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骨まで喰われた俺が、世界ごと灰にするまで  作者: 灰原 健(はいばら けん)@『骨灰』金曜夕方から開幕!


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第3話:魔力ゼロの烙印と、森で拾った秘密

開幕3連撃のラスト、第3話目です!

 十歳になった。


 体が動くようになった。走れる。跳べる。木に登れる。五歳の頃のふにゃふにゃした感覚がなくなって、ようやく「使える体」になってきた気がする。


 前世のサラリーマン時代、運動なんてほぼしていなかった。でも一度目の転生では、それなりに体を鍛えた記憶がある。体の動かし方、筋肉の使い方——その感覚が、この小さな体にも少しずつ戻ってきていた。


 記憶というのは面白いもので、やり方さえ思い出せば体がついてくる。


「ケンジ、遅い!」


 前方からリアの声が飛んできた。


 俺は木の根を蹴って跳び、枝から枝へと移動するリアの後を追った。五歳で出会ってから五年、リアとはほぼ毎日森で訓練している。最初は圧倒的にリアの方が上だった。猟師の娘として物心ついた頃から森を走り回っているリアと、前世の記憶はあっても今世では軟弱に育ったケンジじゃ、比べるまでもない。


 でも今は、互角に近い。


「……追いついた」


 リアの隣の枝に着地した俺が言うと、リアは悔しそうに唇を尖らせた。


「ちょっと、いつの間に……」


「毎日やってれば追いつく」


「なんか言い方が老人みたいなんだよね、たまに」


 俺は黙った。否定できないので。


 リアは枝の上に腰を下ろして、木々の隙間から空を見上げた。秋の空は高くて、薄い雲がゆっくり流れていた。


「ねえ、ケンジ」


「なんだ」


「来月、村の魔力測定があるじゃん」


 俺の体が、微かに固まった。


「……知ってる」


「ケンジ、どうするの。呪印、隠せる?」


 リアだけが知っている。俺の呪印のことを。五年前に木を爆砕した日から、俺はリアに少しずつ話してきた。全部じゃない。でも「普通じゃない力がある」「魔力とは別のものだ」という核心は、打ち明けていた。


「測定器に引っかかるのは魔力だ」と俺は言った。「呪印は魔力じゃない。測定しても何も出ない」


「それって……ゼロってこと?」


「ゼロだ」


 リアが黙った。


 魔力ゼロがどういう意味か、この世界で育ったリアにはよくわかるはずだ。魔力のない人間は、この世界では底辺扱いされる。戦えない。魔法が使えない。肉体労働か農業か、選択肢が極端に狭まる。


「……村の人たちに何か言われても、気にしなくていいからね」


 リアが言った。


「気にしない」


「本当に?」


「本当に」


 俺は枝から下を見下ろした。十メートル近い高さ。前世なら足がすくんでいただろうが、今は何も感じない。


 魔力ゼロ。結構だ。


 舐めさせておけばいい。その方が、俺にとって都合がいい。


 測定の日が来た。


 村の広場に、王都から派遣された魔力測定師がやってきた。三十代くらいの男で、王国の紋章が入った外套を着ていた。測定師というのは国が管理する資格らしく、年に一度、各村を回って子供たちの魔力を測定して回る。優秀な子供がいれば王都の魔法学院に推薦するためだ。


 村の子供が十数人、広場に集まっていた。みんな緊張した顔をしている。魔力が高く出れば、村を出て都市で暮らせる可能性がある。貧しい辺境の子供にとっては、数少ない上昇の機会だ。


 測定器は水晶の球だった。手を当てると魔力が可視化されて、色と輝きで量と属性がわかる仕組みらしい。


 リアが俺の隣に並んでいた。


「リアから先に行け」


「なんで」


「お前の方が度胸がある」


「それは褒めてるの?」


 リアは笑って列の前に出た。水晶に手を当てると、緑色の光が広がった。測定師が「風属性、中の上。筋がいい」と手帳に書き込む。リアは少し誇らしそうな顔をして戻ってきた。


