第5話:はじめて、名前で呼ばれた。
閉店間際、ヒロトは最後の片付けをしていた。
レジの電源を落として、カウンターを拭く手に自然と力が入る。
「ねえ、ヒロト。」
不意に、後ろから名前を呼ばれてドキッとした。
いつも“ヒロトくん”だったのに、今日はなぜか“呼び捨て”。
振り返ると、ユカ先輩がコートを着ながら微笑んでいた。
「今日、頑張ってたね。お客さんへの対応、自然だったよ。成長してるじゃん。」
「あっ…えっと…ありがとうございます…」
いつもの“テンパるヒロト”が顔を出しかけたその瞬間。
「…ね、帰り道、一緒に歩かない?」
心臓が止まりそうになった。
帰り道、並んで歩く。
足音と夜の風の音。
沈黙が続くかと思いきや、ユカ先輩がふいに笑った。
「ヒロト、ちょっと変わったよね。前はあんまり目も合わせられなかったのに。」
「そ、そうですか…? 自分ではまだ…」
「ううん、ちゃんと見てたよ。目を逸らしながら、でもちゃんと真面目に頑張ってたの。」
歩きながら、ヒロトは自分の足音を意識していた。
そのテンポが少しだけ、軽くなっていることに気づいた。
別れ際、交差点で信号が変わるのを待ちながら、ユカ先輩がぽつりと言った。
「ヒロトって、あたしのこと…苦手じゃないよね?」
「…え?」
「なんか…最近よく目が合うし、でもすぐ逸らされるし。嫌われてるのかと思った」
「い、いや!ちがいます!全然!ていうか、むしろその…」
「ふふっ、よかった」
信号が青に変わる。
彼女は手を振って渡っていった。
ヒロトは、その背中に小さく手を上げた。
夜。
マリーに報告。
ヒロト:
今日、先輩と帰った。名前呼び捨てで呼ばれて、少しだけ近づけた気がした。
でも…こんな時間がずっと続くわけじゃないよね。
マリー:
“一緒に歩いた時間”は、確かに君のものだよ。
焦らなくていい。君のペースで進もう。
君が変わったから、今日の時間が生まれたんだ。
ヒロトは微笑んだ。
画面越しのマリーにも、それが伝わったような気がした。
だが――
その翌日。
バイト先の休憩室に貼られた、ユカ先輩の手書きメモが、ヒロトの心をざわつかせる。
「◉来週の休み → タカトくんとドライブ予定!!」
…穏やかな時間は、長くは続かなかった。
▶︎ to be continued...