5.お気に入り
翌朝、目覚めたのは昼前だった。起きて部屋を出るとすぐにローザがやって来て、状態を尋ねる。まだ眩暈や頭痛があるものの、ボスである以上、いつまでも寝込んでいられない。鎮痛剤だけもらって、僕は首領の執務室へ入った。
「ローザ、昨夜から何か動きはありましたか?」
「ええ。オクルスから使者が来て、双方のクランで今日の午後に会談をしたいと言ってきたわ。使者によると、オクルスのボスはうちと争いたいとは考えていないそうよ」
「それは良かったです。昨日、オクルスのボスがギフトを使うところを見ました。あのギフトはあまりに強力で危険です」
「ああ、<グレア>を見たのね。私も先代が使うところを見たことがあるわ。恐ろしい力よね」
「ええ。敵には回したくないです……。――それで、今夜の会談なんですが、」
ルイの言葉にローザは目を丸くした。
「まさか、あなた会談に行くつもり? まだ、自分がボスであることを隠すつもりなんでしょ? 私が代理として出席するつもりよ」
「ですが、重大な会談です。それに、オクルスのボスのあのギフトを目にしたら、護衛がいるとはいえローザに出席させるのは気が引けます。あのギフトに対抗できるのは、僕があなたから受け継いだ<フェリガ>のギフトくらいのものでしょう」
僕に押し切られる形で、ローザは僕とともにオルクスの邸へ向かうことになった。ローザはインフィニスのボスの代理。僕は彼女を護衛する戦闘員という形で、正体は明かさないことにする。僕らの会談への出席が決まると、事態は目まぐるしく動き出した。まずオクルスへ会談に出席する意向を伝える。それから、幹部会議を開いてオクルスのボスと話し合うべき事柄、譲歩してもいいライン、譲ってはならないラインの確認を行う。そうして夕方が近づくと、僕らは会談にふさわしい正装に着替えて、オクルス側が寄越した車に乗り込んだ。
ローザは黒いカクテルドレスに鳥のモチーフをあしらった真珠のネックレスを着けている。肩をあらわにする格好で、彼女の胸元から鎖骨、左肩にかけて羽根のタトゥがはっきりのぞいていた。それはただのタトゥではない。クランの首領クラスのギフトは非常に強力なので、外見的な影響が現われる。インフィニスのギフト<フェリガ>の場合は、身体のどこかに羽根のタトゥが浮かび上がるのだった。ローザはすでにギフトを僕に譲った後だが、一度、起きた身体的変化は消えることはない。つまり、彼女のデコルテに浮かび上がった羽根のタトゥは、そのまま彼女の権威を示すものだった。
僕はといえば、ローザの護衛ということになっているので、華美な格好はせず黒のスーツを着る。左耳にインフィニスの象徴である羽根モチーフ――蝶の片羽根のピアスを着ける。
「そういえば、オクルスの使者がルイにこれを、と言っていたわ」
ローザは小さな箱を取り出し、蓋を開けて僕に渡した。それは目の形のモチーフの装飾を施した銀のタイピンだった。目の光彩の部分にはブラックオパールがはめ込まれている。
「これ、かなり高価ですよね。どうしてオクルスが僕にこれを……?」
「正確に言うなら、インフィニスのボスとしてのあなたにではないわね。オクルスのボスから、指揮官に背中を取られたとき、助けようとしてくれたインフィニスの青年へお礼の品として、だそうよ」
「あの人、僕の動きに気づいてたんだ。僕の助けなんて必要なかったのに……律儀な人」
箱からタイピンを取り出して、明かりに透かしてみる。ブラックオパールの複雑な色合いは、丸眼鏡を外したときのユアンの瞳を思わせた。彼は親友に似ているけれど、名前も瞳の色も違う。
――ユアンはどうして、僕のかつての親友ではないんだろう……。
そんなどうしようもないことを惜しむ思考が浮かんできて、僕は慌ててそれを打ち消した。
「それにしても、すごいものをもらったわね。使者は、そのタイピンを着けていれば、オクルスの支配区域で危害を加えられることはないと言っていたわ」
「え、それって……ボスの庇護を示すってやつじゃないですか!」
