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「わっ……と、悪い」
「! ごめんなさい」
同時に謝りながらイシュヴァは顔を見上げ、男は目線を下げた。
男はイシュヴァの顔を見ると目を見開き、言葉を失っていた。呼吸どころか時間が止まったように動かなくなり、吸い込まれるようにイシュヴァを見つめていた。
……もしかして、私の格好はどこかおかしかったのだろうか? だとしたら早急にここを立ち去り、もっと住人を観察して格好を変えてきた方がいいかもしれない。
「……あの…?」
「……! あ、ああ、悪い。怪我はなかったか?」
不安に駆られたイシュヴァが恐る恐るかけた声で、男は息を吹き返したようだ。
「ええ、大丈夫。ぶつかって申し訳なかったわ。あなたも平気だったかしら」
「俺も大丈夫だ。」
「それじゃ…」
「ちょ、ちょっと待て、あんた、移民か? このへんじゃ見かけない雰囲気だからさ。」
立ち去ろうとしたイシュヴァを男が引き留めた。
さきほどまじまじと見られていたのは町の住民か否かを考えていたからだろう、と納得し、自分の格好が不審者のそれというわけでは無さそうだ、と判断したイシュヴァは、その一点については安心した。しかし、男に身分を問われ、新たな懸念ができてしまった。
しまった、自分の立場をどう名乗るのか考えていなかった。
長らく人間との交流なんてしていなかったせいか、どうにも要領が悪い。
イシュヴァは苦虫を嚙み潰したような顔をしたくなったが、それはこらえて少し不安そうな表情を残したまま、相手の話に乗ることにした。
「ええ、そんなところよ。……この町では、移民は歓迎されないかしら?」
違う場所からやってきた、という意味では、移民と言えなくもないだろう、多分。
「いや、そんなことはない。あんまり数は多くないが、どっかから移ってきた人もちゃんと暮らしてるぜ。あんたはどっから来たんだ?」
「……ええと…」
「ん? あー、説明が難しいか。町の外はどこも似たような風景ばっかだし、ちゃんとした道もないしな。どうせ町の名前なんか聞いても分からないし。」
実際のところはイシュヴァが説明できない場所から来たからなのだが、同じように説明に口ごもる人々がいたのだろう。男が勝手に誤解してくれているのに有難く便乗することにした。
「一応、俺たちはこの町を “バステクト” と呼んでる。聞いたことはあるか?」
「いいえ、この町のことは知らなかったわ。どこか集落がないかとあてどなく彷徨っていたらここを見つけたの。」
「そっか、じゃあますます聞いても分かんないな。よし、良かったら町を案内するぜ! ああ、警戒しなくても良いからな、俺は保安調査隊……っつても通じないか、警察みたいな公的組織のメンバーだ。歩いてたらそのうち俺と同じ制服を着てるやつが見つかるだろう。俺はマルク。あんた、名前は?」
「ティアよ。案内してくれるなら助かるわ。」
「ティアか、よろしくな!」
“イシュヴァ”の名が神話として伝わっている可能性もあったので、念のため偽名を名乗った。
マルクは人なつっこい、歯が見えるニッとした笑顔で名乗った。マルクはイシュヴァことティアよりも頭一つ半ほど高いくらいの身長で、茶色がかった短髪と、軽く日に焼けた肌が健康的な印象をつくっていた。鳶色の丸い目と大きい口は顔を若々しい造形にしており、実際どうかは分からないが、「弟分」という言葉がしっくりくる。一方肩幅は相応に広く、おそらく簡易的な防具である丸首のベストのようなものの下に着た、首が高い半袖のシャツから覗く上腕は、うっすらと筋肉の形が見えるくらいには鍛えられているようだ。
こげ茶のズボンの腰にはがっちりとした革ベルトと道具入れが付けられていて、これは仕事道具か何かを携えているのだろう。公的組織に属しているという情報と見た目から、歳は20代前半といったところだろうか。
「んで、ティア、どこに行きたい?」
「え? えぇ……何があるのか分からないのだけど……」
「それもそうか。じゃあ、えーと、質問はあるか?」
「えっ。それじゃあ……バステクトは何が有名なの? 特産品とか、この町の独自のものとか。」
「うーん、特産品はないな。他の町との交流がないから。独自のものかぁ。俺が他の町を知らないからよく分からんが、外から来たやつの話だと、メシが多くて旨いらしい。」
「ご飯が美味しいのは良いことね……。」
「そうだな!」
「…………」
「…………」
マルクに案内をお願いしたのは失敗だったようだ。全くバステクトの全容が見えてこない。言葉を失った私につられて、マルクも押し黙ってしまった。気まずい。
「ははは! 悪い悪い、俺じゃうまく説明できないみたいだ。案内するって言ったのにカッコ悪いな。代わりと言っちゃなんだが、そういう案内とか説明がうまいやつのところに連れてってやるよ!」
マルクは自分の説明ベタに大きな口で笑いながら、きまり悪そうに後頭部を掻く。ティアはマルクが道を進むのについていった。
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