけの電子の海の世界かい?」
穏やかな性格のひとだと思っていた大貫さんが、らしくもなく嫌味まで言ってきた。篠塚はいらだちにまかせて、机の下で大貫さんの足を蹴飛ばした。大貫さんがびっくりしたように篠塚を見るが、篠塚はそういう人間だ。わたしはこれっぽっちも驚かず、溶けかけたアイスクリームを口に運んだ。
「いいから見やがれ。『デッド』ってヤツの書き込みだ」
一転して、言われるままにおとなしく、叱られてしゅんとした犬みたいに、大貫さんはプリントアウトした五枚の紙をめくった。あまりはやっていないあの討論ページは、書き込みの総件数もたいしてなかった。
すべてを読み終わり、そして理解するのにさほど時間はかからなかった。確かめるようにもういちど五枚の紙をめくってから、大貫さんがふたたび顔を上げた。その瞳には、さっきまではなかった鋭い輝きがやどっていた。
「確かに、これは信憑性がありそうだ。きみが助かった翌日の午前三時過ぎ──巡回終了で政府発表の前に、調布市一名、だからね」
そうして、『デッド』の書き込みがある部分だけ、紙を並べる。
「君を含めて、これまで五人の人物が巡回部隊から逃れている。それも、この『デッド』の書き込みを見ると、まるで必然だったみたいだ。──君は、君たちは、助けられる理由があったからこそ助かった。その理由はなんだろう」
「そんなこたあこっちが聞きてえよ。なんか思い当たるところはないのか?」
「──家族だから、というのはどうだい?」
わたしの背がヒヤリとした。昨晩のベットの中での葛藤を思い出す。わたしは大貫さんを見た。無意識に机の下で篠塚の手を探ると、確かな力でぎゅっと握り返してくれた。
「この間も言ったけど、君のパパが、殺人鬼さんだとしたら。殺人鬼さんになる条件の中に、『家族には手を出さない』というものがあったら。どうだい?」
でも、とわたしは思う。篠塚も同時に疑問に思ったようだ。わたしよりも早く、篠塚が口を開いた。
「もしそうだとしても、殺人鬼さんの家族だってのをどうやって見分けるってんだ? 巡回地域の広さを考えてみろよ、殺人鬼さんはひとりとは限らない。たまたま別の殺人鬼さんにでくわしちまったらどうするんだ」
「そこだよ」
びし、と大貫さんが指を立てた。
「君たち、カルケーは持ってるね」
「ああ?」
「はい、持ってますけど」
「そして十八歳以上の国民は、必ず携帯電話を持っている」
「……はあ」
「なるほどな、そういうことか」
やっぱりわたしよりも早く、状況を理解したのは篠塚だった。わたしは篠塚を見る。篠塚は力強くわたしの手を握って、真剣な顔で言った。
「カルケーには、位置情報機能がついている。そして、携帯電話にも位置情報機能がついている。この位置情報は電源を切っていても効果がある」
「う、ん……?」
「そもそも、殺人鬼さんがどうやって違反者をみつけているのかも疑問だったんだ。だけど、位置情報を使っているとなったら話が早い。巡回地域の中で、位置情報でひっかかった人間を狩ってるとしたら、どうだ?」
ゆっくりと考えて、脳味噌の隅々までそれが浸透したあと、わたしはうなずいた。そうだ。日本国民は犯罪等の有事に備えて、十八歳未満はカルケー、十八歳以上は携帯電話を必ず所持し、登録することが義務づけられている。犯罪等の有事の際に備えて、というのは、もしも犯罪に巻き込まれた場合、位置情報ですぐに居場所が突き止められるように、という意味だという。その条例を決めたのは政府だ。だからわたしたちはカルケーを、携帯電話を、なんの疑問もなく必ず身につけるようになった。
そして、巡回地域は広い。広い巡回地域の中で、ピンポイントで違反者を探すためには。
「……でも、それと家族だと見分けるっていうのは、どうつながるの?」
「位置情報に特殊な信号でもついていたら、どうだ?」
篠塚が言う。真面目な顔で。
「この人物は殺人鬼さん──巡回部隊の家族で、違反対象外だ。そういう信号がついているとしたら、どうだ?」
「ほかの殺人鬼さんも、手を出さなくなる……」
篠塚がうなずく。大貫さんを見ると、彼も大きくうなずいた。と、強く強く握っていた篠塚の手から、力が抜けた。
「──てのは、まあ、あくまでも仮説だけどな」
「そうだね、仮説だ。だけど信憑性は高いと、僕は思うよ」
今日はいい話し合いができたよ、ありがとう。そう言い残して、大貫さんは席を立った。わたしたちが来たときのぐったりした様子とはまったく違って、今の大貫さんはあの物柔らかかな笑顔を浮かべて、自信たっぷりに見えた。
「それじゃ、また」
2012.01.21:誤字脱字他修正