クランの伝統として、ボスの日常的に使っているアクセサリー類を相手に与えることで、庇護を示すという慣習がある。分かりやすく言えば『ボスのお気に入り』を示すマーキングのようなものだ。おそらくこのタイピンはユアンが普段使いしていたもので、周囲の人間はそのことを知っているのだろう。
「気に入られちゃったのね。いいことじゃない」
「えー……。僕はインフィニスのボスですよ。むしろこのことが厄介事の種になりそう」
「まぁ、少なくとも今回、インフィニスの一構成員のふりをして会談についてくるなら、そのタイピンは便利だわ」
ローザの言うとおりだった。やや抵抗を感じながらも、僕はユアンから贈られたタイピンを着けて車に乗り込んだ。
迎えの車に乗り込んで、僕らはオクルスの支配区域内に入る。インフィニスの支配区域は、基本的には平和でのんびりした雰囲気だ。対して、車窓を流れていくオクルスの支配区域は少しピリピリした緊張感を覚える。オクルスは好戦的で、ときに他のクランに戦いを仕掛けることもあるから、住民は絶えず緊張の下にあるのだろう。
けれど。かつて僕が便利屋だった頃にはもっとピリついた雰囲気だったが、今は以前ほどではないようにも見える。街中の大きな建物には、少女の看板が飾られていた。確かあの建物は劇場だったはず。看板の少女はリュートが歌を聴きたがった『歌姫』なのかもしれない。
以前より街には明るい活気が感じられる。今のボスが多少は寛大なのか。それとも、ボスの権力が不安定で、雰囲気が弛緩しているのか。どっちだろうか、と考えているうちに、車はオクルスの邸に到着した。ローザがボスの代理、僕はただの護衛なので、彼女を守るような形で車を降りる。迎えに出てきたオクルスの幹部は、ローザと同年代で知り合いのようで、にこやかに挨拶を交わした。それから、ちらりと僕を――僕の胸元のタイピンを見る。
「ああ……。君がうちのボスのお気に入りか。初めまして」
「――僕はただの護衛ですが……。わざわざご挨拶をいただいて恐縮です」
「一介の構成員が、他クランのボスを守ろうとするなんて、前代未聞だからな。きっと将来、大物になるだろうと思ったまでさ」
幹部はそう答えて、ローザと僕を邸の中へ導いた。邸内はさすがに戦闘員が多いため、Domのダイナミクスの気配が常に漂っている。ボスの座を降りてから、ローザは医療系のギフトを積むようになったため、ダイナミクスがSubに傾いていた。
「あの、ローザさんは今、ギフトの関係でSubの性質が強くなっています。公正な会談というならば、どうかあまりDomのダイナミクスが強くない場所で……」僕は幹部にそう言った。
「ああ。もちろん、その点については配慮するし、ボスもダイナミクスで彼女を服従させるつもりはない。俺が言っても説得力がないだろうが、公正さについては、うちのボスは信用できる男だ」
幹部の言葉に、僕はユアンの顔を思い浮かべた。僕に『ありがとう』と言った声音、贈られてきたタイピン……彼は信用できる男だ。――いや、そうじゃない。信じたいと僕が思っている。親友に似ているとはいえ目の色の違う別人なのに、僕はユアンに惹かれているらしい。その気持ちを自覚して、戸惑う。
そのとき、ローザがにこやかに笑った。
「心配しないで。ダイナミクスがSubに傾いているとはいえ、私はそこらのDomに支配されるほど弱くはないわ。それはオクルスの人間にも知る者が多いと思うけど」
「そりゃあ、そうだ。インフィニスのボス・ローザといえば、うちの先代相手に戦ったことがあるくらいだからな」
幹部は親しげににやりと笑う。そのとき、部屋の扉が開かれてスーツ姿の男が入ってきた。間もなくボスが来ると先触れする。
「ここからは首領級同士の会談だ。悪いが、あんたも外へ出てもらう」
そう言われると、首領として来たわけではない僕は従うしかない。別に用意された応接間のようなところで待機していたが、だんだん邸に満ちているDomの気配で落ち着かない気分になりはじめた。僕もDomだからグレアで服従してしまうことはないが、常に神経を刺激されているような感覚に陥ってしまうのだ。今日はあまり体調がよくないため、負荷がいっそう大きい。




