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「ただいまー。長い時間空けちまって悪かったね。」
予定よりも少し早い時間にリズは帰宅した。手には実家から持ち帰った様々なものが詰まった袋を下げている。
予定よりも早い帰宅にソールは内心焦った。さっと家の中を見渡し、午前中の自分の行動を思い返す。
―大丈夫だ、一通り片付けはしたはずだ。
動揺を気取られないように「どうだった」などと定型の会話をし、リズの荷物を受け取り、指示に従って荷物をしまう。戸棚に向かっている間はリズに対して背を向けられるのがありがたかった。それもあっという間に終わってしまう。リズに相対していたくなくて、お茶でも飲むか、と声をかけた。
「なんだい、今日に限って気が利くね。……さては、なにか後ろ暗いことでもあるのかい?」
思わず息が止まる。
「別に、そんなことはないが。」
返答の声は裏返ってはいなかったろうか。いつも通りの調子で言えただろうか。
「さては……昨日、酒でも飲んだね?」
「……バレたか。」
酒を飲んだことは嘘ではない。嘘を言わなくて済んだことにすら救いを感じた。
「はは、いいさ、アタシが妊娠してから全然飲んでなかったろ? たまにはゆっくり飲みなよ、生まれたら酒なんて飲んでらんないだろうしね。」
「……そうだな。」
自分の心臓の存在を痛いほどに感じる。この空間はあまりにも居心地が悪くて、呼吸の仕方すらも忘れてしまいそうだ。
「隊長! お休みのところ申し訳ありません! ちょっと緊急でして―。」
店に飛び込んできた部下の大声で、ソールはやっと心臓から意識を手放すことができた。
「なんだ? リズ、悪いが……。」
「ああ、お疲れ様。行っといで。」
ソールは生まれて初めて、仕事を有難いと思った。すばやく踵を返すと、いつもにも増して足早に職場へと向かっていった。
それから暫くの間、ソールは家庭から離れようと仕事に逃げた。逃げたは良いものの集中できるわけもなく、数日間でミスを連発していた。会議中に話を聞いておらずトンチンカンな受け答えをしたり、必要な装備を忘れたり、シフトを忘れたりと散々だった。ミスが続くだけでなく、溜息ばかりでぼんやりとしていることも多かった。そうしたソールの様子に、隊員たちは心配して声をかけるものの「なんでもない」と語ろうとはせず、ただ見守るしかできないでいた。
自分のミスの後始末もあり、ソールはこのところ毎日のように職場に残り、帰宅時間が遅くなっていた。リズも心配はしていたが、仕事だと言われてしまえばどうしようもない。
ソールはリズと、リズの大きくなったお腹を見るのが辛かったのだ。
おれはリズを最低の形で裏切った。純粋に子の誕生を望み愛おしそうに腹を撫でるリズを見ると、自分が汚い人間であることを突き付けられているようで、とてもじゃないが居られない―。
同時に、自らの過ちに向き合うことから逃げている、という事実もまた辛かった。なんといってもリズは身重なのだ。どんなに順調でも、いつなにが起こるか分からないのが妊娠だ。リズだって平気そうにしていても不安がない訳がない。そんな妻を身勝手な理由で一人にしてしまっていることで罪悪感は更に増した。
リズと顔を合わせるのも辛い。顔を合わせないようにするのも辛い。
ソールの精神は摩耗していた。
とはいえ、なんの理由もなく残業をしていた訳ではない。ここ最近は保安調査隊の仕事が増えていた。ティアが謹慎となってから、あの害獣が再び住人を襲いはじめたのだ。隊内に多少なりともあったティアを疑う声はこれで消えはしたものの、中枢区に行くことが濃厚となっているティアが隊に戻ってくる可能性は低い。そうなると、また毎日獣へ魔力を与えてほしいとは頼めない。
魔力を多く持つ隊員を中心に害獣への対処、つまりティアがやっていたように魔力を渡して満腹にさせることで被害を抑制しようとはしているのだが、束になってもティア一人の魔力には敵わないようで、なかなか被害はなくならなかった。それでも何もしないわけには行かず、魔力量が多いソールは頻繁に呼び出されていたのだった。
今日もまた、夕暮れ時に差し掛かろうかという時間になって害獣が町のすぐ近くで目撃され、緊急招集がかかった。精神的な要因が大きいソールは置いておいても、他の隊員も目に隈ができたり肌艶がなくなっていたりと、疲れ切った様子でのそのそと集合場所へ集まってきていた。
「パパぁぁあーーー!!!」
最後の隊員が、子供の泣き叫ぶ声と共にやってきた。家族とともに出かけているときに招集されたようで、お出かけは中断、そしてパパが仕事に行くと聞いた幼い子供が、行かせたくないと必死の形相で泣き縋っているのだ。
父親の隊員はなんとか宥めようと今度〇〇に行こうと子供の頭を撫でつつ、集まっていた他の隊員たちに頭を下げているし、数歩後ろからやっと追いついてきた母親は◯◯ちゃんパパお仕事だから、お見送りしようね、となんとか言い聞かせようとしている。
当事者の隊員と母親は大変だろうが、実に微笑ましい光景である。日が傾ききる直前の、黄金色の光に照らされた愛情溢れる家族の姿は、まるで演劇のワンシーンのように印象的なものだった。
この光景で、自分たちの仕事はこうした家族の日常を守るためのものなのだと、士気が上がった隊員も多かった。厭戦的だった隊の雰囲気はふ、と和らぎ、肩の力も程よく抜けた良い雰囲気で町を出発した。
森の中に入ったあとは集中力をもって害獣の捜索にあたる。今日は保安調査隊が所持している魔力砲のうち、持ち出せる範囲で最大のものを持ってきていた。魔力砲の威力とはすなわち魔石に溜め込んだ魔力の量である。このために保安調査隊総出で魔力を篭めてきた。あとはこれを害獣に当てるだけである。相手に気付かれず、魔力砲の射程圏内に入るため可能な限り物音を立てず、静かに森の中を進んでいった。
こういう状況では、意識は自分の内面に向きがちである。
心身共に疲れ切っていたソールは特にそうだった。
木々の影から害獣が放つ黄金色の光を見た時、同じ色の光に照らされていた、集合場所で見た親子の姿が鮮明に思い出された。
それは、いつか当たり前に自分もそうなれると思っていた光景。けれど汚い自分は、きっとあんなふうに、混じりけなしの愛情を、我が子に注いでやることはできないんだろう。
ソールは自分の手で壊したものの尊さをまざまざと見せ付けられたのだと自覚し、そして呆然として―
「隊長!!!」
気がつけば目の前に害獣がいて、ソールはあっと言う間に半身を喰われていた。
倒れ込んだソールを再び喰おうとする害獣に、それを携行していた隊員が至近距離から魔力砲を撃ち込む。もんどり打って倒れた害獣は、しかしそれで “満腹” となったのか、やっとか、と言うように息を吐くと森の中へと消えていった。
―騒いでいる隊員たちの声も、だんだんと小さくなっていく。
誰かが近くで、大声で自分を呼んでいるような気もするが、視界はぼやけて顔は分からない。
最後に浮かんだのはリズと腹の子。
震えながらほんの少しだけ、片方しか無くなった手を浮かせ、そしてその手はどこに届くともなく、すぐに地面に戻っていった。
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