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昔々、まだ神々と人が共に過ごしていた頃。
一人の青年と、箱の女神が恋に落ちました。
一人と一柱は実に仲睦まじく、見ている周囲が幸せを感じてしまう程深く愛し合っていました。しかし、幸せな時間は長くは続きません。青年は老い、永遠とも思える命を持つ神を置いて儚くなってしまったのです。
けれども彼との間には子供たちがおりました。神は愛の結晶たる子供らを、彼の分まで愛そうと決めました。
箱の神の庇護の下、子たちは穏やかに過ごしました。噂を聞き、ほかの神と人との間の子が、箱の神の母子を訪ねてきました。境遇や持っている能力が似通っているからか、すぐに親しくなり、やがて箱の神の子と結ばれました。箱の神は、新たな子孫やその周囲の者も愛しました。いつしか彼らは集落をつくり、村をつくり、町をつくりました。神の強い力は、彼らを益々繁栄させました。
あまりにも強い力は、良いことばかりを呼びよせるものではありません。彼らの強い力に対する妬み、恐れ、理不尽な怒り。そういった感情で彼らは住む地を追われ続けました。
彼らは互いに励まし続け、いつか安住の地が見つかると流浪の日々を送ります。けれども箱の神は、愛する者たちが流浪の日々の中で疲れ切り絶望していくのを見ていられなかったのです。
そして神はついに決心するのです。自身が彼らを守る『箱』となることを。
箱の神は自らの体を作り変え、彼らが安心して暮らせる家そのものとなりました。彼らは神の愛の深さに涙し、感謝を忘れぬように自分たちを『箱の民』と呼ぶようになりました。そして箱の神の愛を伝えるべく、今でも箱の神と共にあるのです―。
「これが、我ら『箱の民』の始まりです。」
イシュヴァは話を聞きながら、箱の神のことを思い出していた。
人間の営みから生まれた彼女。司るものから、彼女は「内側に入れたものの保全・保管」や「外と内の隔離」といった性質をもっていた。性質や生まれ方の違いから、正直にいってイシュヴァと折り合いは良くなかった。いつしか神々の領域で見ることもなくなり、他の神と同様に扉の向こうに消えたものと思ってはいたが、そうか、そんな末路を辿っていたか―。
「この建物そのものが神の体、というのは、本当に言葉通りの意味なのね。」
「ええ、そうでございます。」
イシュヴァの反応に、ハリスは満足気に頷いた。
「あなた方『箱の民』が誕生した経緯は分かったわ。それで、今、あなた方は何か目的があってこの集団を作っているのかしら?」
「それはもちろん、箱の神の御意思を継ぐこと―すなわち、かの神が身を賭して守ろうとした神の血を維持することです。ここからは、実際に我らがどのように生活しているかご覧いただいた方がいいでしょう。ご案内しましょう。」
ハリスはお茶を飲み干すと、徐にソファから立ち上がり、イシュヴァの反応を待った。応えるようにイシュヴァも飲み干すと、ハリスの後に続き、エントランスホールから見えた階下へ続く階段を下りていった。
「さっき、生活していると言ったわね。ここにいる人間はみんなここで暮らしているの?」
「ええ、この『箱』の中で皆と寝食を共にしております。貴方のように外から入った者はともかく、この中で生まれた者は―『箱の民』の大多数ですが―外に出たことも無いのです。」
「……それって、不便はないのかしら。」
「いいえいいえ、私もこの中で育った者ですが、不便など感じたことはありませんよ。……と、話している間に着きましたな。」
最初に案内されたのは廊下にズラリと扉が並ぶ、『箱の民』たちの居住フロアだった。一人で暮らしている者もいれば、家族と暮らしている者もいるとのことで、多様な間取りを用意している。というよりも、必要に応じて魔法で間取りや広さを変えてしまうらしい。
その後は公園のようなスペース、生活に必要な雑貨や嗜好品を取り揃えている店が並ぶエリア、スポーツや娯楽が楽しめるエリア、病院や学校などの公共性の高い施設が並ぶエリアなど、おおよそ人間が暮らすのに必要以上の施設に順番に案内されていった。この時代の、『箱』の外の生活水準よりも随分と良い暮らしをしていることは間違いない。
案内される中でイシュヴァの目に付いたのは子供の多さである。ここから300年の後、ほとんど子を得ることができなくなるとは思えぬほどの賑やかさだ。
