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久しぶりのこちらの世界の鮮やかさにくらくらする。
イシュヴァはまず、この扉の中がどのような状態であるのかを上空を飛んで確認することにした。眼下に広がるのはどこまでも広がる森林だった。飛行を続けていると、時折湿地や禿山―おそらく火山から有毒ガスが出ているのだろう―といった地形の変化は見られるが、基本的に地表は深い緑に覆われていた。
……おかしい。
人間は歴史に登場して以降、その数を増やし続けていたはずだ。イシュヴァが最後に扉の中を訪れたのは随分昔のことだったが、その時点でも生息域を広げ続けており、いずれ人間が地表を覆いつくしてしまうのではないかと不安になったほどだった。
にもかかわらず、最先端の扉の中で、人間の息遣いを未だ感じないのはどういうことなのだろうか。もしかして、なにかの理由で地下に住んでいるのかしら。上空からの確認を一旦諦め、一度森に降りてみることにした。
降り立った森は大木とまではいかないものの、それなりの高さがある広葉樹が並んでいた。頭上から降り注ぐ木漏れ日は明るく、足元には灌木や草花が生い茂る。落葉や草木で歩きにくいため、イシュヴァは地面から少し高い空間上を歩くことにした。
……やっぱり、おかしい。
何かを見つけられないかとしばらく散策してみたものの、人間どころかその生活の痕跡すら見つけられなかった。そればかりか、森そのものだっておかしい。イシュヴァが知る森とは、生に満ちた場所だった。実際に姿形や鳴き声があるかどうかは別として、森とは何らかの生命の気配を四方から感じる、そういう場所のはずだ。
今、イシュヴァがいるのは見た目にはなんの変哲もない美しい森だった。だが、何かに脅えているように、生物たちが己の気配を必死で隠そうとしているような不気味さを感じる。
なんなんだ。一体どうなっている。
苛立ちながらもまたしばらく歩いていると、川の水音が聞こえてきた。川沿いに何かあるかもしれない。
水音を頼りに川を見つけ、そのまま川の上流を目指して進んだ。やがて森を抜け、わずかな草地に出て少し歩いたところで、ようやく人間の集落が見えてきた。人間の二倍ほどの高さがある、丸太を並べて建てたような塀と、それをくりぬいて作った跳ね上げ式の門扉がある。どうやらイシュヴァは集落の出入り口の正面にいるようだった。守衛はいるものの緊張した様子もなく、時には同僚と談笑すらしている。門扉も開いていて、出入りが咎められそうな雰囲気もなかったが、出入り口の周辺には守衛のほかに人影はなかった。どうやら、交通が盛んな場所ではないらしい。開いた門扉からは集落の中まで詳しく見ることはできなかったので、様子を見るためにイシュヴァは再び空へ向かった。
集落はおよそ南北の方向に縦に長く、東西を山地に挟まれていて、集落の少し南側に尾根の端が位置する。先ほど見た出入口は、東西の山地の距離が狭まっているところに作られている。集落の中心部をそれほど大きくはない川が縦断しており、住居などの建物はその川沿いに集中している。建物がまばらになってくる外縁部には畑がある。川に運ばれてきた土砂が堆積してできた、山間の平地を利用した町なのだろう。建物の数などを見るに、集落というよりは町と言っていい規模だ。町中にはかなり多くの樹木が植えられていて、上空高くから見ると鬱蒼とした印象だ。こちらに来た直後、上空から探してもここを見つけられなかったのはこのためか、とイシュヴァは納得した。それにしても、随分と用心深い町の作りだと思う。所謂自然の要塞といった地形だ。何かに備えているのだろうか。
他に手がかりもないし、まずはこの町から調べていこう。
村に入る前に、イシュヴァは姿を目立たないものに変えた。
特に、青く光る目と髪の毛先の色は人間にはないものなので、どうにかしないと怪しまれてしまうし、露出が多い今の格好も、市井に紛れるには目立ちすぎる。
木々の間から町の人々を参照し、目はオリーブ色に、髪は全体を黒くして低い位置に軽くまとめ、肌の色は小麦色程度に調整した。服装はスカートがストンと落ちるシンプルなワンピースに、フード付きのケープを合わせた。
多分、これで大丈夫。
若干の不安を抱えつつも、町はずれの人気がないところに降り立つと、何食わぬ顔で中央通りの雑踏へ紛れていった。
中央通りは川の両岸にそれぞれ通っていて、真ん中の川にも頻繁に橋がかかっており、左右の通り同士の行き来には困らない。道幅は人が4~5人並んでもまだ余裕があるくらいで、2本の通りと川幅全体ではかなり広々とした空間になっていた。道にはテントを連ねた出店が並んでいて、売り物を見ると野菜、肉やその加工品、衣服など、生活に必要なものが大半を占めているが、時折装飾品なども見られ、そうした出店には若い女性が数人群がっていた。中には軽食を提供するところもあり、周辺には簡単な席が用意されているか、立ち食いでささっと済ませてしまうようだ。
往来の人々の大半はこの市場を目的として来ているようで、通りは活気にあふれていた。町全体を見たわけではないが、少なくともこの町が困窮しているようには見えない。
移動手段は徒歩がメインのようだ。時折歩行者をよけながら車らしきものが通っていったり、通りから離れた町の向こうには列車も走っていたりはするが、その数はあまり多くない。
イシュヴァは蒸気で動く車や汽車を以前見たことがあったが、今この町に走るそれらは煙突から煙を吐き出していなかった。どんな動力が使われているのだろうか。
イシュヴァは蒸気機関が発明されて少しあとの時代から、扉の向こうに行くのをやめてしまったため、その後どのように人間たちが技術を進歩していったのかは知らなかった。現在走る車や列車は、あの頃の「中身が剥き出し」といった形からは随分とかけ離れ、「車輪のついた丸みのある箱」という姿になっているのを見て、こんなふうに変わるものかと、内心驚いていた。
そんなふうに周囲をきょろきょろと見て歩いていたからだろうか、向こうから歩いてきた若い男と思い切りぶつかってしまった。
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