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そのあとの数日間、昼間は保安調査隊としてかつて捨てられた電化製品の回収を進め、夜はまたあの親子が住む時代の扉の中へと行き、各地の様子を見てまわった。
やはりあらゆる国が戦火に燃えており、平穏無事であったところなどどこにもないような有様であった。そして、その戦乱の中には魔法の気配は皆目なかった。イシュヴァがまだ扉の中に遊びに行っていた時代―あの親子の時代からは数百年ほど前の技術と比べれば、まるで魔法のような技術の進歩を遂げてはいたものの、魔力の気配は感じられなかったのである。
バステクトのように日常に魔法が溶け込み、魔力砲のような武器があるのであれば、戦争にそれらが転用されないはずもない。実際、まだ魔力が世界に満ちていたころの戦争と言えば魔法を使ったものがほとんどだった。
とすれば、あの親子の時代からバステクトのあるこの時代までの250年間に、魔法が再び表舞台へ戻ってくるような何かがあったのだろう。次はその「何か」の手がかりを得なくては、というところでイシュヴァは行き詰っていて、焦りから気落ちしていた。
そして今日は週一回の休日である。気落ちしていたイシュヴァもといティアを気遣ってか、それとも早くバステクトに馴染めるように、との気配りなのか、休日の曜日はラ・カンテの定休日と同じ曜日となっていた。ということはアニスやリズも休日で、今日はアニスと再度買い物に行き、その帰りにアニスの手料理の試食会をする約束をしていた。前回の買い物ではとりあえず必要なものをざっと揃えただけだったので、一週間暮らしてみて改めて必要だと感じたものを買い足すのだ。
そしてティアには教えて欲しいこともあった。気がかりだったパンの焼き方だ。そういう訳で、ティアはあえて昨日買ってきてすっかり冷めきったパンを用意し、部屋でアニスの到着を待っているのだった。
「ティア、おはよう!」
軽快なノックと共に、軽やかな声でアニスが玄関の外から声をかけてくる。待っていましたと素早く玄関に向かい、そして軽く一拍おき、ガッついているように見えないよう、優美な笑顔を作ってたおやかに扉を開けた。
「おはよう、アニス。朝から来てくれてありがとう。」
今日のアニスは歩き回りやすく、かついつもよりも色遣いが華やかな可愛らしい服装だった。曰く、店ではどうしても服に汚れが跳ねやすいし、やはり客商売ではあるので普段はどうしても地味で無難な服を選びがちだと言う。その点、今日は女友達とのショッピングを楽しみたいと気合を入れてきたらしい。「女友達と」とは言っているものの、試食会には休み時間が合ったマルクも来るらしいので、そちらも考慮はしての服装なのだろう、とティアは踏んでいる。いずれにせよ、女友達とのショッピングも試食会のどちらも目いっぱい楽しもうというアニスの弾んだ表情に、ティアも釣られて楽し気な気分になるのであった。
「えっと、パンの焼き方を聞きたいってソールから聞いてるわ。今まではどうしてたの?」
荷物を椅子に置くと、アニスの方から切り出してくれた。テーブルの上にこれ見よがしに鎮座している、冷えた丸パンがいくつか入ったパン籠がそうさせたのかもしれない。
「ええ、そうなの。今までは魔法で温めていたのだけれど、どうも以前パン屋やラ・カンテで食べたものと違っていて。」
「魔法であっためるとどんな感じになるの? 一つ試してもらっても良い?」
アニスの依頼に無言でうなずくと、ティアはパン籠から一つ手に取り、いつも通りさっと魔法で温め、それをアニスに手渡した。アニスは礼を言いながらそれを受け取ると、一口大にちぎって口にした。
「んー、なるほど……。なんとなくティアが言いたいことが分かったわ。確かにこれは違うね。オーブンで焼くと変わると思うよ。」
「オーブンで……。そんなに変わるものなのかしら?」
「うん、確かにちょっと面倒だけどね。とりあえずやってみましょう!」
アニスはパンを食べ終えると、ささっと台所へと向かい、オーブンの扉を開けた。扉の中はピカピカで灰一つまみも落ちていない。
「……ねえ、ティア、もしかしてオーブン全然使ってない?」
