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その夜、ティアは一人森に入っていった。神獣の方もティアを待ち構えていたのか、昼に遭遇した場所にいくと、すぐに姿を現した。
「……まさか、こんな時代に神獣がいるなんて思わなかったわ。」
『それはこちらのセリフだ。』
「話す程度には知性があるようで安心したわ。」
ティアの皮肉じみた冗談に神獣は鼻息で答えた。実際、神獣の見た目をしてはいても、長い年月をかけた末に動物が同じ姿に進化したものだったらどうしよう、と思っていたのだ。
「それで、どうして神獣の貴方がここにいるの。まさかこの時代までずっと生き残っていたという訳ではないわよね?」
『違う。こちらは200年ほど前に発生した個体だ。従ってそちらが神であることは認識できるが、それ以上でもそれ以下でもない。そちらがどの神かも分からぬ。』
「かつて神々と神獣が共にあったころの記憶はない、と。」
『明瞭ではないがそういった意識は朧気にある。それが神獣としての性質故なのかまでは分からぬが。』
「どうして貴方が発生していたかは覚えている?」
『それも明瞭ではない。だがおそらくは魔力を浴びた動物が先祖返りをしたのだろう。』
「200年前に魔力を浴びるようなことが? 一体何があったらそんな事態に?」
『質問ばかりだな。こちらが記憶を保持しているのは発生して以降のことのみだ。何故魔力を浴びるようなことになったのかは知らぬ。』
「そう……。でも200年前に何か魔力に関することがあったと分かっただけでも良かったわ。」
『質問はそれだけか。』
「いいえ、まだよ。どうして街やその住人を狙うの?」
『知れたこと。こちらは魔力を糧としている。それを得ているのみだ。住人を狙うとそちらは言ったが、正確ではないな。喰らうのは魔力を持つ人間の体だけだ。街を狙っているというのも違う。どういう訳か街に近づくと魔法を放ってくるので、それを吸収しているに過ぎん。』
「なるほど、どんなに攻撃しても倒せないというわけね……。貴方は食事をしているだけでしょうけれど、住人が怯えているの。私が毎日魔力を渡すから、街に近づくのをやめることはできないかしら。」
『ふん、あの街に情でも移ったか。』
「……べつに。面倒ごとが嫌なだけよ。」
『まあ良い。こちらとしてもそれを期待して来ている。この時間この場所で良いか。』
「ええ。では今日の分を。」
ティアは手のひらを向けると、魔力をゆっくりと神獣に向けて放った。それを受け取った神獣はグルルと満足げに喉を鳴らす。
『ああ、やはり魔力量が全く違う。漸く満たされた。』
「それは良かったわ。では、また明日。」
『承知した。』
神獣はくるりと向きを変えると、そのまま森の中へと消えていった。その後ろ姿まで森に入っていくのを見届けたティアはやれやれ、とため息を一つつくと、パッと表情を引き締めて星空に向かって上昇した。
目指すは200年前の扉である。
200年前―あの親子がいた、世界中の陸地をすべて焼き払ったような戦争からは50年が経っている。
地面を舐めるようだった炎は流石に消え失せ、代わりに草木が埋め尽くしている。50年の年月が経っていても、かつてあれだけあった大きな街は見当たらない。単純に復興するだけの人口がいないのだろう。それでもすべての人間が死に絶えた訳ではないようで、ところどころに数世帯が身を寄せ合って暮らしているのであろう、集落未満のものが緑の中のホクロのように見える。
やがてバステクトになる場所にも、そうした集落未満のものが存在していた。
上空からバステクトの原点を見つけたイシュヴァは近くに降り立ち、見つからないように身を潜めて様子を窺った。
「ぐっ……ぬぅぅ……‼」
一人の初老に差し掛かったくらいの男が、歯を食いしばり脂汗を浮かべながら自らの左腕に小刀を突き立てている。周囲の人間はそれを悲壮な目でハラハラとして見ているか、沈痛な面持ちで目を伏せているかのどちらかだ。声を立てる者もなく、男の荒い呼吸音だけが聞こえる。異様な光景だ。
