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憂鬱な気持ちを抱えたまま、マルクは所属する部隊の詰所へと向かった。
詰所は屋上のある三階建ての建物で、屋上は見張り台を兼ねている。三階部分は仮眠室、二階部分は様々な備品や武器の保管庫として使われていて、一階が集合場所や休憩や会議など多目的スペースとして使われている。だだっ広い部屋にいくつかのテーブルと椅子が並んでいるだけの無骨な場所だが、特に朝は仕事の前に朝食やお茶を飲みながら駄弁ったり、昨夜からの引き継ぎをしていたりと賑やかなのだ。マルクも普段は買ってきたパンを食べながら同僚と話すことが多く、よく寝癖をからかわれていた。
「おはよう―……って、あれ?」
マルクが入った瞬間和やかだった部屋は静まりかえり、多数の白い目がマルクに突き刺さった。少し前までは失恋に落ち込んで同僚たちを遠ざけていたし、ソールのことがあってからは隊全体が鎮痛な雰囲気に包まれていたから、ここしばらくは和やかに朝の時間を共に過ごすということはなかった。
だが、こんな視線を向けられることはなかった。
居心地の悪い思いに少し冷や汗をかきながら、一番近くにいた同僚に声をかける。
「おはよう、なあ……」
「悪い、トイレ行くわ。」
声をかけた同僚は目を合わせることもなく立ち上がり、マルクの横を通って退室する。あからさまに避けられた。こんなことは初めてだ。
動揺しながら周りを見ても、他の同僚たちもサッと目を逸らしたり、数人で固まってヒソヒソと話ながらマルクの方を伺っていたりと、部屋は異様な空気に包まれている。
「なんなんだよ……。」
たじろぎながらも職場から出ていくわけにもいかず、仕方なく逃げるように誰もいない部屋の隅に行って小さくなり、仕事が始まるのを待った。
程なくして仕事を取りまとめている部隊長が書類を小脇に抱えながら詰所に入ってきた。
「なんだ、やけに静かだな……って、ああ。」
チラ、とマルクを一瞥すると異様な雰囲気の理由を察したようだったが、さりとてそれをどうにかしようという意志はないようで、まるでマルクなどいないように視線を戻し、今日の持ち場や連絡事項を隊員たちに伝達し始めた。
マルクの本日の持ち場は街中の巡回だ。巡回は二人組で行われる。ペアになった隊員は舌打ちでもしそうな顔でマルクをチラと見たあとは言葉を交わすこともなくスタスタと持ち場へ向かってしまう。
任務中もそういった具合で、本当に必要最低限の義務的な会話以外はせず、目を合わせることもない。隊員のみならず一部の顔見知りの住民も同じような態度でマルクに接するか、マルクなど存在しないかのように振る舞うかのどちらかだった。
針のむしろに座るような長い長い午前中の任務が終わり、昼休憩の時間となった。
マルクは詰所のすぐ裏の通りへとやってきた。この通りにはところどころベンチが置いてあるのだが、建物に囲まれて陽が当たらずじめじめしているため、使われているのをあまり見かけることはなかった。マルクだって普段は見向きもしないが、休み時間まで周囲から向けられる視線に晒されたくなく、逃げるようにしてここにやってきたのだった。
「なんなんだよ、一体……。」
独りごちながら、買ってきた昼食の紙袋に手を突っ込む。この昼食だって、買った時に店主から投げるように手渡された。その光景を思い出すと、いつもは美味しくていつの間にか食べ終わっているサンドイッチも、まるで粘土を食べているような気になってくる。
「………あ。」
うつむきながらモゴモゴと咀嚼していると、上から小さな声が降ってきた。思わず顔を上げると、部隊のなかでも特に仲の良い同僚が一人立ちすくんでいた。
お互いに向き合って動きもしない時間が数秒続いた。その数秒がやたら長く感じる。
「……お、おぅ。」
