無能の烙印
「おい、役立たず!」
駐屯地に響く鋭い怒号に辟易とした気分で振り返る。
この世界に召喚されてから、名前で呼ばれた事がない。
役立たず、無能、穀潰し。
そんな不名誉なあだ名が、今の私の名前らしい。
「お前さあ、なんでそんなに役立たずなの?」
剣の背を刀に当て、【Aランク勇者】の東堂が呆れた顔で私を罵る。
私の記憶が確かならば、彼は積極的に人に話しかける性分ではなかったはずだが、この世界に召喚されてからは高圧的に接してくる。
「ごめん、なるべく努力はしているんだけど……」
この世界では、まるでゲームのようにパラメーターが表示される。
スキル、魔力、補正値。
それらが勇者としての格に影響する。
東堂は、軍を一掃するほどの広範囲を攻撃できるスキルと高い魔力、それに異世界に来てから著しく上昇した補正値により、アスリートも顔負けの身体能力を持つ。
だからこそ、彼は最も高い【Aランク】に認定されている。
一方。
低い補正値、ほとんどないに等しい魔力に、使い所の不明なスキル。
与えられたのは、最底辺の【Eランク】。
それが私、湯浅奏だ。
「努力だけでどうにかできるなら、この状況もどうにかしてみせろよ!」
東堂の言葉を聞いたクラスメイトたちが、笑いを噛み殺す。
誰もが知っている。
私のスキルは、使い所がないという事を。
掌の中で転がる賽子を見下ろす。
私のスキルは『ダイスロール』。
一から六の目が刻まれたダイスを、魔力を消費して振るというスキル。
こんなスキルでは、怪我を負った仲間を癒やす事も、仲間を襲う魔物を退ける事もできない。
「……」
私の側を通り過ぎる、クラス委員長の邪答院。
いつも無表情ではあるが、私に対して憎悪の籠った視線を向ける。
誰も味方がいないという不快な状況だが、不思議と彼らを恨む気持ちはなかった。
魔王に対抗できるのは、異世界から召喚された勇者だけ。双肩に背負わされた重圧と、前線に送り込まれる命の危機を前にすれば、綺麗事だけ口にするのも難しいのだろう。
なにせ、ここは血と臓物に塗れた魔王軍と聖連合軍が衝突する最前線。
何千年もかけて戦が繰り広げられてきた聖魔最前線地帯だからだ。
「おい、さっさと飯を作れよ、役立たず!」
東堂の怒号に急かされるようにして、止めていた作業を再開する。
今の私に課せられた役割は、雑用係。
戦えないならせめて、できる範囲で貢献したい。
そう思って始めた事だ。
さすがに、一人で四十人分の食事を作るのはしんどいが。
疲労感にため息を吐いた、その時だった。
「てぇきしゅううううううっっっ!」
凄まじい怒号。
見張りを立てた、聖連合軍の兵士によるもの。
耳鳴りを伴うほどに鳴らされる警笛。
魔王軍による奇襲だ。
「あ?」
東堂が訝しむ声を出した。
その隣にいる【Bランク勇者】の西住香織が槍を抱え込みながら、片手で額を叩く。考え込む時の癖、らしい。
「昼間の小競り合いでかなり数を減らしたはず。ここで奇襲をかけても、返り討ちに遭うのは魔王軍も分かっているはず。なら、あいつらの狙いは……」
西住の言葉を遮るようにして、東堂が紡ぐ。
「俺たち『異世界の勇者』の暗殺に決まってんだろ。それも少数精鋭の、な」
東堂が言い終わるや、空から飛来物が落下する。
それは、凄まじい轟音と衝撃を放って、ようやく動きを止めた。
「△⬛︎◯%@」
濁音混じりの低い威圧的な声。
もうもうと立ち込める土煙の中から姿を表したのは、禍々しくとぐろを巻いた黒い角。
血のように赤い鱗に覆われた、巨大な皮膜を背に生やした二足歩行の化け物。
「は、ははっ……まさか、魔王軍幹部どころか、“公爵”が現れるとはな」
東堂の頬を汗が伝う。
魔王軍は、魔王を頂点としている。そこから傘下として『爵位持ち』と呼ばれる名持ちの魔族が連なる。その更に下、いわゆる兵士として魔物が集う。
その中でも“公爵”は、名持ちの魔族において最高位。
爵位持ちの魔族は、そのプライドの高さから、自ら戦場に姿を現す事はない。数千年の戦争の中でも、一度か二度、それも“男爵”などの位の低い魔族だった。
最高位の魔族が、自ら奇襲という形で聖連合軍の拠点に足を運んだ。つまり、それだけ『異世界の勇者』を危惧したという事になる。
万全とは言い難い状況、その中で実力も未知数の“公爵”に勇者たちが勝てるのか……?