男は小刀をサッと拭って腰にぶら下げた鞘にしまうと、ボタボタと血液を垂らしながら粗末な作りの家々の周囲を歩き始めた。すべての家を一つの赤い輪の中に囲み終え元の位置に戻ってくると、右手を突き出して魔法を発動させた。
(これは……結界かしら。)
イシュヴァの見立て通り、血で囲まれた空間が清浄な空気に包まれる。しかし、男の魔力は弱々しく、その上血に含まれる魔力もどんどん散逸していっており、この結界は長く持つものではないことが見て取れる。おそらく男が持つ魔力は非常に乏しく、仕方なしに己の体、この場合で言えば血液に含まれる魔力を上乗せしないと気休め程度の結界も張れないのだろう。
(神獣が浴びたのはこの男の魔力だったのね。)
男は魔法を発動し終えると、気も体の力も抜けたのか足元をふらつかせた。
「……父さん!」
側で男をハラハラとした様子で見ていた若い娘がすぐに駆け寄り、男の肩を支える。
「……ああ、すまぬ。だがこれで今日も獣や病に襲われる心配はないだろう。」
男は力なく笑いながら穏やかに言うが、先ほどよりも多くの脂汗が額に浮かび、息も全く整っていない。貧血からか男の顔は蒼白で、肌や髪もパサついている。左腕は新旧多くの傷跡だらけであまりにも痛々しい。血を垂らした地面を見れば深く赤い色が染みこんでおり、何度も何度も繰り返し血を流して結界を張り直しているようだ。
初老の男が息を整え、その様子を娘が心配そうに窺っている最中、数人の足音が聞こえてきた。そちらの方に目をやると、一人の青年を先頭に、数人の働き盛りの男たちが集落に入ってきた。手には小動物や鳥を抱えており、どうやら狩りに出かけていた集落の者たちらしい。
先頭の青年は初老の男の様子を認めると、駆け足でやってきた。
「父さん! 大丈夫か?」
「おお……おかえり、無事だったか。」
「ああ、今日は獲物がたくさん獲れたんだ。食べて血の分を補ってくれ。」
「儂よりも子どもたちや若い者にたんと食わせておやり。」
「何言ってんだ、父さんがいなきゃ男連中全員がここを離れるなんてできないだろ。父さんに倒れられたら全員が困るんだ。しっかり食ってくれないと怒るぜ。」
「そうよ、父さん。今日はあの人たちとの交渉もあるのでしょう? それまではゆっくり食べて休みましょう。さあ、とにかく傷の手当てを。」
「すまんな、儂の力が弱いせいでお前たちには迷惑をかける……。」
初老の男は娘に伴われ、奥にある一番大きな家屋へと入っていった。集落の者たちはそれを言葉少なに見守っていた。
「……さ、長に栄養を付けてもらおう! 野菜は採れているか? ……うん、美味しそうだ。皆で食べられるように肉と野菜の粥にしようか。」
先ほどの青年が明るい口調で取り仕切ると、ようやく集落の者たちは動き出し、間もなく活気を取り戻していった。彼らは協力しあい野外の粗末な竈にかけた大鍋で粥を作ると、皆で地べたに座ってそれをすする。初老の男、つまり長の息子らしき先ほどの青年も皆と語り合いながら、かつ手早く食べ終えると、2つの碗に粥を注ぎ、長が入っていった家屋へと持っていった。その背中を見送った集落の者たちは各々畑仕事や家事といった仕事に向かっていく。
彼らは長とその家族を中心として助け合いながら生活を営んでいるようだ。その生活様式は、家屋の様子、服装、食事風景、狩りから帰ってきた時に携えていた道具などから推察するに、ここから50年前の戦争の時代よりもさらに数百年は巻き戻ったレベルに見える。
50年。戦争前の文化レベルを覚えている人間もいくらかは生存している年月だろう。
しかし伝えられなかったのだ。街が復興していないことからそうだろうとは思ってはいたが、文明そのものが維持できず死に絶えてしまうほど、この世界の人口は減ったのだということを、イシュヴァは物陰から噛みしめていた。
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