8
注文した食事と、アニスが「お礼に」といって奢ってくれたデザートまで食べても客足は途絶えることなくつづき、結局、アニスが二人と話せたのは昼下がりも過ぎた閉店後のことだった。
リズは入口の扉に「閉店」の札をかけると、ティアとマルク、そしてアニスが座る席へと戻ってきた。
リズはテラコッタ色のシャツの上から、エプロン状の袖のない、薄いベージュ色のワンピースを着ている。髪はオレンジ色で顎くらいの長さに切りそろえられており、勝気さが滲んだ表情とよく合っていた。全体のシルエットはふっくらとしていて―つまり、妊娠している。
「それで、バステクトの案内、だったよね?」
リズが戻ってくるのを待ち、アニスが会話を切り出した。
「ええ、初めて来る町だから、勝手が分からなくて。お願いできるかしら。」
「ええと、町をもう回ってみたりは……それもまだなのね。じゃあ、まずは地図からかな。」
アニスは席を立つと、紙とペンを持って戻ってきた。紙の真ん中に二本の線を引き、斜線で線の間を埋めていく。
「これが川ね。バステクトは川を中心にして町が広がっているの。川の両岸に一本ずつ大通りが走っていて、町全体を縦断してるわ。一番下流にあるのが、町の出入り口よ。町に入る時にくぐってきたでしょ? で、出入り口から大通り沿いにあるのが商業地区。この店があるのもこのエリアよ。商業地区の裏手には住宅街があって、そのさらに奥には畑とか牧場とか。畑のもっと奥にはもう山しかなくて、木の伐採とか、きのこを取りにいったりとかはあるけど、基本的にはここまでがバステクトの左右の端。こういう街並みが下流側の、えーと、3分の2くらいかな、まで続いてて、上流側3分の1は「中枢区」って言われてるわ。中枢区には病院とか工場とか、あと、役所とか、そういう町の大事な機能が集中してるエリアなの。中枢区のさらに上流はもうほとんど森になっていて、森の中に神殿があるくらいで他にはなにもないわ。で、上流側にも一応柵があって、それがバステクトの北端よ。」
はじめに描いた川を中心にして、説明しながら絵を描き足していく。町に入る前に上空から見た景色とも照らし合わせながら、バステクトの町の構造を把握していく。なるほど、アニスの説明は分かりやすい。
説明の最後の文言に反応し、ペン先を見下ろしていたティアは顔をあげた。
「神殿? どんな神様が祀られているの?」
「あ、神殿っていっても、宗教的なものじゃないの。単純に見た目がそれっぽいから私たちがそう呼んでるだけ。ごめんなさい、紛らわしかった。私も中に入ったことはないから詳しくは知らないけど、研究所らしいよ。」
「研究所?」
「そう、魔法の。こっちの地区でも魔法はある程度使うけど、中枢区には魔法を使う施設が集中してるの。病院が一番分かりやすいかな。色んな怪我や病気を魔法で治してくれるんだけど、そういった魔法は神殿で編み出されたものって聞いたことがあるわ。中枢区に住んでる人たちも、こっちの住民とはくらべものにならないくらいに魔力が多いの。」
「……魔法…?」
なんで、そんな言葉がここで出てくるのか。思わず顔が強張る。
「ティアのとこでは魔法は無かったか? 俺も使えるぜ、っつてもちょっと火を着けるくらいだけど。」
「アタシやアニスは魔法がてんでダメでね。ウチの人は結構魔力が強いんだけど。」
マルクやリズの夫は魔法を使えると言うが、そもそも、こんな時代に魔法なんてものがあるのがおかしい。
魔法とは、なにか。
魔法とは「魔力を動力源として、他のものに作用すること」である。
例えば車輪を回すのに使う動力源が「水力」なら川の流れを利用したものだし、「風力」であれば風を利用したものだし、「魔力」ならそれは魔法と呼ばれるものである。つまり魔力とはエネルギーの一つなのだ。
魔力が具体的な形を持ったものが塔の外に見渡す限り生えている水晶であり、原初の海であり、神々だ。
水晶はこの世界に最初からある魔力が凝って塊となったものだし、その水晶が砕かれてできた原初の海との違いは、液体か固体かでしかない。神々の体は、魔力そのものが意思と方向性を持ってカタチを取ったものだ。
体が魔力そのものでできている神々が魔法を使えるのは当然として、人間が魔法を使う場合は2つのパターンがある。
1つが、環境中にある魔力を利用する場合だ。塔の底に近い時代であれば、原初の海から魔力を含んだ蒸気が上がってきていたため、神の血を引かぬただの人間であっても、たわわに実る手近な果実をもぐが如く、誰でも魔法が使えていた。
もう1つは、人間が神と人間が交わってできた子、またはその子孫の場合だ。神の血を引いていれば、その身の内に魔力を宿すので当然魔法が使える。ただし、魔力の量は血の量に比例し、使える魔法の規模も神の血が薄まるごとに小さくなっていく。
時代が“上り”、原初の海の蒸気が届かぬほど扉が塔の底から離れると、大気中の魔力がなくなった。魔法は誰もが使えるものではなくなり、神の血を引く人間のみが使えるものとなった。このころからこうした人間は「魔法使い」と呼ばれ区別されるようになり、時には生まれ持った特権を振りかざしたり、あるいは土地の権力者に利用されたりした。
しかしいずれにせよ、果樹の持ち主がそれに実る果実を独占しているというのは、水車小屋の粉ひきの使用料を支払ったり、一部の森林資源を領主が独占したりするのと同じことであった。
要するに、魔法もまた、川や森と同様に特定の人間が専有する資源の一つでしかなかったのだ。ただ、魔法というものは汎用性が高く、魔力の大小に関わらず便利なものとして広く重用されてきた。
潮目が変わったのは蒸気機関が発明されてからだ。“誰でも使える” “安定した” “大きなエネルギー” である蒸気は、使用者が限られ、その能力もまちまちである魔法に比べてはるかに使い勝手がよかった。また、蒸気機関の発明を端に発展した各種技術は、これまで魔法でしか成し得なかったことを次々と“科学的に”実現させていった。
さらに、神の血を引かぬ人間と交配を重ねるごとに神の血は薄くなっていくため、世代を重ねるごとに使える魔法の規模は小さくなっていく。魔法使いたちの特権はこうして内外の要因から削られて行き、魔法は表舞台から姿を消したのである。
―というのが、ティアが知る魔法の歴史である。蒸気機関が普及したころですら魔法は過去の遺物となっていた。ティアはそのころから神々の領域から出ることがなくなったので直接は知るところではないが、人間はより大きなエネルギー、より便利な技術を求めたであろうことは容易に想像がつく。
だから、蒸気機関の発明から何百年もたったこの時代で、わずかに神の血を引いた人間がささやかな魔力を持っていることはあったとしても、魔法なんてものがコミュニティに堂々と根差しているのは、どう考えても不自然なのだ。
読んでいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になるなど思っていただけましたら
ブックマークや下の☆☆☆☆☆で評価してくださると嬉しいです。
励みになります。