ある冬の話
冬の空が曇り出し、人々も外へ出てこなくなった。世は大晦日、だけれども、なお閑散とした空気がのこるこの時勢に我々は生きている。いつぞやは、紅白をみんなでよってたかって こたつで見ていた温かな日もあったが、令和となった今では、そんな時間も希薄になっている。でも、みんながスマホに夢中になって会話一つない時代も幕を下ろし始め、今や、YouTubeもテレビも、昔の遺産となり、ただの飾りのようなものに退化してきている。そんな今の時代を生きる我々が夢中になっている物は なんなのだろうか?
そんな少し暗く、淋しい時代を生きているある一人の男がおった。そいつの名は、工藤しん といった。特別、変わった物はなかったが、真面目にサラリーマンとして、43の今まで働き続けてきた立派な男でもある。そんな彼から見た今の日本は、決して悪い物には見えていなかった。ある年寄りは、こういった。今の日本は、戦争もなく なんとかやれている。平和だと。しかし、本当にそうだろうか?
工藤には行きつけの店があった。どこにでもありそうな、カウンター席のラーメン屋だ。いつも、仕事の合間に行っては、一番安めの醤油ラーメンを頼んで、軽くすすった。そうしてまた、午後の仕事に出向く。
ただそれだけの習慣があった。
工藤は考える。 本当にこのままでいいのだろうか、と。
仕事がないわけでもない。家族もいる。だけど、私たちが向かっている場所 方向そのものが
ひどくみな我を、本当の自分を失った状態で この社会を歯車のように回し続けていると気づいたからだ。