 俺の番が来た。


 水晶の前に立って、手を当てた。


 その瞬間——


 ほんの一瞬だけ、白い光が滲んだ。


 淡くて、弱くて、でも確かに白い光が水晶の内側で息をしかけた。


 次の瞬間、水晶が透明に戻る。


 白い光を何かが内側から喰らって、まるで最初からなかったかのように消えた。水晶は沈黙に戻った。ただの透明な球のまま。


 測定師が目を細めた。首を傾げた。「今……何か、見えた気が」と呟いてから、もう一度俺の手を見た。


「もう一度やってみてください」


 俺はもう一度手を当てた。


 今度は何も出なかった。完全に沈黙。


「……魔力、ゼロですね」


 測定師が、どこか釈然としない顔のまま言った。


 広場がざわついた。


「ゼロ?」「ゼロって初めて見た」「あの子、アネットさんのとこの……」


 ひそひそ声が四方から飛んでくる。子供たちがじろじろと俺を見た。同情の目、軽蔑の目、不思議そうな目。


 俺は表情を変えなかった。


 測定師が確認するように聞いてきた。「体の具合が悪いとか、呪いを受けているとかは……」


「ないです」


 そこは嘘ではない。呪印は呪いだが、体調に影響はない。


「そうですか……」測定師は釈然としない顔のまま手帳を閉じた。「魔法の道は難しいかもしれませんが、体を鍛える方向で頑張ってください」


 それだけ言って、次の子の測定に移った。


 俺はその背中を見ながら、胸の中で静かに笑った。


 見えたはずだ。一瞬だけ。でも証明できない。


 舐めていろ。魔力ゼロの底辺だと思っていろ。

 

 魔力ゼロの底辺が、いつか全員の喉元を掴む。それが楽しみでもあった。


 測定から三日後。


 俺は一人で森の奥に入っていた。


 リアとの訓練とは別に、俺には一人でやっていることがある。呪印の制御練習だ。


 五歳の頃に木を爆砕して以来、俺は毎日少しずつ呪印と向き合ってきた。わかってきたことがある。


 呪印は、感情に連動する。


 怒りや憎しみが燃料になって活性化する。逆に穏やかな状態だと小さく沈んでいる。問題は、怒りに任せると暴走することだ。五歳の木の爆砕も、制御できていたわけじゃない。感情が溢れた瞬間に勝手に出た。


 だから俺が目指しているのは——冷たい怒りだ。


 熱くなるな。燃えるな。でも消すな。


 氷の下でマグマが燃えているような状態。それが俺の目標だった。


 前世のサラリーマン時代、どんなに理不尽なことをされても顔に出さずに処理する術を身につけていた。感情を内側に押し込んで、外側は平静を装う技術。


 あれが、ここで活きる。


 俺は目を閉じて、意識を内側に向けた。


 呪印が脈打っているのを感じる。今日は静かだ。


 ゆっくりと、ショーの顔を思い浮かべた。


 ……脈動が、少し速くなった。


 でも爆発しない。押さえている。氷の下で燃やしている。


 俺は右手に意識を集めた。今度は爆砕じゃなく——もっと細く、もっと鋭く。


 指先に、黒い光が集まった。


 親指ほどの太さの、細い光の線。それが指先から三十センチほど伸びて、静止した。


「……できた」


 制御できている。暴走していない。


 俺はゆっくりと右手を動かした。黒い光の線が、手の動きに追随する。目の前の木の幹に、細く真っ直ぐな切り込みを入れた。爆砕じゃなく、精密な切断。


 できる。


 荒削りだが、方向性は見えてきた。


 そのとき。


「……っ」


 気配を感じた。


 俺は即座に呪印を引っ込めて振り返った。


 茂みが揺れていた。動物の気配じゃない。もっと重い、切迫した気配。


「出てこい」


 俺は平静を装って言った。


 しばらく間があって——茂みから、人影が転がり出てきた。


 子供だった。


 俺と同じくらいの年齢。でも服がボロボロで、顔も手も泥だらけだった。黒い髪は絡まっていて、目の下に濃いクマがある。それでも顔立ちは整っていて、大きな目が俺をじっと見ていた。