「随分と子どもが多いのね。もしかして大人は働いていて目に付かないだけかしら?」
「そういう面もありましょうが、我らは子を多く持つことを推奨しているのですよ。ですから、単純に子供の数が多いのでしょう。『箱』の外ではどうなっているか私には分かりかねますがね。神の血を次の世代に繋ぐことがすなわち神の血を保つことですから。」
「ふぅん、そうなのね。」
最後に案内されたのは建物の最下層にある、異様なほど広く、多様な作物を育てている畑だった。地下にも関わらず燦燦と光が降り注ぎ、ひんやりしているはずの地下とも思えぬほど温かい。
「なかなか壮観でしょう。ここで我ら『箱の民』が食べる野菜や、家畜に食べさせる飼料を作っています。外の世界と同様に季節ごとの野菜ができるよう、寒暖も調整しているのですよ。日差しも同様です。さすがに雨や雪まで降らせることまではできませんが、野菜を作るのには却って良いかもしれませんね。ご興味があれば牧場もご案内しましょう。」
イシュヴァはこの光景には言葉を失った。
建物が箱の神の体で出来ているというのであれば、建物の内部が外観に比べ明らかに広かったり、部屋の広さが可変であったりというのはまだ納得できる。それは超常のことであれ、『箱』そのものに起こっていることであれば箱の神の力の及ぶ範囲内だからだ。
でも、この畑はさすがに『箱』そのものに起こっていることとは言えない。であれば考えられるのは人間の魔法や技術によって運営されている、ということだが、疑似的な太陽や季節を再現するような技術はこの時代では聞いたことは無いし、いくら魔力が多い人間が集まっていると言っても魔法で可能なものだろうか。
「……随分と大がかりな畑ね。これはずっと昔からあるのかしら?」
「どのくらい昔からあるのかは分かりませんが……少なくとも私の親や祖父母の代にあったことは間違いないようですな。」
「季節の寒暖や日差しの強さはどうやって調整しているのかしら。魔法を使っているとしても、ずっと調整を維持しているのは大変ではないの?。」
「ご興味がおありですか?」
イシュヴァを先導して畑の周りを歩いていたハリスが、突然足を止めた。面食らいながらも合わせて立ち止まったイシュヴァを、ゆっくりと振り返る。
その顔を見て、イシュヴァは首筋に嫌な寒気を覚えた。
「我らの秘奥はその点にあるのです。お知りになりたいですか?」
ハリスの表情だけを見れば、イシュヴァを出迎えてくれた時から変わらずにこやかだ。だが、その目にははっきりと狂気が表れている。人の好さそうな小太りの中年男の、突然の変容に思わず後ずさりをしそうになる。
「秘奥を入団する前に教えてもらえるの?」
「ははは、そういう訳には参りませんな。お教えするのは入団された後になります。」
「……一応、聞いておきたいのだけれど。入団したら『箱』の外に出ることは可能なのかしら?」
動揺を悟られたくなくて、慎重に言葉を選ぶ。
イシュヴァの質問に、ハリスは小さな目を真ん丸にしてきょとん、とした顔をする。心から不思議でならない、という顔だ。
「どうして外に出る必要が? 魔法を使う人間にとって、ここ以上に住みよい場所などないでしょう? 少なくとも私の知る限り、外に出ることを許された者もおりませんし、それを希望した者もおりませんな。」
『箱の民』の秘奥は知りたい。だが、イシュヴァは塔の先端のひび割れの原因を突き止め、ウルヴァルドが築き上げてきた塔が、世界が終わってしまうのを防がねばならない。『箱』の中に閉じ込められてしまう訳にはいかない。
「……そう。では、今ここで入団の可否を答える訳にはいかないわ。私が暮らしているところには大切な人がいるの。その人を置いて私だけが入団はできないわ。」
「おや、そうでしたか。その方も、魔法を使えるので?」
「ええ。」
「では、一度お帰りいただき、その方と入団を相談してみてください。我らはいつでも入団を歓迎いたしますよ。」
狂気に満ちた目はいつの間にか元の穏やかな目に戻っていた。首筋の寒気が漸く収まる。内心ほっとした気持ちを抑えながらハリスへ丁寧な案内の礼を言うと、足早に『箱』から出て500年後のバステクトの街へ戻っていったのだった。
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