沈黙に耐えきれなくなったマルクは気の抜けた挨拶未満をした。同僚はほんの少したじろぐと、さっと周囲に人の気配がないのを確認すると、はぁ〜……と大きなため息とともに後頭部をボリボリとかき、改めてマルクに向き合った。そしてドカッとマルクの隣に腰掛けると、こう切り出したのだった。
「なぁ、アニスちゃんのことなんだけど。」
いきなりアニスのことが出てきて少し面食らったが、それも仕方ないことだろう、とマルクは思い直した。なにしろアニスの靴が見つかったという情報が伝わってから、一日しか経っていない。見つかったのは未だ靴だけではあるが、部屋の状況と合わせると、アニスの安否について下手に希望を持つ方が却って残酷というものだった。
「あぁ、びっくりしたよ。ほんの少し前まで元気だったのに……。」
「……それだけか?」
「さすがにショックだよ。割と仲良かったと思うし。悲しいっていうよりは、今はまだ現実感がないっていうかさ……。」
「そうじゃなくて……お前、アニスちゃんと何かあったんじゃないのか?」
「なにかって……あ。」
今朝リズに言われたことを思い出した。アニスは自分を好きだったと。
そのアニスに対して、自分はティアが好きだと、無遠慮に宣言したのではなかったか。
「なにかあったんだな。」
同僚が声を低め、マルクにじろりと視線を向けてくる。はっきりとマルクを責める視線だ。
「俺、最近移住してきた移民の子が好きでさ、アニスにはそのことを伝えたんだ。……今朝、リズからアニスは俺が好きだったって聞いて……今思えばアニスには悪いことしたな……。」
「はぁ? 今朝聞いたって……お前本気で言ってるのか?」
「アニスが俺のこと好きだなんて本当に知らなかったんだよ!なんだってそんなにアニスのこと聞いてくるんだよ。」
そこまで言ったとき、恐ろしい可能性がマルクの頭をよぎった。
「まさか、みんな俺がアニスを傷付けるようなことをしたからこんなことになったと思ってるのか!?」
同僚は大きなため息をつきながら、侮蔑を多分に含んだ視線をマルクに送ってきた。
「そうだよ。店は繁盛してて、友達付き合いも良好。自殺する理由でパッと思い付くのは色恋沙汰だろ。お前、本当に気付かなかったのか? あんだけ一緒に飯食っててさ。」
「あ、あれはアニスが店に出すメニューを試食してくれって!」
「そんなの建前だろ。お前、試食を頼まれるような美食家か? 大体のモノ旨いっつってバクバク食べてるじゃねぇか。そんなヤツに試食を頼むなんて誘う口実以外の何物でもないだろ。」
「……。」
「その気もないのにそういう誘いにはしっかり乗って、アニスちゃんにとっちゃ期待して良いのか悪いのか宙ぶらりんな状態だろ。そういうのって結構酷な話だと思うぜ。」
「……俺、本当に気が付かなくて……。」
「お前が嘘ついてるようには見えないよ。けど、悪いけど、半信半疑だわ。んじゃ、もういい時間だし行くわ。じゃな。」
同僚は振り返ることもなくさっさと立ち去っていった。手には食べかけのサンドイッチ。そのサンドイッチを食べる気力などなく、マルクは銅像のように固まっていた。
―俺がアニスを追い詰めたのか……?
マルクに対する風当たりは、リズが入院したことでさらに強くなった。マルクの仕事へのやる気はどんどん失せていき、ミスが多くなるとますます風当たりが強くなる悪循環へと陥っていく。
親友のソールは死に、そのほかの友人も離れていき、仕事へのやる気はすでになく、好いた女からは振られ、好かれた女への罪悪感で押しつぶされそうになる。
「どこか、遠くに行ってしまいたい……。」
普通であれば叶えられないこの願望を、少しながらも魔力を持つマルクには叶える方法が現実にあったのだ。
マルクは神殿に入ることを志願した。
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