 そして——頭に、小さな角があった。


 両側に一本ずつ、羊のような丸みを帯びた白い角。


 魔族だ。


 俺の体が、反射的に固まった。


 脳裏に、あの夜の光景が蘇った。血で染まった口。獣の目。骨を噛み砕く音——


「……待って」


 子供が言った。声が震えていた。


「逃げないで。お願い。助けて」


 俺は動かなかった。


 子供——魔族の子供は、その場にへたり込んだ。足に力が入っていないようだった。よく見ると、右足に布が巻かれていて、そこが赤く滲んでいた。怪我をしている。


「……人間に、追われてる。もう、走れなくて」


 俺は黙って、この状況を分析した。


 魔族。子供。負傷。追跡者あり。


 殺すか。


 一瞬、本気でそれを考えた。前世の経験がある。一度目の転生での経験がある。魔族がどういう存在か、俺は骨の髄まで知っている。


 でも——。


 俺はこの子供の目を見た。


 怯えていた。純粋に、怯えていた。獣の目じゃなかった。食欲の目じゃなかった。追い詰められた子供の、生きたいという目だった。


 あの村の魔族も、最初はこういう目をしていた。


 でも最後は——違った。


 だからといって、この子を信じる理由にはならない。


 俺は頭の中で素早く計算した。


 情報価値。この子が何者で、なぜ追われているか。それを聞き出すことの方が、今は優先度が高い。殺すのは後でもできる。


「名前」


 俺は短く言った。


「……エ、エリス」


「追ってきてるのは何人だ」


「三人。人間の、冒険者みたいな人たち」


「装備は」


「剣と、弓……」


 俺は素早く周囲を確認した。追跡者が近い。ここで話している時間はない。


「立てるか」


「無理、足が……」


 俺は一瞬だけ目を閉じた。


 呪印を、足に流した。


 ほんの少しだけ。糸一本分だけ。意識して絞り出すように脚の筋肉に通す。


 すると——体が、軽くなった。


 自分の体重が半分になったような感覚。脚に力が満ちる感じ。これは純粋な身体能力の話じゃない。呪印が筋肉そのものを底上げしている。


 なるほど。こういう使い方もできるか。


「掴まれ」


 俺は手を差し伸べた。


 エリスが目を丸くした。「え、でも私、魔族で……」


「知ってる。掴まれ、時間がない」


 エリスは躊躇いながら俺の手を握った。俺はエリスを背負って、森の奥へ走り出した。


 軽い。エリスを背負っているはずなのに、呪印で強化した脚は普段と変わらない速度で動いた。いや、むしろ速いかもしれない。


 追跡者の気配が近づいてくる。俺は呪印をさらに薄く広げて、感覚を研ぎ澄ませた。三人、足音がバラバラだ。連携が取れていない。素人に毛が生えた程度の冒険者だろう。


 俺は木々の間を縫うように走りながら、追跡者を撒く経路を計算した。


 背中でエリスが小さく「ごめんなさい」と言った。


 俺は答えなかった。


 助けると決めたわけじゃない。利用価値を見極めるまで、保留にしているだけだ。


 そう、自分に言い聞かせた。


 追跡者を撒くのに、三十分かかった。


 俺はエリスを村から離れた廃屋に連れ込んだ。かつて農具を保管していた小屋で、今は誰も使っていない。


 エリスの足の傷を確認した。深くはないが、走り回って悪化している。俺は持っていた水と布でざっと手当てをした。


「……なんで、助けてくれたの」


 エリスが小さな声で言った。


「まだ助けたとは言ってない」


「え」


「お前のことを何も知らない。何者で、なぜ追われていたか、俺の村に危害を加えるつもりがあるかどうか。全部聞いてから判断する」


 エリスは黙った。それから、ゆっくりと話し始めた。


 魔王城の近くにある村の出身。でも何かがおかしくて、ずっと逃げたかった。人間を食べることを「当たり前」だと思えなかった。ある日、村の仲間に食べ物を「用意しに行く」と言われてついて行ったら——それが人間の子供だったと知った。


