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マルクは呆然と「ソールだったもの」が崩れていくのを見ていた。職員の話からすれば、魔石に流している魔力を止めてしまえば炎も消え、ソレも見えなくなるのだろう。だがマルクは目を離すことができなかった。
「あ……あぁ……。」
口から声がこぼれ落ちる。
自分たちの生活は誰かの死体と、それが崩れ行くのを眺める誰かの絶望の上に成り立っていた。
何もかも嫌になって逃げ出した先で突きつけられた真実に、言葉にならない声がこみ上げる。
「あぁ……あああ……!!」
その時、マルクの手元の魔石に、ピシリと音を立てて小さなヒビが入った。
大きな箱がありました。
嫌な気持ちは全部箱にしまってしまいましょう。
悲しみも苦悶も、憎しみも幻滅も、寂しさも後悔も、全部全部箱にしまってしまいましょう。
そうしたら見なくてもすむのです。自覚しなくてもすむのです。
そうしたらほんの少し、耐えられる時間が長くなるのです。
何柱もの神が、同じように箱にしまっていきました。
箱は大きかったので、まだまだ沢山しまえます。
何人もの人が、同じように箱にしまっていきました。
箱は大きかったので、沢山のものをしまえます。
そうして何百年も過ぎました。
けれどもどんなに大きな箱だって
いつかは溢れてしまうのです。
マルクの手元に入ったヒビはピキピキと音を立てて見る間に広がり、部屋全体に広がるころには大きな音を立て始め、やがて轟音を立てて神殿を出て地面を割り始めた。
「……!?」
始めは小さかった揺れはすぐに立っていられないほどの揺れとなり、睨みあっていたティアと職員たちは皆揃ってよろめいた。
「地震!?」
「あ、あれは!?」
窓の方を向いていた職員が驚愕に叫ぶ。よろめきながら外を見ると、地面がパズルのように割れ轟音と共に壁のような土煙をあげていた。
(もうダメ、この世界は崩壊する!)
ティアは敏感に終わりを悟った。そこからの行動はもはや本能だった。
床に這いつくばりながら呆然と地面が割れていくのを見ている職員たちを尻目に身を翻し、揺れに足を取られながら近づいた剣のオブジェに手をかける。気付いた職員が声をかける間もなく、それを自らの左手首に振り降ろした。激痛に叫んだはずだが、その声は崩壊の音にかき消えた。
勢いのまま割れた窓からバルコニーに飛び出した。侵食の鎖ごと左手首を切り離した痛みで、ようやく使えるようになった魔力もうまくコントロールすることができない。それでも右手に魔力を集中させ、走りながら振りかぶる。ティアを追いかけて窓から転がり出てきた数人の職員は、崩れたバルコニーと共に地上へと落ちていった。揺れと亀裂はますます大きくなって、バステクトの街を飲み込んでいく。込めた魔力の大きさも分からないまま乱暴に魔力を空に投げ、無理矢理扉の中と塔の内側との距離を「崩壊」させた。塔の内側へと続く裂け目が空中にできる。崩れゆくバルコニーを足場に跳躍し、ティアは裂け目に飛び込んだ。
いつの間にかティアの姿はイシュヴァのものに戻っていた。
侵食されさらに左手首を切り落としただけでも負担がかかっていたのに、その状態で無理やり塔の内側への入口を開いたものだから、魔力はすっからかんだ。
瞬きする気力もないまま、背中から神々の領域に向かって落ちていく。落ち行くイシュヴァを追うように塔に亀裂が走り、そして亀裂の後を追うように塔の先から崩れていく。
最も新しい時代の扉に入っていたヒビ。
その時代に原因があると思って調べていたけれど、そうじゃなかった。
長い間蓄積した神々や人間たちの苦しみが積もり積もって、あの時代に限界を迎えただけだった。
やっと原因が分かったけれど、塔の崩壊が起こってからではもう遅い。
間に合わなかった。
深い無力感で指一本動かすこともできないまま、イシュヴァは自分を追いかけてくる塔の崩壊を見ながら落下していく。
ふと、背中に魔力を感じた。
空っぽだった魔力が満ちていき、失った手首も少しずつ形を取り戻していく。
魔力が原初の海から立ち上るところまで落ちてきたのだ。
指に、手に、腕に、目に、頭に少しずつ力が入る。
心臓が痛いくらいに回り出す。
そうだ、ウルヴァルドがつくった世界を守るため、自分にはできることがまだある。
私は崩壊の女神。崩壊だって、崩壊させてみせる―!
「あ、ああああ、あああああああああ―!!!!」
自分の体全部の魔力を右手に乗せて、伸びてくる亀裂の先に円を書くように解き放った。すさまじい爆音とともに塔が輪切りにされる。塔の割れてしまった部分を切り捨てたのだ。
塔はだいぶ低くなってしまったけれど、これでウルヴァルドが築いてきた世界が完全に崩壊することは防ぐことができた。亀裂がもう伸びてこないことを見届け、全身全霊をかけたイシュヴァはついに気を失い、そのまま原初の海に向かって落ちていった。
塔の底、神々の領域。
ウルヴァルドは創世の時から変わらず、レンガを積み時間を進めていた。
多くの神々がいなくなっても、イシュヴァがいなくなって一人ぼっちになっても、それは変わらない。変えられない。
変わったとすればウルヴァルドの表情だ。イシュヴァがいたころは真摯に向き合っていたこの仕事に、今は心を込めることができないでいた。ただ黙々と、機械のように手を動かしている彼の目には何も映っていなかった。
と、遥か頭上からドォン……というくぐもった音が聞こえてきた。聞いたことのない音に思わず顔を見上げる。その顔にはらはらとレンガの欠片が降り注ぐ。それはまるで、降り積もる白い雪のように―。
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