「ええ。」
「お茶とかスープとかはどうしてるの? お風呂は?」
「それも魔法で……。」
ちなみに、本質的にはエネルギーの塊でしかないティアにとって風呂など必要ないものなので入っておらず、自身を構成するべき物質以外の不純物を毎夜払っている。が、風呂に入っていないというと普通の人間の感覚ならば不潔に感じられてしまうので、ギリギリ嘘は言っていない “魔法で” という言葉で誤魔化している。
「なるほどね、確かにティアは魔力が多くて使い方も上手いってソールが言ってたわ。魔法って便利そうだもんね、疲れてるときは特に使いたくもなるかも……。でも! ティア、今日は騙されたと思って私の言う通りにしてみて!」
なんだか良く分からないが、アニスは腰に手を当てて大層得意そうな顔をし、ひどく具体性のない指示した。その圧力に、ティアは曖昧に頷くしかできなかった。
「まずは約束のパンの焼き方を教えるわ。薪の置き方は大丈夫?」
とりあえず適当に薪をオーブンに突っ込んだところ、案の定ダメ出しを食らってしまった。置き方を教わりながら丁寧に薪を並べ、着火は魔法で簡単に済ませる。
魔法が使えない人でも、着火は非常に手間がかかるため、多くが小さな魔石に金属の棒を付けた専用の道具を使って行っているらしい。アニスの場合、その魔石の魔力が切れた時はリズやラ・カンテで使う分と合わせてソールが充填しているとのことだ。身内や近しい間柄に魔力持ちがいない場合でも、半公共的に魔力の充填を行う業者がおり、安価で魔力を充填してくれる。それも難しい場合は、夜に灯されるランタンからこっそり火を分けて貰ったりしているとのことだ。
そんな話をしているうち、オーブンに十分火が回る。アニスはパン籠から丸パンを取ってトレーに並べると、それを火から遠い位置に入れる。数分置いて取り出すと、パンは見るからにパリパリの、焦げ目がうっすらと濃くなった姿になっていた。ニッコリ笑ってアニスが食べてみて、と言うので、冷ましながら一口食べてみると、パリリ、という音と共に皮がひび割れ、中から蒸気と香ばしさ、小麦の香りが立ち昇り、ティアの鼻腔をくすぐった。
「これだわ、魔法で温めたのとは全然違うのね。」
「でしょ? 手間はかかるから急いでるときはできないかもしれないけど、せっかく美味しいパンを買ってるんだもの、できるならこっちで食べたいよね。」
「ええ、今度からやってみるわ。どんなパンでも同じ焼き方なのかしら。」
「砂糖がまぶしてあるものなんかは焦げやすいから様子を見ながら焼いた方が良いと思うわ。今回は私の好きな焼き加減で焼いちゃったし、いろいろ試してみて好みを探るのも楽しいよ。あ、私も食べてみても良いかな?」
当然ティアは快諾し、アニスは焼いたパンにかぶりついた。感想は「うん、完璧!」とのことだ。メニューはパンのみという質素極まりないものではあったが、不思議と気分が満たされる朝食となった。
「魔法って便利だけど、魔法じゃない方法の方が却って良いこともあるんだよね。……なんて、魔力が全然ない人間の負け惜しみに聞こえるかもだけど。」
「いいえ、負け惜しみなんかじゃないわ。確かにこのおいしさは魔法じゃ難しいものね。」
「ふふ。さて、オーブンに火も入ってるし、ついでにお風呂もオススメしておくわ。お湯の出し方は大丈夫よね?」
「オフロ……。 ええ、お湯の出し方はわかるわ。」
「バスタブに、そうね……7分目くらいかな、そこまでお湯を溜めて、そこに入ればいいわ。お湯の温度は好みがあるけど、目安は40℃くらい。でも、きっとティアなら魔法でお湯の温度は調整できるだろうから、入りながら上げ下げしたら良いわ。あ、そうだ! 今日時間があったら入浴剤も見てみましょう!」
「え、ええ、分かったわ。でも、そんなに違うの? お湯に浸かるだけで?」
「全然違うんだから! 良い? 今日は騙されたと思って絶対お風呂に入ってみてね?」
なんだか今日はアニスの圧が強い。これは素直に従った方が良さそうだ、と、ティアは今夜初めてのお風呂に入ることを強く頭に叩き込んだのであった。
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