 逃げた。


 そのまま、ひたすら逃げ続けた。


 俺は無表情で聞いていた。


 信じるかどうかは、まだわからない。でも一つだけ、気になることがあった。


「お前は食べなかったのか。人間を」


 エリスの体が、小さく揺れた。


「……わからない。子供の頃から、肉を食べていた。それが何の肉か、知らなかった。でも……たぶん」


 そこで言葉が止まった。


 エリスの目に、涙が溜まった。


「……たぶん、食べてた。知らないまま」


 俺は何も言わなかった。


 この子が嘘をついているかどうか、今の俺には判断できない。でも一つ確かなのは——この子が抱えているものは、本物の苦しみに見えた。


 俺は立ち上がって、小屋の隅を漁った。古い麻袋が積んであった。その中に、農作業用の幅広の帽子が一つ、埃をかぶって転がっていた。


 俺はそれを手に取って、エリスの頭に被せた。


 角が、すっぽりと隠れた。


「……え」


「外を歩くなら必要だろ」


 エリスは帽子の鍔を両手で押さえて、俺を見上げた。目がまだ赤かった。


「……ありがとう」


「礼はいらない。続きを聞く」


 俺は壁に背をもたれて腕を組んだ。


「お前の魔力量はどのくらいだ」


 エリスが少し驚いた顔をした。「なんで、そんなこと……」


「答えろ」


「……わからない。村の大人たちに、魔力が多すぎるって言われてた。制御できてないって」


 多すぎる。


 俺はその言葉を頭の中で転がした。


 魔族の子供が、制御できないほどの魔力を持っている。村を逃げ出してきた。しかも人間を食べることに抵抗を感じていた——他の魔族とは、明らかに何かが違う。


 この子は、普通の魔族じゃない。


 何者だ。


 俺にはまだわからなかった。でも一つだけ確かなことがあった。


 この子は、情報の塊だ。


 俺は壁から背を離した。


「今夜はここにいろ。明日、判断する」


「……判断って、何を」


「お前をどうするかだ」


 エリスが息を飲んだ。


 俺は小屋の入り口に立って、外の暗闇を見た。


 魔族だ。一度目の転生で俺を殺した連中と同じ種族。


 でも——魔族の全員が、生まれつきああだったとは思いたくない部分が、俺の中にある。


 思いたくないのに——どうしてそう思うんだ。


 俺は自分の感情が、少し信じられなかった。


 背後でエリスが、膝を抱えてうずくまる気配がした。


 帽子の鍔が下がって、隠れた角を覆うように、ちょうど目元まで落ちてきた。エリスは小さな手でそれを押さえて、暗闇の中でじっとしていた。


「……ねえ」


 小さな声が聞こえた。


「なんだ」


「あなたは、なんで逃げなかったの。私が魔族だって、わかったでしょ」


 俺は少し考えた。


 正直に言えば、逃げなかったんじゃなくて——殺すか保留にするかを計算していただけだ。感情で動いたわけじゃない。


 でもそれをそのまま言うのは、さすがに酷い気がした。


「……まだ判断してないと言っただろ」


 エリスが黙った。


 それから、小さく笑った気がした。暗くてよく見えなかったが。


「そっか」


 俺は答えなかった。


 外の暗闇を見張りながら、夜が明けるのを待った。


 脚に残った呪印の熱が、じわじわと冷めていった。


 なるほど、身体強化か。


 戦い方の幅が、また少し広がった気がした。

ここまで一気にお読みいただき、本当にありがとうございました!


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