47
いつの間にか陽は落ちて、窓から光は射し込まなくなっていた。
ラ・カンテの店内も暗くなり、ソールとアニスの周りだけが点けられた明かりによって薄黄色に浮かびあがっている。
アニスの前にはソールが淹れた何杯目かの温かいお茶と、くしゃくしゃのちり紙が山と積まれていた。アニスは耳に抜けそうなほど力強く鼻をかんで口で大きく息を吸って、そして吐いて、お茶をぐびぐびと飲んで、ようやく落ち着きを取り戻した。
少しだけ冷静さを取り戻すと自らの醜態にバツが悪くなったのかそそくさとちり紙を捨て、苦笑いをソールへ向けた。
「いきなり取り乱してごめんなさい、リズに聞いて貰いたくて来たんだけど、実家の片付けに行ってるなんて知らなくて。」
平静を取り繕ってはいるものの、鼻先は赤く、目は潤んで明かりを乱反射している。手は膝の上で固く握られ、辛いのを我慢しているのが透けて見えた。
その様子に、ソールの庇護欲が掻き立てられる。
「こどもが産まれる前に処分できるものは処分したいって言ってたからな。今日は一人でじっくり片付けたいとかでおれは留守番だ。―どうだ、少しは落ち着いたか?」
「う……。ちょっとは落ち着いたけど……気を抜くと泣きそう。」
「そうか。そういう時は酒でも飲みながら思いっ切り泣き言を言っちまった方がスッキリするだろ。ほれ。」
―自分がアニスに失恋した時は、その機会を逸してしまっていたけれど。
ソールは戸棚から酒瓶とグラスを2つ取り出すと、アニスの目の前に置いてトポトポと注いだ。アニスは普段酒は飲まないし、ソールもリズが妊娠してからは控えていた。だが、友人の大失恋の夜くらいは飲んでも許されるだろう。アニスはありがとう、といってグラスを持ち上げると、一気に傾けて酒をあおった。
「私ね、マルクの口からはっきりティアのことが好きって言われたこともそうだけど、自分自身にもショックを受けたの。」
すっかり夜は更け、外を歩く足音もまばらになっていた。アニスとソールの前には空になった酒瓶が数本と、いくつかつまみの皿が並んでいる。ソールはあまり顔に出るタイプではないが、元々泣いて赤らんでいたアニスの目元や頬はアルコールによってさらに赤みが差していた。
「アニス自身に? なんでまた?」
「……ティアは、故郷に大切な人がいるんだって。それを聞いて私、喜んじゃったの。これでマルクとティアが結ばれることはないんだって。だから私、花祭りの日にリズがわざわざマルクを呼んでくれたのに“まだ言わなくて大丈夫”って花を渡すことすら逃げて―。ティアと結ばれないことと、私に振り向いてくれることは全然違う問題なのにね。マルクが“好きな人がいても諦めたくない”って言ったときにようやくそのことに気付いたけど……そんなことにも気が付かなかったなんて、ホント、馬鹿みたいだったなって。」
アニスの言うことは分からないでもない、と内心ソールは思っていた。
かつてアニスへの恋をあっさりと諦めたのは、マルクに浮いた話一つなかったから、というのもあったのかもしれない。もしもあの時、マルクに恋人や好いた人がいたなら、自分はどのように考えただろうか。アニスはマルクと結ばれることはないのだと、だから自分にもチャンスがあるのだと考えたりはしなかっただろうか。そしてあわよくば、失恋したアニスを慰めに、飲みに誘って距離を縮めようと考えはしなかっただろうか。
―まるで、今この時のように。
そうふと考えたソールは、血色が透けて薔薇色になっている唇と、酔ってトロンと重たくなった瞼がやけに心に引っかかることに気が付いた。
「まあ……そう考えるのも分からなくないな。少し飲みすぎたか。ちょっと水持ってくる。」
「あ、じゃあ私持ってくるよ。ついでにお手洗いも行きたいし、……と、わわ。」
立ち上がった拍子にアニスの足元がふらつく。ソールがとっさに手首をつかんだこともあってか、アニスは無事転ばずに済んだ。
「ありがと。やっぱりちょっと酔ってるね。」
そう言ってアニスは店の奥に消えていった。一人残されたソールの意識は、アニスの手首を掴んだ自分の手に向かっていた。水分が多い、少しひんやりした滑らかな肌。
―あれは、女の肌だ。
気づかされた事実にざわりと血が動く。
「お待たせ。気が付いたら随分遅い時間になってたんだね。付き合わせちゃってごめん。私、お水飲んだら帰るね。」
「なあ、アニス―。」
その夜、おれたちは一線を越えた。
読んでいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になるなど思っていただけましたら
ブックマークや下の☆☆☆☆☆で評価してくださると嬉しいです。
励みになります。