邪魔にならないように、じりじりと距離を取る。
「あぁ?」
再び東堂が訝しむ。
既に勇者たちは戦闘の体勢に入っているにも関わらず、公爵は動く気配もない。
一人一人、勇者の顔を眺めているかのような、そんな気配を。
「はあ……」
深いため息。
それを発したのは、公爵だった。
「魔王陛下の予知が鈍ったか? この中に未知のスキルを持つ異世界の勇者がいるとは思えんな」
魔族が、人の言葉を喋った。
人を低俗と見下している魔族が、わざわざ人の言葉を使って喋っている。
「聞くところによれば、魔王陛下すらも恐れるスキルだというが……余の目を通して見る限り、お前たちの中に脅威となる者は見当たらん」
東堂ですら、伝い落ちる汗を拭えないようだった。
振り撒かれる魔力を用いた『威圧』。
動けば殺されるという、疑いようのない確信。
これまで殲滅してきた有象無象の魔物たちとは一線を画す存在感。
それ以上に、私を含む勇者たちの興味を引いたのは、『魔王すらも恐れる未知のスキル』。
未来予知の力を持つ魔王が、手駒の中でも最強を用いて派遣するほどに脅威を覚えるスキル。
それは、元の世界に帰りたいと切に願う私たちにとって、喉から手が出るほどに欲する代物。
東堂のスキルだろうか。
それとも、広範囲を癒やす西住?
戦況をひっくり返す邪答院も可能性はある。
だが、それなら。
何度も戦場で行使しているはずだから、顔もスキルも“公爵”は知っているはずだ。
配下を使わず、自らここへ来たのだから。
それなら、後衛の誰か?
あり得るかも。
製造系のスキルなら、『調合』だとか『創造』がある。
でも、そこまで戦局を左右するほどか?
まさか、私のスキル?
そりゃ確かに使い方すら私にも分からないけど。
……いやぁ、ないでしょ。
何回か使ったことあるけど、本当に何も起こらなかった。出る数もランダムみたいだったし。
「まあ、よい。ならば、皆殺しにするだけだ」
“公爵”の放った一言が、場を動かした。
「させるかぁっ!!」
“公爵”に斬りかかったのは、東堂だった。
剣を使う東堂に対して、公爵は素手だった。
「舐めプかよ、テメェ!?」
東堂の怒号に対して、公爵は興味がなさそうだった。腰に下げた大剣を使うつもりもないようで、相変わらず周りの勇者を観察している。
その血のように赤い双眸が、東堂を見る。
「お前ではないのは確かだ」
公爵が腕を払う。
軽い動作にも関わらず、東堂が吹き飛ばされた。
大量の血を吐いた後、がくりと崩れ落ちる。
【Aランク】の勇者が一撃でやられた。
「陛下曰く、かのスキルは既存のスキルとは何もかもが違うらしい」
公爵が翼をはためかせるだけで、放たれた魔法を全て風圧で撃ち落とした。
「余が思うに、予知に匹敵する類いのスキルであろう。ならば、そのスキルを持つ勇者を、余が喰らえば……」
公爵が指を鳴らす。
十五の火球が、ぐるりと公爵を取り囲む。
狙う先は、私たち勇者。
「魔王を越える事も可能というわけだ」
魔法だ。
スキルを持つ勇者たちであっても、苦戦を強いられる凶悪な攻撃。
防ぐには同等の魔力を費やした障壁が必要だ。
だが、十五個も防ぐ障壁は……。
他の勇者たちを見る。
昼間の戦闘で、ほとんどが怪我を負っている。
西住と目が合った。
公爵に遠く及ばない。
この場にいる誰もが理解していた。
西住が、その白く細い手を動かした。
声を出さない状況でも意思疎通する為に教えられた、手話を用いた暗号。
『北部三十キロメートルの遺跡に行け』
……つまり、私に公爵を引きつけろと命じている。
東堂は、私たち勇者の中で最も魔王討伐に近い。
公爵には負けたが、力を蓄えればいずれ成し遂げる存在。その他の勇者たちも、必要。
西住の決断を、恨む気持ちはなかった。
その立場にいれば誰もがそう考える。
公爵の求めるスキルとは真逆の、何の役にも立たないスキルを持つ私だからこそ、この局面で使える。
だから、私は味方に背を向けて駆け出した。